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やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

岡山市立オリエント美術館

2014-03-31 | 歴史
岡山駅で降りると、市電が走っている。残してるんだ、
いいなぁと思って乗り込む。岡山城や後楽園、官庁街と
いったエリアへは3駅ほど行った「城山駅」で降りる。

目指すは「岡山市立オリエント美術館」。岡山へ向かう
新幹線のなかでどんなところかネットで見てたら、俄然
行きたくなる。



「オリエント」は「日が昇るところ」という意味だそう
で、古代ギリシャ・ローマ人が東方に位置する先進文明
の地を畏敬の念をこめて読んだ言葉だとか。

日本という言葉も中国からみた「日出づる国」だという
話だったことを思い起こす。



受付を入ると、高い吹き抜け空間。広くはないんだけど、
天窓から光が差し込んできて、やわらかく照らす。縦線
と横線による建築構成。



壁にはモザイク。5世紀のシリアの豹。虎や兎なども。こ
んな文明を生み出したところが、戦火で苦しんでいると
思いをはせる。建築物の床に組み込まれていたもの。



展示に入って行くと、狩猟採集時代の壷、大きな角ヤギが
描かれている。紀元前3200年頃、イラン北東部。よくこ
んな形で残っていると感心する。

農耕が始まり、都市国家が成立しはじめた頃、文字が誕生。
楔形文字を目の当たりにして感動。粘土板に描かれた文書
は取引のことから、歴史の記述まであらゆることが記述さ
れ、巨大な書庫も設置されたとか。再現したらさぞ面白い
だろうなぁ。



前2400年頃のメソポタミア。受験で勉強したころは無味
乾燥だったけど、こうして実物をみると感無量。写真は、
美術館の検索から。使い勝手がいい。タブレット型の音
声ガイドは機械による語りなので、すぐに返却。無料だ
けど。

『鳥居民評論集 昭和史を読み解く』

2014-03-18 | 歴史
しまった、昨年1月に亡くなられた鳥居民さんのことを知らなかった。
『鳥居民評論集 昭和史を読み解く』を読んであまりの面白さ、そして
第二次大戦にいかに無知か知らされる。恥ずかしい・・。



草思社が発行する『WEB草思』に発表されたもの(現在は公開終了)
だから、短い文章ばかりだけど、彼の考えが濃縮されている。ボクが
まとめて書くのも憚れるし、この評論集を読んだだけだから。彼のこ
とをご存知の方はここまでで。

・都留重人は内外すべての状況がわかってながら、まことに有利な
立場にいながら戦争終結のために指一本動かそうとしなかった。近
衛文麿を死に追い込んだのは都留である。(p.41)

・アメリカとの戦争に突き進むことになったのは木戸幸一の私心に
あったというのが、私の『近衛文麿「黙」して死す』の主題である。
(p.41)

・木戸幸一の評伝がなく、内大臣、侍従武官長についての研究書が
ないために、われわれはこういったことを知らないか、気づかない
ままなのだ。(p.109)

・われわれはルーズベルトの大計画がどのように消滅してしまった
か素振りをし、一号作戦を無益な戦いだと語ることによって、われ
われが見ないようにしてきたものは、なんなのであろう。(p.140)

・敗戦の間際に、そして敗戦のあとになって、荒廃した日本の行く
末を考えた人たちは、日本が昭和初年なみに復興するまでには、こ
の先、50年、60年、20世紀いっぱいはかかるだろうと言ったもの
だった。だれもがそう思った。(p.142)

・敗戦のあと、戦争を否定するようになった日本人にとって、日本
を活性化し、繁栄の道へ押し上げる力となったのが戦争だというこ
と、それも隣国の戦争だったということは、あるうしろめたさの感
情となって人びとの胸中にあったはずである。(p.153)



鳥居民さんのライフワークは昭和20年の日本の一年間を残すこと。
『昭和二十年』という形で刊行が始まり、13巻の7月2日の時点で
絶筆となり、8月15日には届かなかった。『昭和二十年』は、故丸
谷才一氏、故井上ひさし氏にも激賞されている;

ギボンの『ローマ帝国衰亡史』や頼山陽の『日本外史』のように、
幾世代にもわたって読みつがれる本になるだろう(丸谷氏)

読み物として最高におもしろい。文学として、百科事典としても
読める。布団の中で読むと、おもしろすぎて寝られなくなる。

私も昭和史を扱うことが多いのですが、まず鳥居さんのこの本に
あたります。そして、自分の考えがこの本とあまりにちがいすぎ
るような時は、もう一度立ち止まって自分の考えを再吟味します。
(井上氏)


13巻はおいそれとは読めない。まずは、
『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』
『近衛文麿「黙」して死す―すりかえられた戦争責任』
『山本五十六の乾坤一擲』
『 横浜富貴楼 お倉 』を読もうと思う。全部草思社刊

大空襲の地下鉄

2014-03-10 | 歴史
NHK連ドラ「ごちそうさん」を土曜日にまとめ撮りして
見てるんだけど、3/4放送は大阪大空襲

地下鉄心斎橋駅に逃げ込こもうとするけど、入場禁止と
制する駅員を杏さん演じるめ以子が、家族や逃げようと
する人たちを守るために戦う。


「大阪市100年より」B29から落とされた焼夷弾

心斎橋の駅に入れたばかりでなく、地下鉄が動き戦火が
なかった梅田から疎開先に脱出する。これは実話に基づ
く物語で近年証言が集まってきているけど、公的記録は
ないらしい。(大阪市中央図書館朝日新聞excite レ
ビュー
ほか多数)


「なにわ今昔」より

この話が「ごちそうさん」の後半を作る上でのキーだっ
ったことは間違いなかろう。このシーンを作るために、
西門家の場所が決まり、東出昌大さん演じる悠太郎が
大阪市設計部に所属する必然があったのかも。

大阪大空襲は合計8回受けるが、1945年3/13が最初。3/
4のドラマ放映に近いので臨場感をます。3/10に東京を襲
ったB29が焼夷弾と燃料を積み直して、飛来したのではな
いか。


3/14の御堂筋 「なにわ今昔」より

では、東京の地下鉄はどうだったんだろう。戦争当時
運行していたのは銀座線地下鉄だけ。乗客が空襲で死
亡したそうだ;

土被りが薄く爆弾などの被害を受けやすいために
空襲を受ける度に運休となるなど、ロンドンやベ
ルリン、そして大阪の地下鉄のように防空壕代わ
りに活用されることはなかった。(wikiより


銀座線は昭和2年(1927)に浅草 - 上野間で営業
を開始した、日本最初の地下鉄だけど、アジアでも
初。地下鉄の父と言われる早川徳次さんという方が
民間の鉄道会社として夢を実現。

民営で開業した地下鉄は世界初では。投資が莫大に
かかるから。切り詰めた建設だったことは容易に想
像できるから、他の地下鉄のような防空壕までの利
用には耐えれなかったのかも。

戦争で無くなった方々のご冥福をお祈りします。日
本人も外国人も。

故大島渚監督 63年放送『忘れられた皇軍』

2014-01-31 | 歴史
1月12日の深夜、日テレNNNドキュメント’14で、
反骨のドキュメンタリスト ~大島渚 『忘れられた
皇軍』という衝撃~」が放送された。

去年1月に亡くなった大島監督。映画・テレビのドラ
マの人と思ってたから、ドキュメンタリーも撮って
はったのが意外。



1963年8/16放送のフィルムが日テレに保存されて
おり、60年ぶりの再放送。加えて、制作スタッフ(
カメラ、音響など)、夫人で同志で女優の小山明子
さん、田原総一朗さんへのインタビューもあり、今
日の意義を問う形にもなっている。

是枝監督もインタビューに応じていて、

衝撃的でした。何かに対する否応のない怒りに
よって番組が作られることは強いんだなという
ことを学びました。

第二次大戦中に日本軍として戦った在日朝鮮人が、
日韓両政府から保障を受けられずに困窮。街頭募金
でしのいでるが、政府や議員が動かないので、直接
世論に訴えかける過程を取材している。

街頭演説のあと、彼らには酒がはいる。大島監督が
ナレーションで告げる;

心配していた通りだ。いつもこうなる。この悲しい
争い。仲間にしかぶつけることができない、やり場
のない怒り。これは醜いか。可笑しいか。




全編怒り。大島監督が書いている;

この人たちの体の傷口や生活よりも、もっと無残で
もっと悲惨なこの人たちの心の傷口であった。



どうして、彼ら(番組にでるのは10数人)には恩給などの
障害年金が補償されないのだろう。民主党の有田芳生参院
議員もこの番組をみて、

「昔話ではない。今年89歳になる李鶴来さんたちは、サン
フランシスコ講和で日本国籍を失い、恩給法の支給対象外
となる。99年に最高裁が立法解決を促すが、いまだ進まず。
要請書提出は安倍首相で29人目になる」とツイッターで
語る。

少数は置いてきぼりか。靖国神社に参拝するのだから、彼
らへの救済する立法化へ安倍首相は動いているのだろうか。
是枝裕和監督が番組で最後に語る;

やはり多様性・・・。 だから8割の人間が支持するので
あれば、2割の側で何ができるかということをきちんと
考えるメディアだと僕は思っているので、テレビというの
は。(中略)だから、支持されなくてもやる。視聴率がひ
どくても作る。

日テレの番組作りに拍手を送りたいし、1社スポンサーの
東京ガスにも敬意を払いたい。

ボタンとボタン穴の発明は中世

2013-09-20 | 歴史
昨日紹介したネジの本の中に、ボタンとボタン穴の発明も中世だ
という話がでてきて驚く。日本もでてくるくだりがあって;

日本人は着物を帯で締めていた。古代ローマ人はボタンは
使ったが、ボタン穴を開けるという発想が欠けていた。古
代中国では紐に棒は通したものの、ボタンとボタン穴を発
明することはなかった。 (第3章)

そうだったんだ。

ボタンは木や動物の角や骨で簡単に作ることができるし、
布に穴を開ければボタン穴のできあがりだ。

そのとおり。簡単にできそうだし、古来からあるものだど
思い込んでいた。誰が発明したのかはわからないらしい;

この人物は天才だったにちがいないが、13世紀に突如として、
北ヨーロッパでボタンとボタン穴が出現した。

wikiにあたると同じく13世紀。ドイツで生まれたとある。
ペルシャの方がもっと早かったという説もあるそうだ。

当時の中心はヨーロッパではなく、中東。文化、芸術面で
も世界をリードしていたから、ボタン穴を生み出したかも。
でも北ヨーロッパという寒い地域だからこそ、ボタンで防
寒性を高めたかもしれない。



この絵は、13世紀中期のもの。スペインでチュニックという
ワンピースみたいな長いものを着ている演奏家たち。縫製の
手が入ってきている感じもするが、ボタンはどうだろう?背
中の留め方が気になるが、紐もボタンもないかもしれない。。



背中も描かれた絵を探す。14世紀後期の狩人。ブーツは紐で
編んであるけど・・服には紐もボタンもなさそう・・こうい
う服の感じが中世っぽけどねw



16世紀王妃の絵。これにはボタンがある。コタルディという洋服で
身体にピッタリとして襟ぐりが大きく開いていたファッショナブル
なものが流行ったらしい。

王妃はマーガレット・オブ・アンジュー。英仏100年戦争のさなか
にフランスから、英国ヘンンリー6世に政略結婚で嫁いだ方。

ボタンを使っている服の絵を探すのはまだ簡単だけど、ボタンが無
いってわかる絵を探すのは難しってこともわかる。正面からと背後
から同時に描けないからw

1000年間で発明された最高の道具「ネジ」

2013-09-19 | 歴史
ドラマ『半沢直樹』もいよいよ今週で最終回。噂だけど続編が作られ
るとか。ネジ工場を営む父親への融資を打ち切り、自殺に追い込んだ
大手銀行にあえて入社した物語。

鶴瓶さん演じる父親が小学生の息子に「お父さんの作っている小さな
ネジが日本を支えている、今はようわからんやろうけど」という科白
がある。



ネジ工場に目を付けた点も鋭いなぁと思う。ネジって世間での関心の
低さっていうかその値段の安さに対して、産業規模は1兆円を超え、
機械産業では重要性が高く認識されているからだ。



産業化、都市化の進展とともに発達した、いやネジが進化したから機
械が高度化できたのかもしれない。ネジを文化史として語った『ねじと
ねじ回し
』(リプチンスキ、早川書房)はユニークで面白い。

2000年=ミレニアムを迎える時、編集者からのお題「この1000年間
で発明された最高の道具?」が著者に出された時の話。思考錯誤を通
じてネジに至る。そしてネジが古代には存在せず、この1000年間で発
明されたかどうか検証する。実は中世で生まれたそうだ。

戦争は発明の母ではないが、15世紀の発明である火縄銃や甲冑にネジ
が使われている確証を実物から得る。時計は1550年以前には使われて
いなかったとか。



16世紀にネジが直面した問題は紀元前に生まれていた釘より高価だとい
うこと。それを解いていく最初の回答が1776年最初のネジ工場。船や家
具、自動車、高級家具へとネジの用途が拡大していく。

同時にネジの精度も高まり、顕微鏡や天文学といった科学分野で活用され
たし、航海用観測機器が高精度になったおかげで航海の安全性が高まる。

19世紀にはアメリカで次々とネジの発明が続き、ネジにおいても世界最大
の生産国となり安価で精度の高いネジを世界中に供給する。



その時々に天才的技師が活躍するんだけど、名言が書かれている;

天才技師は、天才芸術家ほど世の中から理解されないし、よく知ら
れてもいないが、両者が相似形をなす存在であることは間違いない。



日本のことは本書では書かれてないけど、㈳日本ねじ工業協会をあたると
幕末から生産設備や機械と同時にねじ部品も輸入されたそうだ。

明治に入ると機械商や地金商が英国から大量のねじを輸入するようになる。
明治30年代にはねじを専門に扱う商社が生まれ、大阪立売堀にねじの問屋
街が出現。

工場もやはり大阪は売堀。明治時代にいくつかの工場が各分野のネジの生
産を始めているそうだ。いまでは総数なんと約3000社年産約1兆円のねじ
メーカーと、約400社年商約4500億円のねじ流通商社から成る。

半沢直樹の父親の会社「半沢ねじ」もそういったなかの一社として浮沈が
描かれる。本書を読めば、ネジの見方が一変するし、機械や道具をみても、
ネジが気になること確実w

江戸時代の妖怪ブーム

2013-08-04 | 歴史
NHKBS歴史館を見てたら、妖怪ブームが江戸時代に
始まったことを、様々な角度から検証していて面白
かった。

出演の文化人類学者で妖怪学の小松和彦さん、荒俣
宏さんの二人は妖怪と鬼に関して2冊共著がある仲、
それに磯田道史さんと渡辺真理さん。

江戸の妖怪ブームは1776年発行の「画図百鬼夜行」
が火付け役らしい。描いた鳥山石燕が狩野派ってい
うのも意外。


高女(たかおんな)

当時の出版文化の隆盛が背景にあるなか、妖怪物の
先駆けになり、妖怪図鑑としても画期的で博物誌的
関心の高まりもみてとれるそうだ。

特産物を集めた展覧会が江戸で始められた時期で、
各地の特産物に混じって、人魚の骨、双頭のヘビな
んてものも展示されたとか。

妖怪を楽しむことが粋だったらしい。ヨーロッパが
悪霊として対峙・退治すべき対象だったのとは異な
り、一緒に遊ぶ生きものだった様だ。妖怪グッズ(
かるた、花火など)も盛んになったそうだしw

それと同時に妖怪をかりて幕府批判もされていたっ
ていうからかなり高度。天保の改革で華美な祭礼や
贅沢・奢侈が禁止されるなか出版規制で妖怪物も
取り締まられれも、歌川国芳はひるまなかった;


源頼光公館土蜘作妖怪図

奥の妖怪たちがいるが、実は天保の改革の被害者
を表しているとか。芝居はいいだろうと、東海道
四谷怪談が生まれ大ヒット。


葛飾北斎『百物語』 お岩さん

この芝居は東海道四谷怪談は、忠臣蔵の番外編だと
聞いて驚く。忠臣蔵に参加せずに一介の浪人に成り
下がって武士としてあるまじき悪事するわけだから。

江戸の精神文化の柱であった朱子学(儒教)と仏教
のほころびが妖怪の形で現れてきているという話し
も面白い。

ドキュメンタリー映画「花はどこへいった」

2013-02-08 | 歴史
有楽町の外国特派員協会で打合せがあったんだけど、
カフェでは「ベトナムの日々」という写真展が行われ
ていた。

故グレッグ・デービス (1948-2003)さんというベトナ
ム戦争にアメリカ軍兵士として従軍したことが契機と
なってフォトジャーナリストとして活躍した人らしい。



亡くなった彼をテーマに日本人の奥さんが撮ったドキュ
メンタリー映画
の映写会が20時から開かれると教わり、
見てみることに。

映画が始まってしまったと思ったのが、ここが外国特派員
協会であることを忘れていたこと。なにせ英語を母国語と
する人向けバージョンだったので、細部がよくわからない!

ベトナム人へのインタビューにでる英語の字幕にかろうじて
救われる程だからwここでは、後から調べたことも加えなが
ら書こうって思う。

NHKで放送されたそうだし、毎日映画コンクール・ドキュメン
タリー映画賞ほか幾つかの賞を受賞されている知ってる人もい
るかもしれない。



監督は坂田雅子さん。故グレッグさんの奥さんで映写会にも
参加されていた。54歳で肝臓ガンで急死した原因が、3年間
ベトナムへ従軍した時に枯れ葉剤を浴びたことではないかと、
いう疑いをもって映画化を決意したそうだ。

すごいのが、そこからアメリカで映画制作の基礎を学びはった
こと。そしてアメリカとベトナムで枯れ葉剤の被害者やその家
族、ベトナム帰還兵、科学者などを取材して、映画を完成させ
たのが2007年だったらしい。



いまでも奇形児が生まれることには驚かされた。もう3世代、
4世代目にはいっているんだけど、4世代目の赤ちゃんを産ん
だ場合、上の2人は大丈夫でも、3人目に奇形が生じている家
族を紹介していた。

ベトナムには枯れ葉剤の被害者が300万人いると言われ、
アメリカ軍の帰還兵の中には、アメリカ人の妻に奇形児を
出産させるケースもあることも知る。

一人のベトナム人被害者もアメリカ政府の補償を受けていな
いということにも驚いた。枯れ葉剤と病気の因果関係をアメ
リカ政府はいまだかつて認めていないそうだ。

それに憤慨するアメリカ市民や裁判をアメリカでおこすベト
ナム人やアメリカ人もいるそうだけど、裁判所は動かないし、
アメリカ政府は動かないそうだ。ベトナム戦争は少しも終わっ
てないって思った。

傑作『武士の家計簿』原作

2012-11-29 | 歴史
映画『武士の家計簿』の原作が面白いですよ、と薦められた
原作は圧巻。今年一番の新書。2003年初版で手元の2010年で
40刷を重ねているから、改めて紹介するまでもないかも。

著者は磯田道史さん。BS歴史館で登場人物像に迫るコメントが
鋭くて、発言が楽しみな人だ。あの方なんだね。



新潮新書005。5番目だから満を持しての企画なのかもしれない。
001が『明治天皇を語る』ドナルド・キーン、003『バカの壁』
と好きな本が連なる。

『バカの壁』はともかく、『明治天皇を語る』『武士の家計簿』
といった初期の新潮新書には近世から近代の変化を個人の視点から
捉え直そうという意図があったのかも。



金沢藩猪山家の6代綏之(やすゆき)から9代成之(しげゆき)まで
の4代にわたる膨大な出納帳、日記、書簡を読み解いてるんだけど、
8代直之(なおゆき)の視点が中心になる。

成之は金沢藩でも、明治政府の海軍でも会計・財務畑で出世した人
だけど、お父さん直之の書簡もきちんと保管してあったから。彼が
実家に出した手紙は残っていない(というかまだ発見されていない。)
おまけに直之が45年間にわたって書いた「日記」も残っている。



本書には面白い点がテンコ盛りだけど、江戸幕府から明治維新へ、
武士階級が無血革命で可能になった背景に関して理解が深まった
点を紹介するね。

1つは武士は書類上は知行地という農地から石高は得ていたけれども、
ある意味それはバーチャルで、実体はなかったということ。実際に
自由に自分の農地に行くことはなかったどころか移動は禁止されて
いたそうだ。

武士は知行の保有にこだわりながら自分の知行地を1度も見ることなく
死ぬ場合が珍しくなかった(P36)


武士は全く百姓の顔を見ること見ることなく年貢を受け取け
とってたんだ。。

逆に言えば現実の土地から切り離された領主権は弱いものであり、
トップダウンの命令1つで比較的容易に解体されたのでのである(P41)




もうひとつは、「武士は喰わねど高楊枝」ではないが貧乏侍の話が江戸後期
には多いけど、それは収入の頭打ちもあるけど、身分を維持するための費用が
馬鹿にならなかったこと。

江戸時代は「圧倒的な勝ち組」を作らないような社会であった。
武士は威張っているけれどしばしば自分の召使いよりも金を持っ
ていない。武士は身分のために支払うべき代償(身分費用)が大
きくそれほどお得な身分ではなくなってきている。(P89)

明治維新後、武士の権威がゆらぐと、一気に過去の遺物のように
なっていったのだと思った。支える意欲も費用も失われて。

ユニクロ上海店の張り紙

2012-09-23 | 歴史
対日デモにおいて、ユニクロの上海店で
「尖閣諸島が中国の領土」という内容の
紙を店頭に貼ったことがニュースとなって
世界を駆け巡った。

それが、地元警察がデモの騒乱を避ける
ための指示だったことを柳井社長が発表
していた。



日本人の店長は警察の指示とはいえ、
政治的な問題不介入という会社の規則を
破りたくなかったそうだし、そもそも
そういう微妙な問題にはできればかかわり
たくなかったかもしれない。

その上、張り紙への抗議が日本のユニクロに
殺到したそうだから、対処がむずかしい問題。
社長が対応しようという姿勢はさすが。



日本にいれば中国を非難しているだけでいいが
中国にいるとさまざまな葛藤にでくわすだろうと
想像する。

同じ様な状況に直面したのが第二次大戦下の米国の
日系人だ。

真珠湾攻撃によって日米開戦となった時、
アメリカは強制収容所に日系人を12万人
送り込む。

その際に、アメリカ政府は踏み絵というべき
質問を2問日系人にだしたそうだ;

「米国に忠誠を誓い、日本への忠誠を放棄するか」
「米軍に従軍する意思があるか」

答えが「YES YES」であれば適格者とみなされ米軍兵士と
して戦場へ送られた。一方、「NO NO」と答えた者は
敵性外国人扱いを受け、収容所に留められた。



運命の分かれ道になるこの2つの質問は日系人社会で
大議論を引き起こしたそうだ。

兵士として戦場に行って、日本人と交戦するのもつら
い面があったろうが、武功をたてるために人より
がんばった(無理した)日系人は多かったから、
戦死者も多い。

収容所にとどまった人達は、強制労働につくわけでも
楽しい娯楽時間も多かったそうだが、終戦後非難の
対象になった人も多い。



この間の様子を描いたのが、ジョン・オカダ氏の小説
『ノー・ノー・ボーイ 』。絶版みたいがが読んでみたい。
今もかわらぬテーマだから。