原美術館にのソフィ カルの2つの作品が来ている。
第12回イスタンブール ビエンナーレ(2011年)で
話題を呼んだ「最後に見たもの」(2010年)、「海
を見る」(2011年)の2作品。ともにイスタンブール
で撮影した写真と文章で構成されていて、見えること、
見ることへの物語が展開する。そう、彼女は物語の人。
『海を見る』は初めて海を見る人々の表情を捉えた映像。
イスタンブールは港町。ここで書いたけど、イスタンブー
ルを面白くとる写真家が多くなっている。でもソフィカル
は誰とも違う考え方でこの街を撮った。
内陸部に住むトルコ人をイスタンブールに連れてきて、キャ
ロリーヌ・ シャンプティエ監督に依頼し、彼らが海を初めて
見る様子を撮影。
子ども達は無邪気に海と戯れるんだけど、大人はじっくり
海に向き合う。内陸部に住んでたって海を見にいくことは
容易かもしてない・・なのに大人になるまで海辺に行かな
かったのはなぜだろう。
そうした社会性の問題が海の不在で湧き起こる。それ以上に
興味をひくのが、初めて見る海ってどんな風に感じられるん
だろう。波打つ音だけが静かに広がる。
☆
『最後に見たもの』は失明した人々を取材して、最後に見た
ものを話してもらった時の撮影と、その最後のものを再構成
しようと彼女が撮影した写真と文章による構成だ。
これはひとつひとつ、深い。最後だけでなく見ていた世界は
何度もなんども思い返してるだろうって思うし、目が見えなく
なるってどんなに大変だろうって想像する。もし目が見えなく
なったらといいうイフが自分に響くし。
耳が聞こえなくなるのも嫌だけど、目が見えなくなると、
仕事も遊びもまったく変わったものになるから。
6/30まで。写真は彼女のFACEBOOKや他から。
第12回イスタンブール ビエンナーレ(2011年)で
話題を呼んだ「最後に見たもの」(2010年)、「海
を見る」(2011年)の2作品。ともにイスタンブール
で撮影した写真と文章で構成されていて、見えること、
見ることへの物語が展開する。そう、彼女は物語の人。
『海を見る』は初めて海を見る人々の表情を捉えた映像。
イスタンブールは港町。ここで書いたけど、イスタンブー
ルを面白くとる写真家が多くなっている。でもソフィカル
は誰とも違う考え方でこの街を撮った。
内陸部に住むトルコ人をイスタンブールに連れてきて、キャ
ロリーヌ・ シャンプティエ監督に依頼し、彼らが海を初めて
見る様子を撮影。
子ども達は無邪気に海と戯れるんだけど、大人はじっくり
海に向き合う。内陸部に住んでたって海を見にいくことは
容易かもしてない・・なのに大人になるまで海辺に行かな
かったのはなぜだろう。
そうした社会性の問題が海の不在で湧き起こる。それ以上に
興味をひくのが、初めて見る海ってどんな風に感じられるん
だろう。波打つ音だけが静かに広がる。
☆
『最後に見たもの』は失明した人々を取材して、最後に見た
ものを話してもらった時の撮影と、その最後のものを再構成
しようと彼女が撮影した写真と文章による構成だ。
これはひとつひとつ、深い。最後だけでなく見ていた世界は
何度もなんども思い返してるだろうって思うし、目が見えなく
なるってどんなに大変だろうって想像する。もし目が見えなく
なったらといいうイフが自分に響くし。
耳が聞こえなくなるのも嫌だけど、目が見えなくなると、
仕事も遊びもまったく変わったものになるから。
6/30まで。写真は彼女のFACEBOOKや他から。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます