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やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

高校同窓生の忘年会

2011-12-07 | 
また一年がすぎて高校の同級生と忘年会。
今年は初の人形町進出。地下鉄の駅から
地上にでると雰囲気のある通り。老舗が
立ち並ぶ通りを入った「あしおと」。
民家を改造した一軒家。いい感じ。



先週の日曜12/4に高校で一足早い
同窓会があった。今日来ているなかで
3人が神戸の母校に行き、うち1人は
幹事だから、まずはその報告会・・
といってもばらばらで楽しい。

主役の一人は原子力発電の設計者。
去年はこの世の春やと言ってた。CO2対策の
切り札としても国策として動いていたから。

それが311で暗転。事故を収束されるために
毎晩深夜まで働いている。ごくろうさん、と乾杯。

もう一人の主役は映画監督。この会初登場だし、
質問攻めに合う・・そのうち彼の映画祭を内々で
でやることが決定。



海外5年赴任して帰国した奴が、ほんと視野が
ひろがった、外から日本を見つめられるように
なった、と。英語もからきしだめだったのに、と。

10万人の社員がいる大きな会社の要職のやつは、
抱えるものの大きさに立ち向かっているって。
自分のためでなくって、みんなのために何を
するかって考えるよ、とつぶやく。

無料という無限の価値

2011-11-28 | 
歌舞伎町の「駆け込み寺」を開いて、9年目。
365日24時間無料で相談相手をしながら解決
してきた玄秀盛氏こと玄さんにお会いした。
彼の現場、歌舞伎町のはずれ。立ちんぼが
うろうろしている様なとこ。

彼に惚れ込んだ俳優渡辺謙が彼の役を演じる
ドラマが12/17スペシャルで放送される。



曰く、東京・歌舞伎町に、警察を頼れない
悩みを抱えた人々のための救護施設を
開設した男性の実話をもとにした作品。

その実話に触れた渡辺は、今の日本に
必要な希望の光があると実感。
観客の魂を揺さぶる作品を目指し、
並々ならぬ意欲を注いでいる。

事前の話で興味をもってたのが
・どんな悩み、その場で解決できること、
・歌舞伎町の相談所は24時間オープンであること、
・それが無料であること
というあたり。

※今では60分5,000円の相談料がかかるようやね(12/1追加)

前代未聞の人物だったけど、現代の仏の様なひとだった。
表も裏も知り尽くしている上で、出家ではなく
在野で人々を救っている自負と自信が静かに目に表れている。

人がどうして悩むか、どうしてぶれるかとお聞きすると

  お金の奴隷やから、人の顔色を伺うようになる

柔らかい関西弁で語りはる。ぶれぶれ同士が関係し
合うから悩みがつきない。

  無料やから見える

彼が見える世間や人はまるっきり違うもんなんやろう。



 人が困ってることでお金=相談料をとってはいけない
 つけ込んだらあかんよ。お金がある人は高い相談所に行きはったらいい
 値段を1万円なり100万円とつければ、それだけの価値になってしまう
 そんなもんやない、無料だから無限の価値がある

う~ん、凄い。無限を肌で実感した瞬間だ。

 全部を相談してその場で解決できるのは僕しかいてない

凄い、凄すぎる。始めはって9年目。55歳。
ちょくちょく遊びにいこうって思う。

夢のお告げではなかったけど・・

2011-11-27 | 
大学時代からの友人がひょっこり夢に登場。
彼の会社になぜかボクも行ってて、彼が
辞令を受け取るところを見てる。

ベトナムへ転勤するっていう辞令の場面で
日本しか勤務経験のない彼がちょっと動揺
しているのを、励ましている。

「なかなかいいとこだよ、まず飯がうまいし、
 建築物も形や色彩が意外に豊かでいい感じだし。」
なんて適当なことを言っている。一度しか
しかも観光で行っただけなのにね。


ハノイの旧市街

あまり夢をはっきり覚えていないタイプなのに
とてもリアルだったから、もしかしてなんかの
お告げかも、と彼に久しぶりに電話。

「転勤なんかないよ、東京に来たばっかりだし。
海外はまずありえないなぁ」と。そうか、
夢のお告げではなかったんだな、ちょっと残念。

9月にメールを送ったのに返事がなかったよって
言うと、APPLEのメールソフトだから迷惑メールの
山でよく見てないっていう。

チェックしてくれたら、見つかった。しかも
それは彼の誕生日だった!それはちょっと
嬉しい。

お互いの近況を話したり、仕事のアドバイスを
もらったり。会うのもいいけど、休みの日に
こうして電話するのも悪くない。

立川談志師匠を悼む

2011-11-23 | 
談志師匠が亡くなった。先は長くないって
高座でも言ってたから、やっぱりとは思うけど
寂しい。咽頭癌が死因だそうだから、長年
闘ってきはった病だ。

最初に師匠を知ったのは、故景山民夫の
『ONE FINE MESS 世間はスラプスティック』
という大好きなエッセイ。

立川流でビートたけしや高田 文夫と
ならんで景山が有名人部で弟子になった話が
あって家元に興味をもったのね。

落語を生で聞いたことのなかった僕が、
国立演芸場の談志ひとり会に行って、
驚いた。めっぽう面白かった。



政治談義が枕だかなんだか延々続くのが
これが笑わせるし鋭い。
「新聞で信用できるのは日付だけだ。」

新作落語にノックアウトされて、彼の
理論書を読み、何度か聴きに行く。

「言いたいことを突き詰めていったら、笑いになったのが落語。」
「先代の名作に切り込んでいき、それに匹敵するような噺を
演じるのが、演者の演出力であり創作力なので、その源は
現代をどこまで理解しているか。」

ひとり会は92年~98年に開かれてた様だから
その初期に行ってたんだろう。
チケットも取りやすかったから・・
だんだんとれなくなって家元からは
足が遠のいた。



2008年 NHK BSで『立川談志 
きょうはまるごと10時間』が
放送されてたっぷり堪能している。

去年2回ほどたまたまチケットを
譲ってもらえて見にいくことができた。
4月6月と。

噺家が喉をやられて可哀想だなと
思うとともに、因果応報、業の肯定と
笑わせてもらった。

野次馬根性が旺盛で、人混みの中が大好き。
物を観るのが好きで、展覧会からストリップ
まで見歩いていた師匠はきっと、あの世でも
好奇心旺盛に見回って、居並ぶ人達を笑わせるのかも。
合掌。

正岡子規とクリントンで蘇る橘曙覧

2011-11-22 | 
昨日クリントン元大統領が日本固有種である
シラネアオイを気に入った話を書いたけど、
検索つながりで彼が橘曙覧(たちばなのあけみ、
読めないね)の和歌をスピーチで引用した
コトがいくつかひっかかる。

たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時

1994年訪米した天皇皇后両陛下を歓迎する
式典で、クリントン大統領がこの和歌を
とりあげて「一日一日新たな日とともに、
確実に新しい花が咲き、物事が進歩し、
日米両国民の間の友情が育まれるよう期待する」
と述べたらしい。。が覚えていない。

橘が詠んだのはそういう進歩の話とは
ちょっと違う気もするが、クリントンは
うまい。日本人が忘れている人の和歌を
とりあげるとは。僕も忘れているもなにも
知らなかった人だ。



橘曙覧は若隠居して、家督を譲り清貧の
暮らしをしながら国学と和歌の道を静かに
進んでいった。1812年生まれの1868年死去
だから、激動の幕末をひっそり暮らした人だ。

晩年松平俊嶽にも認められて年に10俵の米が
与えられるようになったが、わずか1年後に
57歳で病没。

良寛(1758-1831)とどこか相通ずるものを
感じる。絵の感じも似てるでしょ。ちょっと
大柄か。



彼の死後明治になって32年、正岡子規は
源実朝以後、歌人の名に値するものは
橘曙覧ただ一人と絶賛する。

「たのしみは」で始まる52首の歌集が『独楽吟』

たのしみは とぼしきままに 人集め 酒飲め物を 食へといふ時
たのしみは 三人の児こども すくすくと 大きくなれる 姿みる時
たのしみは 妻子むつまじく うちつどい 頭かしらならべて 物をくふ時
たのしみは 空暖かに うち晴れし 春秋の日に 出で歩く時
たのしみは まれに魚烹て 児等ら皆が うましうましと いひて食ふ時
たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かへりける時
たのしみは あき米櫃に 米いでき 今いまひとつきは よしといふ時

なにもない日常やクスっと笑える歌も
あって、じわりと染みわたる幸せが感じらない?

橘曙覧記念文学館が2000年に福井の彼の
住処跡に完成しているが、クリントンの
スピーチが作った様なものでは。

スピーチライター達が知恵を絞った
のかもしれないが、それが国力なんやろう。
まさに文化力。

柄本明『東京の俳優』

2011-10-11 | 
昨日ブログで書いた山下洋輔さんの
「私の履歴書」には、新宿で
毎晩飲んでいた頃がでてくる。

筒井康隆、赤塚不二雄、タモリ、
坂田明、上村一夫に加えジャズなど
音楽やる人などが夜な夜な集まり、
「一日行かないともう話題について
ゆけない。まさに魔窟なのだ。」



それで、似たシーンを想いだした。
柄本明の自叙伝『東京の俳優』。

土曜日になると「赤塚不二雄さんの
おごりで、飲み放題、食べ放題の
どんちゃん騒ぎ。」場所は同じく新宿。

高平哲朗、タモリ、所ジョージ、
山本晋也といった「おもしろい
メンバーが集まっていましたよ。」

間違いなく山下さんと柄本さんは
遭遇しているね。

いまも新宿はクリエーションなのか
リクリエーションなのか。集まりの場。
女装家たちの2丁目、隣のゴールデン街。


「神様のカルテ」より

もうひとつ山下さんと似てるなと思ったのが、
やりたいことを目指して、自分で劇団を
作っちゃうところ、なんの勝算もないのに。

佐藤B作率いる「東京ヴォードビルショー」に
衝撃を受けるのね。「笑いというエネルギーを
演劇にする、それによって新しい演劇を
誕生させることができる」

それで串田和美や吉田日出子の自由劇場をやめて
東京乾電池」をベンガルと旗揚げする。1976年
のこと。新宿ビアホールでの舞台や浅草での
旗揚げ公演のくだりは抱腹絶倒だ。


旗揚げ公演「花絵巻 江戸のずっこけ」チラシ 

串田和美や吉田日出子が始めた「麻布
アクタースタジアム」という養成所も
凄かった。その一期生が、そのベンガル、
高田純次、萩原流行、イッセイー尾形、
笹野高史。。錚々たるメンバーやね。

「串田さんの独特の俳優観に惹かれた
既成の役者にはない変な人の集まり」
          ---- 柄本明

山下洋輔「私の履歴書」

2011-10-10 | 
日経新聞の今年6月に連載された
「私の履歴書」はジャズピアニストの
山下洋輔さん。まとめてゆっくり読んだ。



「機会をいただくと何でもやってしまおう
という人生を送ってきた。異なるジャンルと
マッチメイクすると必ず引き受けて戦ってきた」

まさに異種格闘。

「未知のものへのあこがれと恐怖。接触と体験。
その過程を全て自分の体で理解して喜ぶ。この
ような人生を送ってこられたのも、全てはジャズと
いう音楽のおかげかもしれない」

この数行に彼のすべてが詰まっている気がする。

僕たちの結婚式で祝辞をいただいた故溝上日出夫先生が
洋輔さんの国立音大入学に大きくかかわっていた、
というか「先生が担当してくれたおかげだ」という
くだりに驚く。機会を与えること、縁結びすることが
お得意だった溝上先生が思い出される。

大学卒業、結婚、病気療養を経てフリージャズに傾倒
していく。29才の頃「もう皆勝手におもいっきり
やってみよう」とフリージャズを宣言。「その
結果はとても後味のよいものだった」そうだ。

まさに「自分の表現を見つけてそれで暮らしたい」
芸術家の誕生時。トリオ結成。その後はヨーロッパ
でも活躍していく。



ジャズの世界にとどまらず、唐十郎など舞台人、
筒井康隆等の作家たち、赤塚不二雄、タモリたちから
テレビ番組、映画、和楽器そしてクラシック界と
異種格闘技は続いて果てしがない。

そして「サンデー毎日」10月16日号(10月4日発売)
より新連載『ドファララ門』が始まったそうだ。

喜寿のお祝い

2011-10-08 | 
嫁さんの母堂が喜寿を迎えるので
お食事会を開くことに。かねてから
行きたかった千駄木・一二三庵へ行く。

8月末の予定が台風で流れたので、
予約がとりにくいことも相まって
今日の会と相成る。

住宅街にある古い住宅。母堂、父堂、
嫁さん、ぼくの4人が通されたのが
2階の個室。もう一室が1階にあって
ランチと夜それぞれ2組だけ。

とても贅沢だけど、華美というより
昔のお家にお呼ばれした感じに近い。
料理もとても美味しいし、器も素敵
だし、サービスのお二人もいい感じ。



でも何よりも驚き、嬉しかったのが、
喜寿をさまざまに祝っていただいたこと。
事前にお伝えしたのでさまざま準備されていた。

食前酒をふるまってもらったし、注がれた盃は
鶴がいるというめでたさに始まる。


デザートには水引にお祝いを毛筆で書かれたノシ。


瓢箪の絵が六つ揃ったお皿で無病(六瓢)息災を願う。

極めつけは、カード式オルゴールでハッピー
バースデーを歌ったこと。今日が初披露とのこと!



ロバハウスでもオリジナルカードを作って
販売しているので、その話題でまた盛りあがる。
嫁さんはカードを裏返して別バージョンの曲を
披露してスタッフを喜ばせてたし。

いろんな心遣いがたっぷりで、とっても満足。
母堂もさぞ喜ばれたことやろう。

バースデーサプライズ・ダブル!

2011-08-19 | 
嫁さんは「ロバの学校」といって3泊4日の
ミュージックキャンプにでかけている。

今年で31回目。子どもと大人が一緒になって
音探し、音作りを自然の中で行う。(今年も
長野県小諸市の「読書の森」で千曲川のそば)

今日(8/19)帰ってくる日。打ちあげをやって、
嫁さんの誕生日祝いをサプライズでやろうって
話になる。。



ところが、昨夜(8/18)「ロバの学校」の打ち上げ中に
サプライズがあったと、嫁さんからメールがくる;

  突然電気が消えたとおもったら、ケーキが運ばれて来て
  みんながハッピーバースデーを歌い出したの。
  もうビックリ。

  読書の森のみんなが作ってくれたケーキです。
  嬉しかった~!
  
  

ありゃ、一足先にやられたと思う。よく誕生日を
覚えてはったなぁ。

彼らにはぼくもお会いしているけど、気さくな
アウトサイダーっとでも称せようか。里山の
すばらしいロケーションに、カフェ、ライブラリー、
パオテント、機織り小屋などを用意し、長年
創造活動を行っている。

「ロバの学校」でおつきあいが始まったのが縁で
ロバも飼いだした愉快で変な人達だ。


2009年「読書の森」での「ロバの学校」風景



「読書の森」から帰ってきたので、何食わぬ顔して
ロバハウスに向かう。嫁さんに「おかえり~おつかれさん」
って声かけると、「来たの」って少々意外な顔をする。
「打ちあげがあるからって、よばれたん」

この段階で、バースデーサプライズがばれたかと
思ったけど、後で聞くと嫁さんは全く想像して
なかったそうだ。



食事の準備をして下さり、乾杯とともに
打ちあげが始まる。

例年以上に「ロバの学校」はよかったようで、
みんなの顔がイキイキしているし、あっと
いう間に終わったという感想が口々にでる。
夜もほとんど寝ないで盛りあがったそうだ。

と、電気が消されたと思ったら、バースデー
ケーキが運ばれてきて、ハッピーバースデーを
みんなで歌った。



嫁さんは驚き、とっても嬉しかったみたい。やったね。
お誕生日プレゼントまで頂いて。いろいろみなさん
ありがとうございます。

「ロバの学校」の思いでにいつまでも花が咲く。
濃密な4日間が終わったばかりやから・・

サッカー松田選手の急死を悼む

2011-08-05 | 

サッカーの元日本代表松田選手の訃報は
世界から驚きとおくやみでいっぱいだ。

8/2に練習中に急性心筋梗塞で倒れ、
心肺停止状態となる。

とても危険な状態で、仮に回復しても
サッカーを再び行うことは難しいという
医者の言葉が紹介されていた。

そんなことわからんやんって思ってた。
今年の1月だかの定期検診でも問題なかった。

それが入院から2日後に亡くなる。早すぎる。
34歳だ。



16年プレーした横浜マリノスから昨年に戦力外通告
された時はショックを受けたそうだし、オファーが
来たのがJ2の下部リーグであるJFLの松本山雅。
移籍するかどうか相当悩んだそうだ。

でも彼は新天地で生き甲斐を見いだす。女子サッカーの
選手たちじゃないけど、アルバイトしなければ生活が
成り立たないチームメイトがどんだけサッカーが好きか・・
好きなことがやれる幸せという原点を思い出すんだね。

松本山雅の試合を見ときたかった。
J2昇格という新しい夢にむかって
全身でプレーする姿を。

現在9位(4位以上がJ2昇格)だけど
大きな置き土産を残したに違いない。

お疲れさまでした、ゆっくり休んでください。