阪神・淡路大震災のときに、私たちNPOグリーンウッドと泰阜村は、西宮市、芦屋市、神戸市の被災児童3人を、3年間受け入れました。
そのうちの1人のメッセージを以下に紹介します。
これは、昨年の東日本大震災の後、7月ごろにいただいたメッセージです。
テレビのニュースを見ながら、母はこの頃ずっと阪神淡路大震災での思い出を私に話しています。
兄とともに遠いところまで徒歩で配給物資を受け取りにいったこと。
砂塵が酷くていつもしんどかったこと。
しんどい生活の中で兄にやつあたりをしてしまって、今でもそれを悔やんでいること。
そうしてあの頃の生活を思い返し、最後に必ず言うのです。
私を一年間だいだらぼっち(※)に行かせて良かった、と。
私はあの震災から一年間をだいだらぼっちで過ごし、実家に帰ったときには新しい家と元気な家族と落ち着いた生活がそこにありました。
だいだらぼっちにはテレビがなく、地震の報道を目にして不安を感じることもなかったし、夜間に近くを大きなトラックが何台も走り、家の揺れで目が覚めるということもありません。
砂塵で目や喉を痛めたり、偏る食生活で体調を崩すこともなく、家族に会えない寂しさや不安も、だいだらのみんなが家族みたいに温かかったおかげであまり感じることなく過ごせました。
地震を思い出す暇もないほど新しい出来事や経験が重なり、毎日がめまぐるしくて、当時の私はその日その日暮らしていくのでいっぱいいっぱいで、あまりそのことをきちんと考えていなかったけれど。
その一年、私は関わった全ての人の優しさによって、心を守られ、癒されていました。
後になって当時以上にそのことを実感しています。
あの時迷いなく送り出してくれた家族に。
泰阜村の皆さん。
そしてだいだらぼっちのみんなという、温かく迎え入れてくれた家族に。
時が経つほどに募る感謝の気持ちを込めて。
※NPOグリーンウッドが主催する山村留学事業:暮らしの学校「だいだらぼっち」
阪神・淡路で被災して、心も身体も傷ついた彼女。
小学4年生時代に、泰阜村の「支えあい・お互い様」の風土に包まれて育った彼女。
青年になった今、こんなにも自分の言葉で「感謝」を伝えられるようになりました。
そして、こんな青年が、今、感謝の想いを胸に秘めて、東日本大震災で傷ついた小さな声に寄り添おうとしています。
西日本で傷つき、悲しみ、絶望の縁に立たされたこどもが、時を超えて今、東日本で傷つき、悲しみ、絶望の縁に立たされつつあるこどもたちに、希望を語ろうとしています。
同じ苦しみを味わうからこそ産まれる縁を、豊かに紡いでいきたいと想います。
次回も、阪神・淡路大震災の被災児童のメッセージを紹介します。
そのうちの1人のメッセージを以下に紹介します。
これは、昨年の東日本大震災の後、7月ごろにいただいたメッセージです。
テレビのニュースを見ながら、母はこの頃ずっと阪神淡路大震災での思い出を私に話しています。
兄とともに遠いところまで徒歩で配給物資を受け取りにいったこと。
砂塵が酷くていつもしんどかったこと。
しんどい生活の中で兄にやつあたりをしてしまって、今でもそれを悔やんでいること。
そうしてあの頃の生活を思い返し、最後に必ず言うのです。
私を一年間だいだらぼっち(※)に行かせて良かった、と。
私はあの震災から一年間をだいだらぼっちで過ごし、実家に帰ったときには新しい家と元気な家族と落ち着いた生活がそこにありました。
だいだらぼっちにはテレビがなく、地震の報道を目にして不安を感じることもなかったし、夜間に近くを大きなトラックが何台も走り、家の揺れで目が覚めるということもありません。
砂塵で目や喉を痛めたり、偏る食生活で体調を崩すこともなく、家族に会えない寂しさや不安も、だいだらのみんなが家族みたいに温かかったおかげであまり感じることなく過ごせました。
地震を思い出す暇もないほど新しい出来事や経験が重なり、毎日がめまぐるしくて、当時の私はその日その日暮らしていくのでいっぱいいっぱいで、あまりそのことをきちんと考えていなかったけれど。
その一年、私は関わった全ての人の優しさによって、心を守られ、癒されていました。
後になって当時以上にそのことを実感しています。
あの時迷いなく送り出してくれた家族に。
泰阜村の皆さん。
そしてだいだらぼっちのみんなという、温かく迎え入れてくれた家族に。
時が経つほどに募る感謝の気持ちを込めて。
※NPOグリーンウッドが主催する山村留学事業:暮らしの学校「だいだらぼっち」
阪神・淡路で被災して、心も身体も傷ついた彼女。
小学4年生時代に、泰阜村の「支えあい・お互い様」の風土に包まれて育った彼女。
青年になった今、こんなにも自分の言葉で「感謝」を伝えられるようになりました。
そして、こんな青年が、今、感謝の想いを胸に秘めて、東日本大震災で傷ついた小さな声に寄り添おうとしています。
西日本で傷つき、悲しみ、絶望の縁に立たされたこどもが、時を超えて今、東日本で傷つき、悲しみ、絶望の縁に立たされつつあるこどもたちに、希望を語ろうとしています。
同じ苦しみを味わうからこそ産まれる縁を、豊かに紡いでいきたいと想います。
次回も、阪神・淡路大震災の被災児童のメッセージを紹介します。
代表 辻だいち