寺崎八十四石米

地産地消に向け、美味いと評判を呼んだ地元の米を「八十四石」の名とともに蘇らせるため、見える米づくりを紹介していきます。

おいしい米といわれる理由

2021-05-12 21:13:30 | 米づくり
 
 八十四石は、二つの川(高崎川と鹿島川)に挟まれた三角地帯で、古くから、大雨による氾濫を繰り返してきました。洪水に泣かされてきたのです。
 しかし皮肉なことに、その都度、上流から肥沃な土が運ばれてくることによって、八十四石の土壌は豊かになり、質が良い、おいしい米が穫れる水田地帯になったと伝えられています。





 これは2019年秋、千葉県を襲った台風による豪雨、洪水がニュースでとりあげられたものです。このとき八十四石は湖と化してしまいました。
 特に大きな被害はなかったものの、遠方の上司や同僚から多くのお見舞いの電話をもらったときは、ありがたかったなぁ・・・

 このような氾濫が、たびたび起こったことで八十四石ができたのです。




 ちなみに我が家には、こんな舟が残っています。詳しい製作年代はわかりませんが、たぶん昭和20~30年頃だと思います。田舟といって宮大工に造ってもらったと父から聞いていました。当時は、稲刈りの時期になると、上の画像のような氾濫がしばしば起こっていて、舟を持っていた農家はこんな舟で稲穂を刈り取り収穫ができたのだとか。そこで祖父も手に入れたそうです。しかし、その後は土地の改良が進み、結局一度も出航?しなかったそうで、現在も物置の中に眠っています。
 

「八十四石」とは

2021-05-12 19:51:00 | PR
利根川水系の印旛沼に注ぐ高崎川と鹿島川に囲まれた、広大な水田地帯の呼び名でした。江戸時代の寺崎村は佐倉藩の所領で、八十四石の年貢米を献上していたことから、この一帯は「八十四石」と呼ばれるようになり地名にもなっていました。
昭和初期のものと思われるこの地図、タイトルは、「千葉県根郷村全図」となっています。赤い丸をアップすると、
八拾四石(はちじゅうしこく)の地名が記されています。当時の「じゅう」は「拾」が使われていました。
その後、水田は耕地整理によって現在の整った形になり、八拾四石の地名は消えたのでした。
 
八十四石は、二つの川(高崎川と鹿島川)に囲まれ、古くから大雨による氾濫を繰り返してきました。そのたびに上流からは肥沃(ひよく)な土が運ばれ、八十四石の土壌は豊かになり良質な米が穫れる農地になったと伝えられています。

現在の八十四石は、弁天前や木崎など複数の地名で構成されているものの、地元では今でも、この一帯を八十四石と呼んでいます。


ちなみに佐倉城ですが、画像の中央の小高い場所に築かれていたそうで、きっと先人たちからは、このように見えていたのでしょう。