今日(4/24)は「担当者会議」
連れ合いに要介護1の認定が出て、ケアマネ他関係者が一同に会しこれからの介護方針を話し合って下さった。
午後、昼寝をしようと思って二階に上がったらMessengerが鳴った。
「今、O先生が来ているけれど来れますか」と、ホッとスペース中原のY.Iさんから。
O先生、わぁ懐かしい!
奥様をガンで亡くされグリーフケアーを佐々木炎先生に受けておられ、研修と称して炎先生と我が家へ来られた。
日出海の在宅介護が始ってすぐの頃だから、かれこれ10年くらい前になるかしら。(写真はその時のもの)
やや暫くして気が付くと日出海を相手に話し出したOさん。
日出海は既に声帯を失っていてただ黙って聞くだけなのに、彼は心の内を涙ながらに語り続けた。
奥様が聖路加病院でガン治療、亡くなられてその病院で葬儀、そして彼はキリストに出会う。
2人で営んでいたイタリアンレストランは閉じた。
そして、そしてOさんは聖公会の神学校に学ぶことになった。
卒業後は聖公会三光教会の執事、そして司祭となり昨年4月から聖公会浅草ヨハネ教会に赴任されたのである。
そこまでは祈りの中で、お便りのやり取りで存じ上げていたけれど・・・
急ぎ逢いに駆けつけましたよ。
聞けば今年の4月から聖路加国際病院チャプレン、そして聖路加国際大学の先生の任も与えられたとか。
最愛の人との別れを経験したO牧師の働きは実に尊い。
日出海とは直接的な声の会話は無かったけれど、あの時は心で響きあううものがあったと話される。
神様の与える試練は決して意味のないものではなく、ご計画のうちに運ばれるものなのだと知る。
ここにも日出海が生きている。
そしてわたしも生かされている。
このところ滞っていた「感謝のビー玉」、また一つ増えた。
「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。
その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。 」(ヤコブの手紙1:12)