そよかぜ日記

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飯森山歴史紀行

2020年06月06日 | 歴史探訪

 JR四条畷駅からスタートし、野崎駅まで飯盛山を歩いてきました。 飯盛山は大阪府と奈良県の県境に位置する生駒山地の北端にある標高 314mの南北に細長い山です。 北と西はとても険しい急斜面で、東は深い谷となっていて、軍事的に守り易い一方、大阪平野を一望でき、遠くは京都まで見渡せることから、山城を構えるには適地と言えるでしょう。
 現在放映中の大河ドラマ「麒麟が来る」(新型コロナウイルスのため一時放映中断)にも登場する三好長慶は、一時は近畿と四国の大部分を治め、織田信長より早い「最初の天下人」として知られていますが、この山に日本で初めての石垣を使った城を構築しています。

 上の城址マップを見ると、北側(上のマップでは左側)を防衛のための、南側を生活のための空間としていたようで、「天下人の城」にふさわしい威容を誇る山城だったようです。

 上のような石垣の跡も所々に残っています。 しかし初めに書いたように、軍事上の重要性に着目されていたのは三好長慶に始まりません。

 上は二の丸跡に地元の中学校校友会が大正時代に建てた飯盛山の史蹟を刻んだ碑です。 碑文は次のように書かれています(読み易くするため、スペースを入れました)。

標高三一八米 地質花崗岩
建武年中北條氏の餘黨此に據り楠木正成之を討ちたりと傳ふ 正平三年一月四條畷の戦に方り高師直の軍此を占む 楠氏没落後畠山氏河内を領するに及び天文年中其臣木澤長政をして城郭を構へしむ 永禄のころ三好長慶威を近畿に振ふに至りこれを略取して数修築を加ふ 其規模頗る宏大 三好氏十有餘年間軍事庶政の本據たりしが後織田信長の近畿一統に至りて城廢せらる 現存せる城址は実に當年のものなり
大正十三年一月廿六日  大阪府立四條畷中學校校友會

 上の碑文にも書かれていますが、南朝の楠木軍が高師直・佐々木導誉らの北朝室町幕府軍と戦った「四條畷の戦い」で後者が勝利したのは、高師直が飯盛山を占拠していたことも大きいと言われています。 飯盛山の山頂にはこの戦いで戦死した楠木正行(まさつら:楠木正成の嫡男)の像が立てられており、麓の四條畷神社の主祭神は楠木正行です。

山頂の 楠木正行像

 ところで、この4月から、上記の高師直・佐々木導誉らも登場するNHK大河ドラマ「太平記」の再放送が始まっています。 同じ年に飯盛山が関係する2つの大河ドラマというのも、何か不思議な気がします。

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