オリンピックの余韻はまだ続いている。さまざまな番組にメダリスト達が出演したり、市長に噛まれたメダルの交換がニュースになったりと。オリンピックを開催して良かったかどうかという世論調査には、6割程度が「やって良かったと思う」と答えたという。開催直前には「無観客での開催なら」を含めて6割くらいが開催容認派と成っていたので、その世論調査の結果には矛盾が無いとも思える。
もともと「オリンピックそのもの」に反対する人々はかなり少数で、新型コロナ感染拡大下での「開催方法」に対しての意見が様々に割れていたのだから、結果的に終わったオリンピックを「是」とする人達が大半を占めてもおかしくはない。しかし、もし「現在の新型コロナ感染拡大にはオリンピック開催の影響があると考えるか?」と聞けば、やはり多くの人々は「そう考えている」のではないだろうか。
つまり「やって良かった」と感じている人々も、必ずしも「開催方法が良かった」と答えるとは限らない。開催以前の政府や東京都、組織委員会の説明が適切だったと思わない人は多いだろう。それら三者は「とにかく開催してしまえば、オリンピックの感動と熱狂で、それまでのプロセスは誤魔化せる」と思っていた感を拭えない。
オリンピック開催を望んでいた自分としても、「オリンピックをやって良かったが、もっと多くの人々で開催する意義を共有し、期間中も(感染拡大の契機となった大会と言われないために)皆で感染抑制に努めながらのオリンピック開催にしたかった」というのが正直な気持ちである。もしこのまま日本が最悪の状況に陥ったとしたら、世界の人々は「やはりコロナ禍でのオリンピック開催には無理があったのではないか」と感じるようになるだろう。
そうなれば、今は開催を素直に感謝している世界のアスリート達に、「自分達が望んでいたオリンピックを開催したせいで日本が悲惨な状況になってしまった」という負い目を感じさせてしまうことだってあり得る。「ありがとう」と喜んでくれたアスリートに「自分達のために申し訳なかった」などと言わせないために、本当の意味で「安心安全のために皆が一致して努力するオリンピック」にして欲しかったという思いが残る。だが、すでに「感染爆発」と言うべき状況になってしまった以上、「オリンピックとは無関係と考える」などと責任逃れするのではなく、何とか人心を感染抑制に傾けるための「納得できる」「科学的思考に基づく」施策を打ち出して欲しいと思う。