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西東京市・北海道富良野の森林を舞台にした遺伝,育種,生態などに関する研究ノートの一部を紹介します

日本人と木の文化

2007-01-29 | 研究ノート
・氷河期以降の森林の様子について、もう少し調べてみようと思い、図書館でいくつか本を借りる。その中で、鈴木三男さん著の「日本人と木の文化」という本に出会う。鈴木さんは東北大学理学研究科附属植物園で古植物学、特に木材化石を同定・解析し、森林植生がどのように変化したのか、その森林から昔の人々が木材をどうように利用してきたか、ということを明らかにしようとされている研究者である(というような内容が本に書いてあった。残念ながら、ちゃんとお会いしたことがない・・・)。

・この植物園は、実は、当方の卒業研究のフィールドであり、懐かしいモミ林の話なども出てくる。この本は、おとなしいタイトルから想像されるよりも、古植物学研究の難しさ・楽しさが伝わってきてくるエキサイティングな本だった。植物化石というと花粉ぐらいしか知らなかったのだが、大型の木材化石から分かること、分からないこと、などが初めて理解できた。また、”埋没林”という言葉は初めて聞いたのだが、非常に興味深い知見が詰まっているフィールドであることに驚かされた。


・さて、東北地方(富沢遺跡)の埋没林では、かつてはトウヒ属が優占し、カラマツ属、モミ属からなる亜寒帯性の針葉樹林があったらしい。ここのトウヒはトミザワトウヒと名づけられ、アカエゾマツによく似た球果の形態を示すようだ。かつてアカエゾマツが東北地方にも広く存在していたことは松田ほか(1989)でも記載されていたが、最近では、DNA解析からもその証拠が得られているらしく、青森県の埋没林では2500年間前の化石が認められたらしい(Kobayashi et al. 2000).このあたりの文献は、原著に当たってみる必要がありそうだ。

・この本を読み進めるうちに、最終氷期から日本の気候や植生がどのように変遷したか、また、縄文人の暮らしとどのように絡んできたか、ということがようやく分かってきた。ちなみに、、20000年前には現在よりも8度くらい低く、1万年前くらいから温暖化し、1万年前には現在よりも5度くらい低く、7000年前には現在とほぼ同じ、6000年前には現在よりも2度ほど高かったという推定値もあるようだ(ただし、数値は著者も参考程度としている)。

・青森県の八甲田の花粉分析では、トウヒ、カラマツ、モミを主体とした亜寒帯性針葉樹林、カバノキなどの低温帯性広葉樹の混交林から、北方性要素が交替し、ナラ類が増え、その後、ブナに替わり現在まで続くという流れがあるようだ。西日本や北海道では変遷の様子が異なるようだが、大体、これまで考えてきたストーリとは矛盾しないことが分かってきた。

・この本の後半には、縄文文化と木材の利用についての話がある。中でも三内丸山遺跡などのクリに関する研究の紹介はとても興味深かった。石斧で実際に伐採してどのくらい大変かを調べたり、その後、萌芽再生が実際に起こるか、またクリを栽培した可能性など、いくつも面白い話があった(こういう話は大好きだ)。さらに、最後には木の化石を実際に調べる研究面の技術的な話もあって、とてもワクワクした。実に面白い研究領域である。