若者に手伝ってもらって本棚の片づけをした。家の本棚に新しい資料や本を並べるスペースが無くなり、昔の定期購読していた本が読まれないまま並んでいた場所を、開けることに決断したのだ。一時期定期購読していたナショナルジオグラフィックは、最初の頃はいくつかの記事を読んでいたが、忙しくなると届いたまま読まずに並べるだけになっていた。少しくらい古くても雑誌の売りでもある写真は綺麗なままだし、記事にしても別に最新情報である必要も少ない。そのうちに時間が出来たら読めば良いと思っていたわけだ。
もう一つの雑誌は所属団体のもので、会員となって会費を払っていれば定期的に届く。ある意味、その団体に所属していることの証しのようなもので、すべての巻号に興味深い記事があるわけでは無いが、時々は会員仲間の書いたものが載っていたりする。仕事上ではメインの団体ではなくなった後も、半分は付き合いと自分の出所を忘れないためにと言うような意味で残していたが、さすがに本棚の一段を提供しつづけるには無理が生じていることを認めざるを得なくなった。
そんなわけで、5年くらい前の本棚整理の際には生き残っていた雑誌類を数十冊ずつ処分して場所を開けた。手に取ったナショジオをパラパラとめくって見ると、紙も未だ変質しておらず写真もまだ元のまま。「ナショジオはさすがだな」と惜しい気持ちになる。だが写真はともかく、既に10年以上も経った記事の内容については現在の社会や文化を表しているというより少々歴史的な記録となりつつあるだろう。もし今から読むのなら、定期購読を再開した方が良いと思い、廃棄処分を納得。
本棚の整理は、やり始めるとそのまま続きそうで、この際、必要性の薄いものをすべて処分したくなるが、取り敢えず2か所で段を開けたところまで。そして、これまで整理できずにいた本や資料を空いたところに並べると、もはや空スペースは半分以上埋まってしまった。その中には、未整理の写真やアルバムなどもあり、これらの整理は定期購読所を纏めて捨てるような具合には行かないのだ。せっかくの空きスペースも、さらに整理の厄介な物に占領されて行き、「これは誰がいつ整理するのだろうか?」などと他人事のように思えて来る。
年を経るごとに身体には贅肉が、身の回りには「整理の付かない品物」が増えていくものらしい。「人生の三分の一は寝ている時間」と言うが、さらに「人生の三分の一を整理し捨てることに費やす」ことに、もっと早く気付くべきだったかもしれない。それを知らずに過ごしたせいで「残りの人生の半分以上を整理と処分に費やす」か、「整理できない人生の残り物をそのままにして積み上げる」のかという見っとも無い選択に迫られてしまいそうだ。でも「何に価値があるかは、直ぐにその場では分からないことが多い」ので、その決断がどうしても数年後になってしまう・・・というのが言い訳である。