hakuunの未来ノート

将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴ります。

傾聴トレーニング

2012-09-12 | コミュニケーション

昨夜は、久しぶりに傾聴スキルアップのためのトレーニングを行った。
集まった人は、先生を含めて4名。

事前にテキストなどを読み、基本は理解していたつもりでいた。
しかし、トレーニングが始まると、頭ではわかっていることが、実際にはできないことも多々あった。
「知っていること」と「できること」は違うと、昔から言うが、身をもって体験した次第である。


●準拠枠について 

傾聴の際、「準拠枠を外して聴く」のが、私の課題と考えていた。
しかし、先生が言われるには、「各個人には、それぞれの価値観や判断基準があり、それを否定するものではないし、捨てることもできない。ただ、傾聴する場合は、自分の準拠枠(価値観)を横に置き、相手の言うことをそのまま受け止めることである」と教えていただいた。
つまり、これが「無条件的な肯定的配慮」であり、「受容」である。
自分の思い過ごしや勘違いなどたくさんある。
今回のこの教えは、目から鱗に近い、尊い教えであった。

さらに、相手の言うことを、あたかも自分自身のことのように、一生懸命に聴くことである。
先生の話によると、相手が悲しい話をすると、自分も悲しくなり涙がでてくるという。
これが、「共感的理解」ということになる。
また、心も体も一致しているのであるから、「自己一致」にもつながる。


●準拠枠に関する反省点&課題 

傾聴トレーニングの際には、準拠枠を外して、傾聴はできていたと思う。
しかし、傾聴トレーニング以外の時、休憩時間などでは、準拠枠のオンパレードだった。
反省するとともに、未熟な自分にあきれるばかりであった。

若いKさんが傾聴の勉強方法について悩んでおり、それとなく相談してきた。
ベテランのYさんは、テキストをしっかりやるように、とアドバイスした。
一方で、私は、「問題集をやるように」とアドバイス。
そこで、Yさんは、「問題集と試験範囲は異なるので、テキストをしっかりやること」
さらに、私は、「インプット中心の勉強より、アウトプット中心の勉強を」
このようなやりとりが、2~3分続いたような気がする。

二人は、お互いに自分のやり方を主張しているだけであった。
山を登る道は、無限にあるので、自分のやり方だけが正しいと主張するのは、「準拠枠」そのものである。
本来なら、相手の立場を尊重しつつ、自分の意見を主張することが必要である。
例えば、「基本は、Yさんが言われるようにテキストです。さらに、試験のことを考えれば、効果的な勉強方法を考える必要があると思います。Yさんはどのようにお考えですか?」
と、話せば、Yさんも自分の意見を尊重してくれていると考え、私が主張する問題集の使用についても考えてくれるだろう。
さらに、若いKさんに対して、
「今までどのような勉強をしてきたのですか?」
「今、困っていることはどんなことですか?
「どんな勉強方法が理想なのですか?」
「勉強を行う際、障害になっていることはどんなことですか?」
等々質問をすれば、Kさん中心の回答をだすことができたと思う。

自分の主張をするのもかまわないが、時と場合によりけりである。
自分が主張するだけでは、自己満足しかない。
質問をすることで、様々な情報を収集することができ、場面展開も大きく変わってくる。
また、自分が成長するヒントを得ることができるだろう。

今回は、みなさん大人であったため、和やかな雰囲気のなかで終わったが、反省の多い休憩時間であった。


●感情と質問 

傾聴を行う場合、相手の感情や気持ちをとらえることが重要なカギとなる。
相手の感情や気持ちをとらえることができれば、相手とのコミュニケーションをスムーズにいき、信頼関係を築くことができる。
以前、このブログで書いたように、相手の感情や気持ちをとらえるものスキルである。
その「気持ちをとらえる」というスキルが未熟なものもいる。
このブログを書いている私自身がそうであるから、このことは良くわかる。

今回、傾聴トレーニングを行った際、やはり感情や気持ちをとらえることは難しかった。
そこで、その対策であるが、「行動の背景にある感情」をとらえることである。
感情はとらえることが難しいが、行動は誰にでもわかる。
そこで、「行動の背景にある感情」を質問してみると、相手はさらに話してくれると思う。
例えば、
「朝起きた時、どんな気持ちでしたか?」
「朝ごはん食べているときは、何を考えていますか?」
と聞けば、
「考えている時間などないよ、朝起きてから家を出るまで10分だよ」
とか
「朝のモーニングコーヒーを飲んで新聞を3紙読んでいるよ」
などの返答がもらえれば、その人の日常生活もわかり、親しみもわいてくる。

また、資格試験に取り組んでいる社会人に対しては、
「試験会場に入った際、どんな気持ちでしたか?」
「試験結果の発表を見る間際は、どんな気持ちですか?」
と聞けば、
「そわそわして何度もトイレに行った」
とか、
「前日は眠れず一睡もできなかった」
とか、
「今までの苦労したことが走馬灯のように蘇り、合格の瞬間、大粒の涙がでてきた」
など様々な話を聴くことができるだろう。

このように、直接感情や気持ちをとらえることが難しければ、最初は「行動の背景にある感情」を掘り起こすトレーニングを重ねることで、だんだんとそのスキルも向上すると考える。


●自己一致とは 

「自己一致」とは、「こころが感じたこと」と「言動」が一致することである。
ロジャースは、「隠しごとがないこと」と説明している。
今回若いKさんは、ご自身の行動を見て、何度も「自己一致していない」と言っていた。
最初は気に留めていなかったが、そのうちに私自身のことを考えるようになった。
果たして、私は「自己一致」しているのだろうか?
例えば、「研修講師になりたい」と思っているので、そのための研修講座に参加している。
これは、心に感じていることと、行動が一致しており、まさしく「自己一致」である。
しかし、よく考えてみると、「自己一致」していない面もある。
考えだすと「自己一致」していないことが次から次へとでてくる。
「能弁は銀、沈黙は金」をテーマに、このブログで書いたことがあるが、自分の感情表現を抑えることは、行動をも抑え込むために、「自己一致」していないことにつながる。
このことは、「自己開示」にもつながることである。

傾聴を勉強するにつれて、問題点が次々とでてくる。

しかし、これらの問題点を、今では課題としてとらえることができる。
課題に対する挑戦は、自己成長につながり楽しい。

このような考え方をする自分を見ていると楽しくなる、今日この頃である。