わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

福井重油タンカー事故の支援 その2

2011年04月22日 | 阪神大震災、福井重油事故、中越地震の支援
 1997年に北陸福井の海岸で起きた重油タンカー「ナホトカ号」の事故について、紹介します。その2です。
 実は福井は私の故郷です。その時の様子を、当時の新聞記事から。


1997年(平成9年) 1月22日(水曜日) 中日新聞

福井の重油回収 県内の若い力も支援活動
泰阜のダイダラボッチの小中生 11人、駆け付け奉仕
すくい出しやふき取り


 泰阜村田本、通年合宿所ダイダラボッチ(辻英之所長)の子供たち十一人(小学生六人、中学生五人)は十九、二十の両日、ロシア船籍タンカーによる重油流出事故で海岸への漂着被害を受けている福井県坂井郡三国町を訪れ、ボランティアで重油回収作業を手伝った。
 辻所長(二六)は福井市の出身。小正月で実家に帰省した際、三国町で重油回収作業に参加し「一人でも多くのボランティアが必要」と感じ、子供たちに福井からファクスで参加を募った。
 合宿所で生活する子供たちの中には、神戸市灘区から来ている小学生もおり「阪神大震災の時のお礼もしたい」と全員が賛同。十九日が授業参観で、二十日が振り替え休日となっていたことから、十九日午後にマイクロバスで三国町に入った。
 日本海は荒天で、回収作業は二十日の午前中、二時間ほどしかできなかった。しかし、子供たちは、海岸の石を一つひとつ持ち上げ、すき間にたまった重油をすくい出したほか、石に張り付いた重油をふき取る作業に一生懸命に取り組んだという。
十九日は、辻所長の友人宅に泊めてもらい、現地の人から重油が海や環境へ与える影響など、貴重な話を聞くこともできた。
 辻所長は「わずかな時間しか参加できなかったが、小さなカの積み重ねが大切だということを学んだと思う。日本海が元の姿を取り戻すまではしばらく時間がかかる。また機会を見て、ボランティアに参加したい」と話している。(終)

代表 辻だいち

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