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寺崎八十四石米

地産地消に向け、美味いと評判を呼んだ地元の米を「八十四石」の名とともに蘇らせるため、見える米づくりを紹介していきます。

鷹ではなかった!?

2022-06-19 21:56:35 | 地元佐倉の紹介
過去のブログで八十四石には、タカが生息していると発信してしまいましたが、どうも思い違いだったようです。
実は、先月はじめ頃から、ピーヒョロロロ・・・と、鳥の鳴き声が気になってました。その鳴き声といえばトンビですよね。
同じタカ科の鳥のため、どうも村人みんなが誤解していたようです。そして昨日、草刈りしてたらピーヒョロロロ・・・と聞こえたもので慌ててスマホで撮影開始。鳴き声は拾えませんでしたが、あとで調べたところ尻尾の形が台形なので、タカと思ってた鳥はトンビに間違いないですね。

《おしらせ》延長されました!

2022-04-05 08:44:30 | 地元佐倉の紹介

佐倉チューリップフェスタですが、一部チューリップの開花が遅れているため、イベント期間が1週間延長されました。したがってフェスタ開催は4/24(日)16:00までです。

※お知らせ欄に掲載されています。

どうぞマスクの着用(必須)など感染予防対策を万全にして、咲き揃った見事なチューリップを観に来てください!

そして来園の際には、ぜひ直売店「佐蘭花」、「マルシェかしま」にお立ち寄りくださいね!

咲いた咲いた・・・

2022-04-01 20:14:03 | 地元佐倉の紹介

チューリップの花は並んで・・・段々と色とりどりに咲いてきました。
ただいま佐倉ふるさと広場ではチューリップフェスタ2022が開催されています。

今日お昼前、ふるさと広場にある直売店「佐蘭花」へ八十四石米の補充にやってきました。
朝のうちは雨、午前中の天気はイマイチでした。そのためかお客さんは少なかったものの、このあと週末の天気もまずまず?のようなので多くの方が観覧に訪れることでしょう。


今回は450g(約3合)につづき、1.5kg(約1升)も置かせてもらいました。
ふるさと広場にお越しの際には、ぜひ佐蘭花にお立ち寄りいただき、佐倉の産物をお買い求めください!そして八十四石米の購入も検討よろしくお願いします!

初参り

2022-01-04 16:15:31 | 地元佐倉の紹介
あけましておめでとうございます


一昨年までは地元神社の新年参りは、ほとんどしたことがありませんでしたが、
昨年からコロナの影響もあり参拝するようにしました。

ここ寺崎地区には、四つの神社、二十数カ所に及ぶの祠(ほこら) があります。
この祠ですが、かつて三十ほどあったそうです。
そのうちの二社をお参りしました。


この神社は主に家内安全・病気平癒・海運・出世祈願する産土(うぶすな)神を祀った南六所神社です。

こちらは氏神様(うじがみさま)が祀られた神明神社です。
五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・学業成就などに御利益があるとされています。

家内安全、五穀豊穣、病気平癒そして早期のコロナ収束を祈願しました。

この神明神社を西(左)方向に進むと、前に紹介しました密蔵院薬師堂があります。

現在の薬師堂は昨年11月中旬から改修工事が始まり、いまは屋根部分の作業中で、
全体を完了するのは今年の9月までの予定となっています。
足場と覆いでお堂の外観を感じとることができません。


細部にわたり足場が組まれているため、内部もわずかしか様子をうかがい知ることができません。
ざぞ手間がかかる作業なのでしょう。


(参考)改修工事前の薬師堂

さらに薬師堂を過ぎた場所(画像中央)には、富士山を模したといわれる高台があります。
草がチョット伸びてしまってるのでイメージがつかめないかな?

この高台は、周辺の地域の中で最も高いといわれる地のようです。


そして頂には浅間様が祀られています。ここからの眺望は意外といいですよ。

北の方向には筑波山を望めます。

これは西方向、中央には富士山が・・・残念ながら雲でうっすらとしか見えませんが、
快晴の時にはハッキリときれいに見ることができます。


そして南の方角にはJR総武本線が見えます。
いまではこの鉄道区間「モノサク」といわれる鉄道写真家のメッカとなっていて、
多くの撮り鉄さんが訪れるポイントになっているんです。

この総武本線は寺崎隧道(トンネル)ができる前の昭和43年までは、
ここ寺崎の山すそを迂回して、単線の線路を蒸気機関車やディーゼル車が走っていました。

こんなのどかな我が村です。薬師堂の改修工事が完了しましたら是非いらしてください。

八十四石にまつわる「力石」

2021-11-04 11:06:04 | 地元佐倉の紹介

こちらは密蔵院境内の高台にある佐倉市指定文化財「密蔵院薬師堂」です。
よく見ると基礎の部分は石、このころの建築物は基礎石の上に建てられています。近年、損傷箇所が増えたこともあり、まもなく修繕が開始される予定です。


そして薬師堂向かって左側の一角には、このような基礎石「力石」が保存されています。
力石といえば、江戸時代に鍛錬や力試しとして広まったそうで、全国各地に存在しています。


実は、過去のブログ投稿の “「八十四石」(はちじゅうしこく)とは” は、この「力石の由来」から一部を引用させてもらいました。

この原文中、

“八十四石とは藩主に献上する年貢米の数量で、この米を生産する水田地帯の呼び名ともなっておりました。
当時、米は一俵当たり正味四斗で、十八貫目(六十七、五kg)の重量でした。
年貢米八十四石(二百十俵)は名主が力のある若者を雇い、肩に担いで土蔵に納められました。
従って米一俵を楽々と担げなければ一人前の百姓として扱われません”

とあります。

当時の村長は、年貢を納めるためには体力作りが必要と、俵担ぎや相撲の大会を催行して体力増強を奨励したのですが、米は大変貴重だったたこともあり、俵に代えてこの「力石」が使われるようになったのです。
かつてこの場所には、土俵があり昭和50年ころまで、毎年子供たちによる相撲大会が行われていました。

さらにその前段では、“水田地帯の呼び名ともなっておりました” とあります。この度あるお宅から、それを裏付ける資料(地図)を提供していただきました。
歴史を感じるこの地図、タイトルは、「千葉県根郷村全図」となっています。
明治22年、ここ寺崎村は他の町や村と合併して根郷村となりました。さらに明治27年に開業した総武鉄道(現JR総武本線)が載っています。その後このルートは、昭和43年に完成した寺崎トンネルを通る現在のルートへと変更されたのでした。

赤い丸をアップにしたのがこちらですが、このころの水田の形は整っておらず複雑な形をしていました。
その中に「八拾四石(はちじゅうしこく)」の地名が記載されています。当時の「じゅう」は「拾」が使われていました。

その後昭和29年、佐倉市が誕生したころ八十四石の水田は耕地整理によって、現在の整った形になり八拾四石の地名は消えたのでした。
この地図ですが、昭和初期ころに作られたものと思われます。

ちなみに耕地整理が完了した後の昭和43年には、下図のようになったのです。