愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

鯉のぼり

2021-05-05 | 日記

5月5日は子供の日、端午の節句である。昔なら、4月の末頃からあちこちの家に鯉のぼりが立ち、五月晴れの青空に泳いでいる姿もごく普通に見られたものだ。そんな情景が見られたのはもう一昔以上、10年一昔ならおよそ二昔も前のことになる。自分が育ったのは町中だったので、近所で見る鯉のぼりは戸建ての家の庭隅に立てる程度のもの、住宅街の電柱の高さを超えない程度のもの。大きな真鯉がせいぜい3mくらいで、2mくらいの緋鯉と二匹が電線の邪魔にならないように窮屈そうに揚げられていた。

 大人になって車で郊外をドライブするようになると、農家の広い敷地の端に立つ高い支柱に泳ぐ大きな鯉のぼりや、色とりどりの長い吹き流しを目にするようになった。童謡そのままの「屋根より高い鯉のぼり」、それも10m近い大きな鯉のぼりが尾びれをはためかせ緋鯉や「子供たち」悠々と青空に泳ぐ姿があちこちに見られ、5月5日の休日にはその姿を見るのが郊外に出掛ける楽しみの一つだった。

 ところが、10年近く前にはそんな郊外でも鯉のぼりを見掛けなくなり、デパートの鯉のぼりの売り場も無くなった。団地のベランダにも小さな鯉のぼりを見掛けることが無くなり、今はもう5月5日に端午の節句を思わせる情景すら消えてしまった。そう言えば、「鯉のぼり」の歌とセットで思い出す「背比べ」の歌詞、「ちまき食べ食べ・・・」といつも5月が来るたびに思い出した「ちまき」も見なくなった。

 「柱の傷はおととしの・・」と背丈を記して傷つけた柱は、今じゃ壁紙に被われてしまっている。童謡のまま、昔の姿を変えないのは、たまにテレビで見る「富士の山」だけとなった。その一番高い「富士の山」は初めて見た時の姿のままで雲の上から我々を見下ろし、目の前の生活に追われ続け老いていく人間たちに「たまに空を見上げて、変わらぬ悠久の時の流れを見ることも大切なのだよ!」と語りかけている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする