わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

フクシマ再訪(飯舘村、南相馬市)

2011年09月28日 | 震災支援:ボランティア派遣
福島を再訪です。

今回は、RQ市民災害救援センターの作戦会議と視察に参加しました。

RQとは、日本全国のアウトドア団体、自然体験教育団体が結集して創設した災害ボランティアセンターです。

今回のブログは、フクシマの現状を探る視察の様子をお伝えします。

まずは福島駅に集合しました。その数19人。

日本全国の名だたる人たちばかりです。

▼福島駅前の食堂で、RQ市民災害救援センターの作戦会議



最初に、放射線量の高さにより全村避難を余儀なくされた飯舘村に入りました。

飯舘村に入った瞬間に、ぐんぐん上がる放射線量。

そして入った瞬間に、いきなり人間の手が入らない田畑が広がります。


▼飯舘村の放射線測定の値。すごい値です。




▼飯舘村の光景。だれもいない。


生産活動のにおいも音もしない荒涼とした風景。

ここが半年前までは、自然と人間が共生していた里山の風景なのか、と絶句します。

飯舘村は全村避難ですが、幹線道路(国道)が村内を通っているので、案外車が通ります。

今日は、飯舘村から猪苗代に避難している方が、家に日中だけ戻ってこられていたのでお話を伺いました。


▼飯舘村の農家の方。まさに絶望。



たった半年でここまで荒れてしまう農地を見つめて「耐えられないことで、ただただ残念」とうめくように語ってくれました。

田畑の除染もさることながら、山々の除染をどうするのかを考えると、どうしてよいのか思考の外に放り出されてしまいます。

途方に暮れるとは、まさにこのことか。

「まず、ここに帰ってくるのは無理だろう」
「だからといって、今すぐに家を売り払ってなどすることはない」

自然が自然ではなくなってしまった飯舘村。

絶望感の向こう側にある荒んだ空気が支配します。

身体がひきちぎられるように痛い。

身体が本能的に震えます。

原発災害とはこういうことなのだと身体が反応しています。


▼南相馬市の津波被害。


▼津波の直撃をうけた火力発電所


沿岸部の南相馬市は、津波被害と原発被害をあわせもつ複合災害を受けた街です。

人が住んでいる地域もありますが、夜の街のようにこどもが外を歩いていない異様な光景だそうです。

学校が10月上旬にようやく再開されるようです。

全ての学校の除染が進んでいました。

除染でけずりとった土、除染で使った大量の水、それらはいったいどこにいくのか。

人間が制御できないもの、自然では分解しきれない物質を、いったいどこにもっていくのか。

先が見えない徒労感が残りました。

南相馬市からいわき市に移動するのに、わざわざ一度中通りと呼ばれる二本松市まで迂回しました。


日に日に復興に向かうどころか、日に日に見えなくなっていく希望。

フクシマを覆うこの状況に、私たちはいったい何ができるのか。

無力なのか。それとも。

本能が身体を震わせましたが、それでもその震えを克服して、一歩前に進みたい。


▼おまけ


南相馬市の海岸です。

西日を浴びて、長い長い脚が撮れました(笑)

せめて笑顔でいたい。


代表 辻だいち

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