信州泰阜村に帰ってきました。
いわきを11時に出て、泰阜村に着いたのが20時。
経路にもよりますが、やはり東北は遠いと感じた移動の日でした。
さて、昨日はいわきの被災地をめぐっていました。
被災の状況だけではなく、被災からどう復興するのかという人びとの取り組みをみてまわりました。
8割以上の集客減に対しても、果敢に新しい機軸を打ち出して立ち向かう観光施設。
港の形状から、奇跡的に津波被害を最小限に逃れた小さな港街が、街並保存に取り組もうとする現状。
いずれも、現実と法制度の壁が立ちはだかります。
それでも、震災から立ち上がろうとする人々の姿には感動しました。
▼消防団も地元からがんばっています。
▼軽トラにも想いがみなぎっています。
いわき市の沿岸地域。
東北ではここだけかも?という、奇跡的に津波の被害が最小限だった港街。
それでも、隣の家は全く大丈夫なのに、その隣の家は解体撤去で基礎しかありません。
▼基礎だけの家とその隣の家1
この基礎だけの家の人びとの暮らしはどうなってしまったのでしょうか。
この家の人びとの人生は、この地域から切り離されてしまったのでしょうか。
いわきの沿岸の一部は、宮城、岩手のように、街全体が破壊されたわけではない。
街は残っているのです。
でも、街を営む人びとの暮らしが破壊されました。
暮らしの営みが失われた家の基礎と、その横で暮らしが営まれている家を見て、ただただ佇むばかりです。
いっそ街全体が破壊されたほうがよかったのでしょうか。
暮らしと人生と街が、じわじわと断ち切られていくフクシマの叫び。
元に戻るには自然の力をもってしても数万年かかると知ったフクシマの叫び。
その叫びをどうやって聞けばいいのでしょうか。
「時間が解決するさ」と言えない問題が横たわるのが、フクシマなのです。
▼基礎だけの家とその隣の家2
▼基礎だけの家とその隣の家3
津波が突き抜けた商店の壁に貼ってありました。
▼商店に貼りだしてあった紙
この文字をどんな気持ちで書いたのだろうか。
一つ一つの文字に込められた無念の想いと怒りに満ちた想いが、私の身体を突き抜けます。
写真を撮っていいものだろうかとはばかられましたが、やはり伝えなければ。
いつの世も、常に犠牲になるのは、より弱いものです。
原発を押し付けられた過疎地域。
基地を押し付けられた沖縄。
次はいったいどこの弱者が何を押し付けられるのだろう。
この国は、弱いものや弱い地域を犠牲にして成り立ちすぎてしまったのかもしれない。
街がどれだけ復興したとしても、この国を支配する考え方を一度壊して再構築させなければならないのかもしれない。
私たちのような小さな村に住む小さな力しかない人びとができることは、次の世の中をつくる「人づくり」なんだとやっぱり想います。
こんなときだからこそ教育に力を入れたい。
時間をかけても無駄だ、という絶望感が支配する被災地。
その被災地に、時間をかけても人をつくるんだ、という強い気持ちを、ゆっくりと届けたいと想います。
いわきを11時に出て、泰阜村に着いたのが20時。
経路にもよりますが、やはり東北は遠いと感じた移動の日でした。
さて、昨日はいわきの被災地をめぐっていました。
被災の状況だけではなく、被災からどう復興するのかという人びとの取り組みをみてまわりました。
8割以上の集客減に対しても、果敢に新しい機軸を打ち出して立ち向かう観光施設。
港の形状から、奇跡的に津波被害を最小限に逃れた小さな港街が、街並保存に取り組もうとする現状。
いずれも、現実と法制度の壁が立ちはだかります。
それでも、震災から立ち上がろうとする人々の姿には感動しました。
▼消防団も地元からがんばっています。
▼軽トラにも想いがみなぎっています。
いわき市の沿岸地域。
東北ではここだけかも?という、奇跡的に津波の被害が最小限だった港街。
それでも、隣の家は全く大丈夫なのに、その隣の家は解体撤去で基礎しかありません。
▼基礎だけの家とその隣の家1
この基礎だけの家の人びとの暮らしはどうなってしまったのでしょうか。
この家の人びとの人生は、この地域から切り離されてしまったのでしょうか。
いわきの沿岸の一部は、宮城、岩手のように、街全体が破壊されたわけではない。
街は残っているのです。
でも、街を営む人びとの暮らしが破壊されました。
暮らしの営みが失われた家の基礎と、その横で暮らしが営まれている家を見て、ただただ佇むばかりです。
いっそ街全体が破壊されたほうがよかったのでしょうか。
暮らしと人生と街が、じわじわと断ち切られていくフクシマの叫び。
元に戻るには自然の力をもってしても数万年かかると知ったフクシマの叫び。
その叫びをどうやって聞けばいいのでしょうか。
「時間が解決するさ」と言えない問題が横たわるのが、フクシマなのです。
▼基礎だけの家とその隣の家2
▼基礎だけの家とその隣の家3
津波が突き抜けた商店の壁に貼ってありました。
▼商店に貼りだしてあった紙
この文字をどんな気持ちで書いたのだろうか。
一つ一つの文字に込められた無念の想いと怒りに満ちた想いが、私の身体を突き抜けます。
写真を撮っていいものだろうかとはばかられましたが、やはり伝えなければ。
いつの世も、常に犠牲になるのは、より弱いものです。
原発を押し付けられた過疎地域。
基地を押し付けられた沖縄。
次はいったいどこの弱者が何を押し付けられるのだろう。
この国は、弱いものや弱い地域を犠牲にして成り立ちすぎてしまったのかもしれない。
街がどれだけ復興したとしても、この国を支配する考え方を一度壊して再構築させなければならないのかもしれない。
私たちのような小さな村に住む小さな力しかない人びとができることは、次の世の中をつくる「人づくり」なんだとやっぱり想います。
こんなときだからこそ教育に力を入れたい。
時間をかけても無駄だ、という絶望感が支配する被災地。
その被災地に、時間をかけても人をつくるんだ、という強い気持ちを、ゆっくりと届けたいと想います。
代表 辻だいち