白亜45会HP管理人

白亜(白堊)45会は、岩手県立盛岡第一高等学校昭和45年卒業の同期会です。

東洋と西洋

2011年03月06日 16時50分29秒 | 雑記
今週のAERA、養老孟司の大脳博物館より;
日本語も中国語も「冠詞を持たない」言語として知られている・・・そんな視点で考えたことは無かった。確かに「日本人は云々」が「A Japanese is ...」なのか「Tha Japanese is ...」なのかで意味が全く変わってくる。東洋と西洋の発想の違いを反映しているのだろうか?

*東洋(中国)では「兄」と「弟」がまずあって、合せて「兄弟」という言葉を作っているのに対して、英語ではまず「兄弟」があって、それに「年上」と「年下」を足して「兄」と「弟」を区別する。(類似例が多い)
*東洋(中国)では数値は4ケタ区切りで、西洋では3ケタ区切り。
上記の2つは、その理由を私なりに理解したいと長年考えているテーマである。「冠詞」もこれに加えるべきテーマなのだろうか?

キリスト教やイスラム教の「The God」と日本の「gods」は全く意味が違う。というわけで、中東のアラビア語やペルシャ語の「冠詞」はどうなのか調べてみた。アラビア語は冠詞があるが、ペルシャ語には冠詞はないらしい。それどころか、欧州の古語である「ラテン語」にも冠詞がないらしい。従って、「冠詞」は加えるべきテーマではないことが決定。