主はどんな時も共にいてくださるお方です。

2022-10-09 | 長男のこと

 

 

長男はまだ入院中です。

現在M.K在宅医が病院担当医他と連携を取り、家に戻る方法を検討してくださっています。

その為、13日にはポートの造設のため聖マリ西部病院に入院します。

 

7年前に聖マリに長期入院し、胃ろう気管切開そして寝たきりになりました。

あの時も賛美歌「あしあと」、長男の耳元で何度も何度も歌いました。

 

先日やっと面会が出来た時も「イエス様が一緒だから大丈夫ね」って歌いました。

そして家でも長男を思い出しては祈り、祈りながら歌うのです。

「イエス様と共に歩むあしあと」 このブログのタイトルです。

 

新生讃美歌570番

   ♪ たとえばヒデミが涙を流すとき  ともに涙流し 悲しんでくれる

   たとえばヒデミが一人になっても ヒデミを慰め 励ましてくれる

   共に生きる喜び かみしめながら歩いてゆく 

   ヒデミの傍にはいつももう一つの足跡 

 

 

野中宏樹牧師 作詞:作曲

マーガレット・パワーズの詩”Foot Print(足跡)”がモチーフの賛美歌と聞く。

「あしあと」

ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ね
した。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道にお
いて私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、
あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。
「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」

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思いがけないことが起きています

2022-10-08 | 長男のこと

昨日(10/7金)訪問医のM.K先生から長男の状態が以前より厳しいこと等などご説明を伺いました。

そして何よりも私たち夫婦と次男の希望を再確認され、その上で方法を検討してくださいました。

家で過ごすためには高カロリーの輸液注入にポートを造設する必要がある。まずはその手術をどこの病院でやるか、以前入院していた聖マリアンナ医科大学が良いかも等など、竹山病院の担当医師や川崎みどりの病院長らとも相談しながらその後の事も合せて最善を考えますとのことでした。

 

夕刻、看護師から電話があり詳細を伝えていただきました。

ポート造設は聖マリアンナ西部病院に依頼したこと。

10月13日(木)朝8時45分竹山病院を介護タクシーで出発。

私は吸引器を持参して同乗、必要な時に吸引をするように。

ポート造設が順調なら退院。

一旦竹山病院にもどり、家での生活が可能か確認する。

 

「長男が7年前に入院していたのは百合ヶ丘の聖マリですが、」と看護師に告げたところ・・

その時に担当した医師が西部病院におられて長男の事を覚えているとのことです。

 

なんだかドキドキします。

神さまは思いもかけない凄いことをまたまた私たちに見せてくださるのでしょうか。

 

 

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言葉にしたくなかったこと

2022-10-06 | 家族のこと

竹山病院に誤嚥性肺炎と胸水のため緊急入院した長男。

担当医から呼ばれて経過と今後の方向性を伺いに行ってきたことを4日のblogで書きました。

実は・・とても辛くてそこにどうしても書けなかった言葉があります。

 

「もう在宅介護は無理です。命を繋ぐためにも看護/介護型の病院へ転院することを勧めます。」

結果、これまでの経過が分かっている川崎みどりの病院への転院をやむなく決断したのです。

 

在宅での大変だったことも、それ以上に幸せだったことも走馬灯のように思い出されます。

お世話になったサポーターの方々に在宅終了のご挨拶をし、介護レンタル用品引き上げ手配。

服も必要なくなる医療用品もすべて捨てようとしたら、夫が「また家に戻れるかもしれないからこのままにしておこう」と申します。 

 

眠れない夜を過ごし、翌(5日)早朝に訪問医のM.K先生から電話がありました。

「担当医師と話し、在宅継続の可能性を検討するので希望を捨てず祈って待つように」との事でした。

訪問看護師さんからも「点滴治療しながらの在宅はザラに経験しているので大丈夫」と励ましの電話を頂きました。

 

というわけで・・泣き笑いの2日間

そして今日(6日)は思い煩いは主にお任せして平安の一日を過ごしています。

沢山の方々の祈りに支えられていることを感謝します。

それにしても、早まって何もかも捨てなくて良かった。 

 

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在宅介護丸7年

2022-10-04 | 長男のこと

 

今日は竹山病院の担当医との面談がありました。

コロナ対応で病棟には一人しか入れないところ、特別に許可を頂いて夫と二人で話しを伺いました。

先生からのお話しが始まる前に面会がゆるされ、3週間ぶりに長男と会うことが出来ました。

思ったより顔色も良く安心しました。

 

正午過ぎに担当医からの病状説明があり、今後の方向性を提示されました。

命を繋ぐために涙涙の決断でした。

思えば在宅介護が始まったのは2015年10月、あれからあっという間の7年、幸せな7年でした。

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大谷レニー先生感謝礼拝のこと

2022-10-03 | 神学校のこと

(2003年 新生讃美歌出版記念でのツーショット)

 

「大谷レニー先生」、バプテストに連なる兄弟姉妹で知らない方はいらっしゃらないでしょう。

今から60年前、レニー・サンダーソン宣教師は、南部バプテスト連盟派遣の音楽宣教師として日本に来られました。

 

「出会いはその人の人生を変える」

私が東京バプテスト神学校教会音楽科に入学したのが今から約30年前、レニー先生との出会いです。

今思えばどれほど多くの事をレニー先生から学び、レニー先生に祈られたことかと感謝しきれません。

写真の私のネックレスは神学校卒業時のレニー先生からのプレゼント。

 

2021年2月14日、レニー先生は主に仕える尊いお働きの全てを終えて天に召されました。

コロナで延び延びになっていたお別れの会が今月30日に大井バプテスト教会新会堂にて「大谷レニー記念礼拝」として執り行われるとのご案内をいただきました。

 

大井教会は10月を「大谷レニー月間」として守るそうです。

月間のことを知ったのは、JOYチャペルに対面での礼拝に招かれ、感謝に満たされて迎えた昨夜のこと。

なんとなく開いた大井教会のホームページ(神さまのみ手が働いた?)礼拝の動画も見ることができました。

整えられ、良く準備された礼拝、賛美はレニー先生の作られた賛美歌であふれていました。

 

10月30日の記念礼拝は長男をショートステイに預けて是非とも出席したいと準備をしていました。

ところが突然の入院、予定の3週間を過ぎ未だに退院の目処もつかないものですからどうなることやら。

このまま退院が延びれば出席かな、退院が決まれば欠席です。

早く退院出来るようにと祈りつつ、一方では記念礼拝への出席を祈る。

なんとも複雑な心境です。

 

 

 

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シンプルライフ

2022-10-01 | 個人的なこと

5、5合炊きの炊飯器をずっと愛用していました。

炊きたてが美味しいからって我が家では朝に晩に1.5合、多くて2合しか炊きません。

エステル会も無いし、人をお招きするって事も昨今はありません。

「これって無駄だよねっ!」て事になり、2合炊きに買い換えました。

場所も取らないし炊き上がり時間も早いし、生活のマンネリを見直してこれぞ「シンプルライフ」

 

 (上から見ると面積約四分の一です。)

 

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