愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

感染爆発

2021-08-11 | 日記

首都圏での新型コロナの感染拡大は感染爆発と呼ばれ始めているようだ。感染の増加も抑制できず、拡大元の増加と拡散がさらに拡大速度を高めていくという過程は、まさに「爆発」と表現するべき状況だと感じる。「感染拡大が制御できなくなり、もはや感染は妨げられることなく拡大し続けている」といった様相を呈している気がする。

 爆発のステージに入ったら、それを封じ込めるのは不可能に近い気がする。止めるには元を絶つことしかない、つまり感染源となる人々を社会から隔離することしかないが、医療機関に隔離するにも場所がない。さらに感染していても症状が無い人々が居て、そういう人々は自分が感染していることが分かってないので、「誰が感染源となり得るのか」が分からない。

 もしイギリスのように(多少の誤差はあるが)簡便にコロナ感染を自己判定できる検査キットを配ってくれたら、ある程度は感染源の人々の行動を自己規制させられるかも知れない。自分が陽性だと分かった人の多くは、外出したり人と会うことを控えてくれるだろうと期待するからだ。何にしろ、かなりの覚悟をもって手を打たないと、この爆発は際限なく広がって生きそうだ。

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夏の甲子園

2021-08-10 | 日記

夏の甲子園、全国高校野球大会が始まった。昨年は高校野球の全国大会が春も夏も中止になったので、今年は是非、夏の甲子園大会を実現してあげたいと思う気持ちはある。しかし、同時に新型コロナ感染拡大の現状を見ていると、オリンピック閉幕に続いて甲子園大会の開幕に至るまで、コロナ感染拡大下での開催に疑問も議論も無いままに、至極当然のように「予定通り」進んで行こうとしていることには少なからず違和感がある。

 確かに首都圏に比べれば少ないとはいうものの、大阪・兵庫の感染状況だってかなり深刻と言わざるを得ないし、実際に大阪府知事はこの状況を危機的に捉えている。「無観客」と決まっていたから特に大きな疑問や懸念を表明する必要も無かったのかも知れないが、この状況下の甲子園大会について少しは不安や疑問の意見がありつつの開催になるのかと思っていた。

 しかし、現実にはほとんど何の疑問も不安も表に出て来ないまま、当然の如くに開会式のニュースが流れ、夏の甲子園大会の中継が行われていった。「オリンピックをやったのだから甲子園も当然」と言うような空気感もあるように感じた。「緊急事態宣言が出ていても人流が増え続ける」という状況はこのような「空気感」に基づいて生まれたのだろう。すでに「○○日後にはパラリンピックが始まる」と言うニュースも、当然のように流れて来る。

 これでは「危機意識が下がる」のは無理からぬことのように思える。この上は、甲子園大会を契機として関西地方や出場校・地元での感染クラスター発生などが起きないように心から願うのみである。

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3回目のワクチン接種

2021-08-09 | 日記

政府が「3回目のワクチン接種の検討を始めたらしい」というニュースを見た。「1回目・2回目もまだ打ててない人が多い中で、3回目の検討って何なの?」という疑問も出ていた。その疑問を持つ人はかなり居ると思うが、必要となるのなら検討は早く始めた方が良いという事も確かである。

 「手を付けるのが遅い」と言われ続けた政府としては、半年・一年先の必要性を考えて検討を始めて当然とも思う。しかし一方では、そんな先の事より、目の前の1回目・2回目のワクチン接種についての見通し、ワクチン入手状況の正確な情報を出すのが先だということは間違いなく言える。

 出す情報はきちんと出して、丁寧に説明を行いながら、その一方でかなり先の別の状況をも検討していくというのがあるべき姿だろう。マスコミが先走りし過ぎるのか政府の姿勢がバラバラなのか、内情を正確には知るわけでは無いが、マスコミを通じて流れてくるニュースを聞く限り、政府に一貫した方針と態度があるようには聞こえてこない。

 「3回目のワクチン接種」の必要性にしても、報道では「新たな変異株の感染に対しては、2回のワクチン接種では十分でない可能性がある」と言うだけ。従来株には95%程度の有効性があるのに、なぜ変異株には有効性が下がると考えるのか根拠の説明もない。ただ漠然と、もう一度ワクチンを接種すれば抗体価が上がって予防効果があるのだろう?というニュアンスだけが伝わって来る。ワクチンメーカーの見解も「低下する可能性がある」というだけ、どの程度のデータに基づく考察なのか分からない。

 ワクチン効果の低下の原因が抗原タンパク質の変異にあると考えるなら、同じ抗原を使ったワクチンを接種して抗体を増やしても、その有効性には疑問が残る。とにかく血中抗体価を高く保つというのならば、数か月ごとに何度も打ち続けないといけないことになるが、例えば麻疹や風疹の予防接種を「血中抗体価が下がらないように何度も打ち続ける」なんて聞いたことも無い。

 「3回目」が変異株への対応だと言うのなら、それは変異株に対して設計された新しいワクチンの導入を考えての事でなければ理屈に合わない。ウイルスの持つ1種類のタンパク質だけを接種し続けるという、奇妙な対応としか思えない。ワクチンに関しては何故か「中和抗体」の効用だけが説明されるが、抗体の持つ作用は細胞への感染を阻害する「中和作用」だけじゃない。

 抗体にはウイルス排除につながる別の作用もあるわけで、それにはウイルスが持つ様々なタンパク質に対する多種多様な抗体を作らせる「弱毒化・不活化ワクチン」の方が有効なのでは、という気もする。国産を含めていくつかの「不活化ワクチン」が開発中と聞くが、なぜその点に言及することもせず「ファイザー、モデルナのワクチン」の取り合いだけを想定するのか不可解だ。自分が3回目を接種するなら、そのような不活化ワクチン(できれば国産)の方が良いのではないかという気がしている。

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閉会式

2021-08-08 | 日記

閉会式の中継を見ていて思った。観客席に誰も居ない分、選手たちとボランティア・役員の閉会式になって良かったと。開会式もそうだったが、閉会式も比較的質素で簡潔な式典だったと感じた。あそこまで画像を使うのなら、閉会式にはもっと実際の選手の姿を映し出して欲しかったと感じたし、メダリストに成れなかった選手達の印象的なシーンや、この大会で引退するレジェンド達の姿に賞賛と敬意を表すような、選手主体のセレモニーに出来ないものかとも感じた。

 多くの競技が無観客だったせいで、選手達の声がよく聞こえた。より臨場感も高まり競技に掛ける選手たちの迫力もよく伝わった。時折り聞こえて来る各国選手団・関係者からの声援や拍手が、競技の進行に的確に沿ったものになっていて、応援する仲間達の気持ちもよく伝わって来た。テレビ中継を見ながら、本来のスポーツの競技会の緊張や興奮というのはこういうものなのだろうと思ったりもした。

 本来の競技会の姿を感じたのと同時に、オリンピックのあるべき姿も見せられたように感じた。選手たちが主役、競技者が主役で、彼らが互いに競い合い、高め合うと同時に、互いを認め合い尊重し合う姿を見るのがオリンピックの醍醐味なのだと。それ以外の商業的な飾りや国の威信の維持・高揚のための演出などは、全く邪魔でしかない。

 今回は感染拡大の状況下で図らずも無観客となったおかげで、結果的に「オリンピックの歴史の中でも意義深い大会になった」のだと感じる。世界のどこからでもテレビなどで競技を観戦できる時代、そして競技日程がテレビ中継の都合と放映権料に左右されるくらいなら、いっそこれからも「オリンピックは無観客で」を貫いても良いのじゃないか?と思わせた。

 一人一人の選手の姿は「世界選手権」やワールドカップで見ることが出来る。オリンピックはスポーツ関係者だけが集うアスリート達のある種神聖な競技会として、国籍を超えて競い合い称えあう大会になれば良いと感じた。ボツワナの800m走選手がインタビューに答えて、「東京オリンピックは新型コロナ感染が始まって以降初めて世界が一つになった体験だ」と言っていた。閉会式の中継を見ながら、「世界の様々な競技のアスリートが4年に一度、一堂に集まり、競い合い、認め合い、尊敬しあう」ことの意義を、私達はパンデミックの下にあってもなお、再確認することができたのだと実感した。

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オリンピックの後は

2021-08-07 | 日記

東京オリンピックのゴルフ最終日を朝から見ていた。稲見選手の見事な4連続バーディーでの追上げ、プレーオフを制しての銀メダルは賞賛に値すると思いつつ、このオリンピックが日本に残していくものを考えてしまう。異例中の異例とも言うべきオリンピックは明日の夜・閉会式で終わりとなる。

 東京オリンピックは確かにオリンピック運動の一つの転機となって行くかもしれない。ただし、この大会はパンデミック下でのオリンピック開催のモデルと成り得ただろうか? さらに、SDGsをテーマとしたオリンピックだったと評価され得るだろうか? テーマの一つだった「復興五輪」は何処に表現されていただろうか?。一年の最高気温を迎える中での開催したという時期選択についても、マラソン・競歩の札幌への移転やマラソン参加選手の1/3の途中棄権をどう捉えるべきか? 女子サッカーなどの土壇場での競技日程変更という結果を踏まえて大きな問題があったと考えるべきだろう。

 もう一つの大きなテーマだったパラリンピックとの連携はどうなるだろうか?。オリンピック期間中に急速に膨らんだ首都圏の感染状況が、これから全国的に急速な感染拡大に繋がって行けば、パラリンピック開催に対する抵抗感は増していくことが考えられる。予測し得る様々な事態にの全てにおいて、「パンデミック下だからやむを得ない状況だった」という言い訳が果たして通るだろうか? 政府が有効な手を打っていれば、五輪期間中の感染拡大ももう少し抑えられた、と考えることはできないだろうか?。

 様々な問題を残したままの五輪閉会になるが、すべて明日の夜を過ぎれば「五輪は過去の事」となってしまうだろうか?。せめて終わった後には、論理的な原因究明や持続的な反省を行って欲しい。「何だかんだと言っても、あなただってオリンピックを見たのだろう」と反省論が抑え込まれ、これまで同様に「なんとなくだが、五輪をやって良かった」という妙な納得感だけを受け継ぐのでは、なんともやるせない。競技に全力を尽くした選手への応援・賞賛と、大会運営にあたった政府・組織委員会への責任追及とは別問題なのだ。

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