愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

カブール陥落

2021-08-16 | 日記

朝、「タリバンがアフガニスタンの首都カブールを占拠」というニュースに驚く。数日前からアフガン各地の州都が次々とタリバンの手中に落ちたというニュースは耳にしたが、まさかこんなに早く首都までが陥落するとは。首都に迫る、というだけでも驚きだったと思うが、「すでにアフガン政府は崩壊し大統領は国外に脱出」という所まで数日とは早すぎる。以前から時々は首都での爆弾攻撃があったくらいだから、首都や首都周辺にはもともとタリバン勢力が潜伏していたと受け止めるべきかもしれない。それにしても、欧米諸国が支援していたはずのアフガン政府の脆さを目の当たりにした気分だ。

 ああ、またか!と、「ベトナム戦争」の幕切れを思い出す。その時にはまだ、北ベトナム軍の本格攻勢が始まってから南ベトナム首都の陥落まで、1カ月近くは掛かったような記憶があるが、今回は一週間程度での首都陥落・政府崩壊である。アメリカが20年近く掛けて資金と兵力をつぎ込み「育てた」というアフガン政府と政府軍の脆弱性が、ありありと証明されたような結果だ。

 こうなってから「アメリカの目的は既に達成されている」とか、「アメリカはアフガンの民主主義政府の確立のために出兵したのではない」と言い訳を始めた。「それなら、どうしてもう10年も前に撤退していないのか?」「なぜ、市民への誤爆をも顧みず執拗に無人機からの攻撃を繰り返して来たのか?」と聞かなければならない。それならばなぜ、「アメリカの目的を達成した」というアルカイダ最高幹部殺害の後もアフガンに駐留し続けたのか?と。確かにアメリカは「アフガンをもっと民主的な、より良い国にする」と言ってアフガン攻撃に着手したはずだったと思う(本心は知らないが)。アルカイダ殲滅が目的だったとすれば、アルカイダに無関係な(むしろ対立的だった)軍事組織の兵士を捉えて非人道的な扱いで苦しめる必要もなかったはず。

 ベトナムでもそうだったし、イラクでもおそらくそうだったが、アメリカは自分の価値観を押し付け自分達のやり方を押し付けるだけで、現地の民間人の気持ちや文化・風習への配慮を欠いたやり方で駐留し戦争を継続して来た。場合によっては現地の人々が英語を理解できない事すら許容しようとしない。イラクでは、米軍基地の中で使われる「ストップサイン」を無視したからと、町から逃げて来た車に発砲し乗っていた4人の女性全員を射殺したが、「仕方なかった」で済ませてしまった。アフガン侵攻後も、婚礼の祝いに風習通りに空に向けて発砲した人々を、「ヘリコプターに向けて発砲した」として攻撃、婚礼の祝いに参加した多くの村人を殺害した。

 要するに、「侵攻する米軍がその地域の言葉や風習を知るべき」なのではなく、昨日までアメリカと無関係だった「地域の民間人が米軍の立場や攻撃の方法を理解しておくべき」なのだということ。外国軍隊が入って来てそんな風に振舞われたら、地域住民が不信感と嫌悪感を持つのは当然だと思うが、それを改善することも無い。その上で「米兵の命の安全が最優先なのだ」と誤爆も誤射も「仕方がない事」だと言い続ける軍隊やその軍隊に守られた権力体制が、アフガンの人々からの支持を集められないのは当然の帰結だったろう。

 米大統領の「アフガン撤兵の決断」は、「米軍はその間違いをとくに正すつもりがない」という宣言にも聞こえて来た。「やれるだけのことはやったのだから」ではなく、「やりたいことはやったのだから」もう留まる必要は無いと。「カブール陥落が想定外に早かった」と米国政府が認めたというが、それは「遅かれ早かれカブールの陥落は想定していた」という風に聞こえて来る。そして、一応は驚いたふりをしているものの、実は「この早期のアフガン政府の崩壊も、ちゃんと想定内だったのではないか」と深読みして見たくもなる。アメリカという国が他国に住む人々の気持ちに気付くには、まだまだ時間が掛かりそうだ。

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敗戦か終戦か

2021-08-15 | 日記

8月15日は「終戦記念日」だという。ある人々は「敗戦記念日」と名付けている。「終戦」と「敗戦」のどちらでも良いという人々もいるが、「敗戦」と言わず「終戦」にこだわる人が居るし、あれは「終戦」ではなく「敗戦」と言うべきだという人もある。確かに歴史として、それが「無条件降伏」を受入れた紛れもない「敗戦」だったことを今更疑う人は居ないだろう。

 同時に、多くの日本人にとってその日が「戦争が終わった」と安堵した日であり、彼らには敗戦でも何でも良かったのだという気もする。確かに、その日まで「絶対に勝つんだ」と竹やり訓練に明け暮れたり軍需工場に動員されて武器を作っていた毎日の中で、「敗けたんだ」という虚しさや悔しさがあったに違いないが、自分の親たち世代の多くの人から聞かされた率直な感想では「もうこれで空襲に逃げ惑う必要が無くなった」という安堵や嬉しさの方がむしろ強かったと感じるからだ。安堵感と共に「ああ、自分は戦争を生きのびた」という嬉しさを感じたという。

 実際、8月15日は「無条件降伏受諾の玉音放送があった日」であり、戦後を生きた多くの人々に降伏による戦争終結を知らしめた日であるが、正式に戦争が終わった日ではない。正式な「戦争終結」は9月2日に日本が降伏文書に署名した日であり、外地にいた日本軍の多くは8月末まで戦争を続けていた。それから言えば、本来は9月1日か2日を戦争終結の日にするべきという気もする。しかし、おそらく連合国側にしても「無条件降伏の受諾」をもって勝利を喜んだのだろうから、8月15日は人々の「心の中の戦争終結の記念日」と言えるかも知れない。

 8月15日になるとそんなことをいろいろ思わされる。「終戦の日」という名称にこだわる多くが「あれは正義の戦争だった」と言ったり、正義と言わないまでも「それなりの儀があった」と説明したがる。「国を守る戦争」との意義付けも同様だろう。「敗けた」と認めたくない気持ちの表れなのだろう。しかしあの戦争に「大儀」を掲げて打って出た立場に人々こそ、その「大儀」が打ち砕かれ敗れ去った紛れもない「敗戦」を悟った日であるはず。その戦争に政府によって狩り出され、戦場に送られたり軍需工場で働かせられた民間人の多く、あるいは空襲に逃げ惑い軍人に脅されて仕方なく竹槍訓練を続けていた人々にとっての8月15日は、「ともかくも、これで何とか明日からも生きていけると希望を抱いた日」という意味合いが強く、戦争の惨禍から逃れられた「戦争が終わった日」であっただろうと思える。

 この日を迎えるたびに、戦争の大儀」や「日本は絶対に勝つ」と思い詰め信じ込んでいた人々が心から「敗戦の日」と受け止め、逆に「戦争の終結」に安堵した人々が素直に「終戦の日」と口にできるようになれば、この国の平和に関する議論ももう少しまっすぐなものになる気がするのだが、そうはならないのだろうか。

 

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真夏の大雨

2021-08-14 | 日記

「大雨の朝に アサガオもうなだれて咲く」8月に入ってやっと多くの花を咲かせるようになったアサガオが、今朝も強い雨に打たれて咲く前からうなだれてしまっている。複数の株からの蔓が棒やネットをつたって這い上がり、それぞれにピンクや紫、青とさまざまな色に咲く花々を楽しめるようになったのに。朝早くに見てみても、広く開くことが出来ず雨に打たれた花弁が下向きに窄められて垂れ下がっている。一日も早く、晴れた朝に気持ちよさそうに上向きに咲き開く色とりどりのアサガオの花を眺めたいものだ。

 8月に入り、「さあ、いよいよ夏の甲子園大会」という時期に長々と横たわる停滞前線である。大陸からの「寒気」と太平洋からの「暖気」がせめぎ合っているのは分かるが、「なぜこの時期に?」と不思議になる。それは梅雨前線なのか、暦は立秋を過ぎているので秋雨前線なのか?。いずれにしても、この雨量の多さは日本近海、特に東シナ海の海面温の高さによるのだろう。気象庁のまとめによれば、海面温の1℃上昇が20%近い雨量の増加をもたらしているそうだ。地球の温暖化に伴って季節による気圧配置の変化も不規則になり、低気圧や前線が出来れば雨の量が増える。ここ数日は、その両方が重なって真夏の大雨となっているのだろう。九州から東北地方まですべてを被うような雲の塊を見るのも初めてのような気がする。

 おそらく、この様な季節変化の不規則性と気象現象の過激化はこれからも毎年続くのだろう。今後、町や社会の将来像・未来への希望を話すとき、そのような天候の変異をはっきりと視野に入れた話をしなければならなくなる。世界を語る時には、その必要性はもっと切迫している。人々はまだ、地球温暖化問題を語るとき以外、そのことを忘れていつも通りの天候下での将来計画を話しているように思える。この大雨が終わる時、またその危険性を身に詰まされているだろう。逆に言えば、私たちは少しずつ地球温暖化の影響を知らされ、一歩一歩その意味・脅威を日常の中で認識するようになって行くしかないのだろう。

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オリンピックの余韻

2021-08-13 | 日記

オリンピックの余韻はまだ続いている。さまざまな番組にメダリスト達が出演したり、市長に噛まれたメダルの交換がニュースになったりと。オリンピックを開催して良かったかどうかという世論調査には、6割程度が「やって良かったと思う」と答えたという。開催直前には「無観客での開催なら」を含めて6割くらいが開催容認派と成っていたので、その世論調査の結果には矛盾が無いとも思える。

 もともと「オリンピックそのもの」に反対する人々はかなり少数で、新型コロナ感染拡大下での「開催方法」に対しての意見が様々に割れていたのだから、結果的に終わったオリンピックを「是」とする人達が大半を占めてもおかしくはない。しかし、もし「現在の新型コロナ感染拡大にはオリンピック開催の影響があると考えるか?」と聞けば、やはり多くの人々は「そう考えている」のではないだろうか。

 つまり「やって良かった」と感じている人々も、必ずしも「開催方法が良かった」と答えるとは限らない。開催以前の政府や東京都、組織委員会の説明が適切だったと思わない人は多いだろう。それら三者は「とにかく開催してしまえば、オリンピックの感動と熱狂で、それまでのプロセスは誤魔化せる」と思っていた感を拭えない。

 オリンピック開催を望んでいた自分としても、「オリンピックをやって良かったが、もっと多くの人々で開催する意義を共有し、期間中も(感染拡大の契機となった大会と言われないために)皆で感染抑制に努めながらのオリンピック開催にしたかった」というのが正直な気持ちである。もしこのまま日本が最悪の状況に陥ったとしたら、世界の人々は「やはりコロナ禍でのオリンピック開催には無理があったのではないか」と感じるようになるだろう。

 そうなれば、今は開催を素直に感謝している世界のアスリート達に、「自分達が望んでいたオリンピックを開催したせいで日本が悲惨な状況になってしまった」という負い目を感じさせてしまうことだってあり得る。「ありがとう」と喜んでくれたアスリートに「自分達のために申し訳なかった」などと言わせないために、本当の意味で「安心安全のために皆が一致して努力するオリンピック」にして欲しかったという思いが残る。だが、すでに「感染爆発」と言うべき状況になってしまった以上、「オリンピックとは無関係と考える」などと責任逃れするのではなく、何とか人心を感染抑制に傾けるための「納得できる」「科学的思考に基づく」施策を打ち出して欲しいと思う。

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御巣鷹山

2021-08-12 | 日記

今年も「御巣鷹山」の名がニュースに乗って聞こえて来た、初めてその名を聞いたのが36年前だったということも。日本航空ジャンボ機が墜落し520名が亡くなった事故だ。夕方に羽田を飛び立ってしばらく後に行方不明となり、夜になって群馬・長野の県境が接する辺りの山麓が燃えているのを見たという情報が入ったが、次の日になるまで正確な場所が特定できなかったことを思い出す。朝になって人が山に登って行って初めて場所を特定できたが、なぜ空から見つけることが出来なかったのか不思議に思った事故だった。

 毎年この時期になると、この「御巣鷹山」の事故の追悼のニュースが流れるが、なぜか他の航空機事故に関してはニュースを聞かない。ローカルニュースでは流れているのだろうか。調べてみると、雫石上空での全日空機と自衛隊機の空中衝突事故からは丁度50年になるようだ。50年前、約8000m上空で自衛隊機が旅客機に追突し、戦闘機パイロットはパラシュートで脱出したが、旅客機は墜落途中に空中分解し162名全員が無くなったという事故、当時の防衛庁長官が責任を取って辞任したという大事件でもある。4000m付近でバラバラになったと推定されている旅客機に乗っていた犠牲者はかなり広い範囲に落下したという痛ましい事故で、遺体の損傷はかなり凄惨な状態だったという。

 7月30日と8月12日、年は違うが日付の近い2つの事故。片や羽田を目指していた旅客機で他方は羽田発の旅客機で、同じように首都圏の乗客が多かったと思われる。確かに520名という犠牲者はかなり多いけれど、毎年「御巣鷹山」が事故の概要を含めて全国ニュースで報じられるのと対照的に、「雫石」での事故や慰霊行事のニュースはほとんど聞いたことが無いのを不思議に思わされる。「雫石事故」を報じることで、必然的に、後ろから旅客機に衝突した自衛隊機の責任があらためて浮き上がることを避けようという「忖度?」が働いているのだろうかと深読みしたくもなる。

 御巣鷹山の事故から36年、今はジャンボ機も旅客機としては姿を消した。航空界も「一度に多くを運ぶ」ことへのこだわりを捨てたようだ。「雫石」の前にも何度か起きていた航空機墜落事故、調べると1966年には1年間に国内での墜落事故が5件も起きている。うち4件は旅客機で、乗員乗客全員が亡くなる事故、「松山沖のYS11墜落事故」では新婚旅行に向かう多くの新婚夫婦が亡くなっている。御巣鷹山の墜落事故から36年、その間に不時着や着陸時の事故は起きたが墜落・全員死亡という航空事故は国内では起きてないように思う(小型機やヘリコプターでは起きているが)。旅客機の安全性と運航における安全確保が進んだことを感じる。「御巣鷹山」のニュースを機に、空の旅行の安全性が確立されるまでの多くの犠牲者を共に思い起こし、彼らに追悼の祈りを捧げたい。

 

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