えすみの日記

ふつーの主婦ですが、日本の未来を真剣に考えたい!

民主党はこんなところ

2010-11-30 19:57:12 | 政治について
民主党の正体を簡単にまとめている記事がありました。
見事な反日カラーです。
これじゃあ日本人のための政治はできませんな。

以下転載↓


■民主党という"政党"

●結党以来、綱領はありません。
●在日外国人も党員になれます。
●"脱官僚"や"政治主導"という稚拙なスローガンを用いて日本国民を騙し、中国共産党を手本にした"独裁体制"を日本で実現します。
●"地域主権"という"地方への甘言"を弄して中央集権を破壊し、党の支持母体や外国勢力を含めた"地方からの国家解体"を進めます。
●支持団体である韓国民団との約束で、日本の将来に全く責任を持たない在日外国人に、国民固有の権利である選挙権を付与します。
●支持母体である解放同盟の要請で、"人権侵害救済機関"を創設し、"人権侵害"を恣意的に判断し、"自由な言論を封殺"します。
●特定アジアや亡国メディアの要求に従い、靖国神社参拝は今後一切行わず、無宗教である"国立追悼施設"を建立し、定着させます。
●"東アジア共同体"の設立の支障にならぬよう、"従軍慰安婦"や"強制連行"、"南京大虐殺"等の"歴史的な懸案事項"を"解決"します。
●"国連至上主義"を掲げ、常任理事国である支那や露西亜を日本の国防に参画させ、国連での意思決定を"金科玉条"として仰ぎます。
●子供手当てや高校無償化、高速道路無料化等、"次世代へのツケ"無しには実行不可能な恒久的バラマキ政策で財政を崩壊させます。

■民主党の支持母体・支持団体

団体 - 解放同盟(解同)
市民団体 - 市民がつくる政策調査会
労働組合 - 日本労働組合総連合会(連合)
連合傘下 - 日教組、自治労、UIゼンセン、自動車総連、電機連合、基幹労連、情報労連、JP労組、電力総連、運輸労連、私鉄総連、他
政治団体 - 民主統一同盟(「がんばろう、日本!」国民協議会)、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)
宗教団体 - 立正佼成会、世界救世教いづのめ教団、崇教真光、世界基督教統一神霊協会(統一教会・統一協会)
在日団体 - 在日本大韓民国民団(民団・民潭)、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)、華人参政支持協会
遊興団体 - 全日本遊技事業協同組合連合会(全日遊連)、日本遊技関連事業協会(日遊協)


引用元:http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1291035600/1-100


↑秋篠宮殿下に野次とばしたのも民主党議員でしたね。なんて不敬な!100年前だったら、切腹ものだろ(怒)

中国はジンクスをやぶれるか。歴史は繰り返す?

2010-11-29 21:28:41 | 歴史について
こういうジンクスがある。『全体主義国家はオリンピック開催後、10年前後で崩壊する』

ナチスドイツ
1936年ベルリンオリンピック開催
1945年ナチスドイツ崩壊

ソビィエト連邦
1980年モスクワオリンピック開催
1991年ソ連崩壊


そして
中国
2008年北京オリンピック開催
となると…201?年Xデー??

果たして中国はジンクスをやぶれるか?

さらに北朝鮮が崩壊へ向かうとの報道が徐々に始まっているが、中国についてもこういう報道が注目を集めている。↓


複数の通信社が26日付けで、中国の匿名の官僚の発言を引用し、「北朝鮮はわれわれの東ドイツだ。東ドイツが消滅したときに何が起こったか?ソ連が崩壊したのだ」と伝えている。

東ドイツが崩壊したのは、1990年
ソ連が崩壊したのはそのわずか1年後。

歴史は繰り返す…!?


北朝鮮が崩壊したら、中国も同じ道が待っているのか?

中国ってこんなひどい国ですよ

2010-11-29 15:50:37 | 外交、国際関係
沖縄県知事選、保守派の仲井眞氏が勝ちました!おめでとうございます\(^o^)/


ところで中国に関する記事2つ。改めて親中派の日本人に問いたい。それでも。『日中友好』が大事ですか?
ひとつめ。黒駒さんのブログに中国高官の恐ろしい発言集が紹介されていました。以下転載↓



1957年11月 モスクワ会議 毛沢東・フルシチョフ会談
「中国は人口が6億いるから、仮に原水爆によって半数が死んでも、
3億人が生き残り何年か過ぎればまた6億人になり、もっと多くなるであろう」

1995年頃 李鵬・ポールキーティング豪首相会談
「日本などという国は20年後には世界地図から消えてなくなる」

2005年4月23日 中央軍事拡大会議 遅浩田元国防部長
「中国は自己の発展権を守るために、戦争の準備をしなければならない。
当面の急務に台湾と尖閣諸島、南シナ海諸島の三島問題を挙げ、台湾海峡での
戦争勃発時期を引き延ばしてはならない。戦うならば、日本を全面的に破滅させ、
アメリカを不具にさせなければならない。これは核戦力だけが任に堪え得るものである」

2005年7月 朱成虎少将 国防大学スピーチ
「我々は先制核攻撃により中国以外の人口を減らすとともに、自民族を温存させる
ことに力を注ぐべきだ。世界人口の総数はすでに地球資源と生態環境の許容能力を
超えておりこれを解決するために戦争、疾病あるいは飢饉などの手段を用いて大量に
人口を消滅させ人類を引き続き生存させるべきである。このための一つとして、
中国政府は全力で核兵器の開発に取り組んでおり、10年以内には地球上の半数以上の
人口を消滅させるだけの核兵器を装備させることが可能である」

2005年7月14日 朱成虎少将 外国人記者会見
台湾情勢にアメリカが介入すれば、中国はアメリカに核攻撃する用意があり、
西安から東の都市が壊滅しても惜しまない。その代わり、アメリカも数百の都市が
犠牲になる覚悟をしなければならない」

2007年5月 中国海軍軍司令官・アメリカ太平洋軍司令官会談
「将来、中国とアメリカがハワイで太平洋を二分する」



ふたつめ。石平氏のメルマガより以下転載↓

~誰よりも中国を知る男が、日本人のために伝える中国人考~
石平(せきへい)のチャイナウォッチ
http://www.seki-hei.com
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■始まった「中国からの大逃亡」 エリートばかり6万5千人■
=★==========================================================★=

中国国内紙の『経済参考報』は10日、
「中国では現在、1970年代末以来の3度目の移民ブームが起きている」
と報じている。

同新聞が行った関連調査では、
2009年に中国から米国への移民だけでその人数は6万5千人に上り、
しかもその大半は、エリートや富裕層であるという。

彼らの移民先は主に、
米国を筆頭にカナダやオーストラリア、シンガポールなどの諸先進国である。

今年4月に公表された中国社会科学院の関連報告書でも、
「中華人民共和国史上3度目の移民ブームが起きており、
中国は世界最大の移民輸出国家となりつつある」との指摘がある。

同報告書によると、70年代末、トウ小平の「開放路線」の実施で
海外の情報が入ってくるにつれ、多くの中国人が先進国と当時の中国との
あまりにも大きな経済格差に衝撃を受けてわれ先にと
海外への「逃亡」を始めたことが最初の「移民ブーム」である。

90年代初頭には2度目の移民ブームが起きた。
天安門事件直後の閉塞(へいそく)した政治・経済情勢が
その背景にあったことは明らかである。

しかし現在進行中の3度目の移民ブームの場合、様子がまったく違っている。

中国経済が諸先進国のどこよりも「繁栄」の様相を呈している中、
いまこそわが世の春を謳歌(おうか)しているはずの中国エリートや富裕層が
むしろ群をなして海外へと逃げていったというのは一体なぜなのか。

それに答えるために、前出の『経済参考報』記事は
当事者たちをつかまえて一連の取材を行ったが、
中国国内の環境汚染や食品・医薬品の安全問題、公共サービスの悪さや
社会的不平等さ、法体制の不整備と権力の横暴を原因とする「不安感」や
投資・ビジネス環境の悪化などが、多くの人々を海外移住へと
駆り立てた諸要因となっていることが、取材によって判明しているのである。

言ってみれば、中国の自然・社会・政治・経済環境の全体、
すなわち「中国」そのもの全体に対する中国人自身の嫌気と不信感こそが、
現在の移民ブームを引き起こす要因となっている、ということである。

10月に発売された『英才』という月刊誌では、
北京師範大学金融研究センターの鐘偉教授が
論文を寄稿して同じ問題を取り上げている。

彼が出した数字によると、過去10年間、中国から海外への移民数は
平均にして年間45万人にも上り、
彼らが外国へと持っていった資産は2500億ドル
程度であったという。
ちなみにこの金額は、中国の政府と国内企業が
今まで行った海外への直接投資の2倍である。

鐘教授はここで、「足による投票」という面白い造語を使って
今の移民ブームの本質を説明している。

民主主義国家では、選挙のとき、
人々は両手を使って投票用紙に何かを記入して投票箱にいれ、
それをもって自らの政治意思を表明するのだが、中国ではそんなことができない。
そうすると、人々は「手」ではなく「足」を使って「投票」してしまう。

つまり足を動かして中国から逃げることによって、
この国の現状に対する自分たちの認識や未来への見通しを示しているのである。

要するに中国の多くのエリートたちは、
この国の未来に見切りをつけて中国からの「大逃亡」を実行している。
そのことはまた、中国という国の危うさを十分に示しているだろうが、
このような動きを見て、今でも「バラ色の中国の未来」に望みをかけて
中国への進出を試みようとする日本の企業や人は一体どう考えるべきであろうか。

( 石 平 )

白梅隊

2010-11-27 23:27:07 | 国防について
青山先生の講演に出てきた白梅隊の話がねずきちさんの記事にありましたので紹介します。

以下転載↓



沖縄戦で、学徒看護隊といえば、ひめゆり部隊が有名です。

ひめゆり部隊は、昭和20(1945)年3月23日に沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校から動員された部隊です。

彼女たちは、負傷兵の看護などを行います。


本来、国際法であるハーグ陸戦条約によれば、たとえそれが敵軍であっても、医療施設に対する攻撃はしてはならないことになっています。

しかし、米軍の砲撃は容赦なく、医局にいる彼女たちのうち117名が死亡してしまいます。

6月18日、沖縄の日本軍がほぼ壊滅し、彼女たちにも解散命令が出されたけれど、逃げまどう彼女たちに容赦なく米軍の銃弾が襲いかかり、107名が解散後に死亡。

ひめゆり部隊240名のうち、終戦時までに生き残ったのは、わずか14名でした。

ひめゆり部隊については、戦後何度か映画化されているため、ご存知の方も多いです。

がしかし、沖縄戦での女子学徒による看護隊は、ひめゆり部隊だけではありません。
他に、白梅学徒隊(沖縄県立第二高等女学校)、ずゐせん学徒隊(県立首里高女)』積徳学徒隊(私立積徳高女)、梯梧学徒隊(私立昭和高女)、なごらん学徒隊(県立第三高女)などが、それぞれ看護隊として従軍しています。

ひめゆり隊の女学生たち


「白梅学徒隊」は、ひめゆり隊より17日はやい、3月6日に55名で結成されました。
そして、第二四師団の野戦病院で、看護教育を受けます。

3月23日、沖縄に米軍の猛爆撃が開始されます。

もはや、地上にある病院では危険です。
第二四師団の野戦病院は、医師や患者とともに、八重瀬岳の病院壕に移動した。

病院壕といえば聞こえはいいけれど、これはただの「ほら穴」です。
床も壁も天井も地面むき出し、近くに爆弾が落ちれば、轟音とともに天井から土や石が落ちてくる。

その洞穴に、前線で重傷を負った兵たちが運ばれてきます。
沖縄戦でも、少しでも動けるものは、銃をとって戦っていましたから、そこに運ばれてくるのは、すでに戦闘能力を失った重症患者ばかりです。

彼女たち白梅部隊は、そのほら穴で、負傷兵の看護や手術の手伝い、水くみ、飯炊き、排泄物の処理、傷口に沸いたウジ虫の処置、死体埋葬、伝令などをします。

手術は、医師たちによってほら穴の中で行われます。
爆風によってつぶされた腕や脚は、最早切り取るしかなかった。
切り取った手足は、バケツに入れられ、それを白梅部隊の女学生が、交代で、敵の爆撃のない早朝に表に捨てに行った。

3月25日と27日に、引率教師とともに、9名が除隊します。
残りは46名になった。

4月下旬になると、負傷兵が増加し、ほら穴の入り口付近まで、負傷兵であふれるようになります。

やむをえず5月上旬には、東風平国民学校の裏手の丘にも分院を開設し、収容しきれない患者をそこへ移すのだけれど、その分院のある場所にも、米軍が迫る。

やむなく分院は閉鎖し、もとの八重瀬岳の本院へ患者と白梅隊を集合させます。
分院を閉鎖するとき、白梅隊のメンバーが、歩けない負傷兵たちに青酸カリなどを与え、彼らを処置した。

彼女たちは、沖縄県立第二高等女学校の最上級生(四年生)とはいえ、いまならまだ高校一年生。16歳の乙女たちです。

痛みに苦しむ患者たちの日常の世話をし、彼らと親しく会話も交わしていたものを、歩けないと知った彼らに、青酸カリを渡した。

そのときの心の痛み、辛さ、苦しさ、哀しさはいかばかりだったでしょう。

6月4日、八重瀬岳の本院にも、敵の手が迫ります。
病院は、約500名以上のの重症患者の「処置」をします。
こうしたむごい作業も、白梅看護隊の仕事でした。

そして、病院は解散し、白梅隊も、この場で解散となります。

彼女たちは、軍と行動をともにしたいと願い出ます。
しかし、もはや死を覚悟した軍の兵士達は、彼女たちの願いを退けた。
どうしても、彼女たちには生き延びてもらいたかったのです。

彼女たちは、数人ずつに別れて、南部に向けて撤退します。
逃げるあてなどありません。

そして、爆風渦巻く中、8名が途中で死亡し、ようやく16名が国吉(現糸満市)でほら穴を見つけ、そこに隠れます。
そこが、いま「白梅の塔」のある洞窟です。

その16歳の武器さえ持たない彼女たちの隠れる壕に、6月21日、米軍が「馬乗り攻撃」を仕掛けてきます。

「馬乗り攻撃」というのは、ほら穴の上から穴をうがち、その穴からガソリンなどの可燃物を注ぎこんで火を着ける攻撃法です。

この攻撃で、壕に隠れた彼女たちのうち、6名が死亡。
6月22日、上の壕も同様の攻撃を受け2名が死亡します。
そして後日1名も、重度の火傷のため米軍病院で死亡。

結局、動員された55名の生徒のうち、17名の少女が命を失いました。



「ずゐせん女子学徒隊」は、沖縄県立首里高等女学校の、やはり4年生(いまの高校一年生)の61名の少女たちです。

彼女たちもまた、第六二師団の野戦病院(といっても、これもほら穴(壕)です)で、休む間もなく負傷兵の看護をして働き続けます。

まだ16歳の少女が、兵隊の尿を取ったり、膿だらけの包帯を交換したり、傷口にわいたウジ虫を払い落としたり、亡くなった兵隊の死体を運搬したりしたのです。

絶え間なく落ちて来る艦砲弾の下をかいくぐり、水を汲みに行ったり、食事の支度をした。

4月23日、患者を収容するために壕を出た生徒1名が、砲弾の破片を受けて死亡します。

5月20日、敵が迫りくる中、ついにこの野戦病院も退去することになります。彼女たちは歩ける負傷兵を支え、南部へ移動します。

10日間、砲火の中を逃げまどい、ようやく6月1日、摩文仁村米須の石部隊の壕に到着した。

しかし、ここも患者と兵隊でいっぱいです。

やむをえず患者だけを壕に収容してもらい、彼女たちは伊原の崖下の岩間に入った。

6月7日、その岩間が、直撃弾を受けて落盤します。
この落盤で、生徒一名が死亡している。

6月10日、軍は、彼女たち「ずゐせん女子学徒隊」に解散命令を出します。
しかし彼女たちは納得しない。
どうしても軍と行動を共にし、患者たちの面倒をみるといって聞かない。
やむなく、いったん、解散命令は撤回されます。

6月19日、米軍の砲火が激しくなり、軍は、彼女たちに、もはやこれまで。自分たちはここに残るが、君達は解散するから、逃げなさいと、説得します。

ようやく承諾した彼女たちは、いったん壕外に出るのだけれど、外はあまりに砲撃が激しく、ふたたび、壕に舞い戻った。

そして6月23日、この壕が、米軍の「馬乗り攻撃」にあいます。

壕の奥はガソリンで焼かれ、入口付近は火炎放射器で焼かれた。

いぶり出されるように生徒たちは壕外に出、米軍に収容されています。

この時の馬乗り攻撃と火炎放射機で、生き残っていた生徒のうち、25名が死亡。

結局、動員された61名の女生徒のうち、33名死亡が死亡しました。

ずゐせん女子学徒隊


「積徳学徒隊」は、私立積徳高等女学校の4年生25名です。

彼女たちも同様に、豊見城城跡の第二四師団、第二野戦病院で、負傷兵の看護や手術の手伝い、水くみ、飯上げ、排泄物の処理、死体埋葬、伝令などを行います。

彼女たちも、5月下旬には、首里の軍司令部まで米軍が迫ってきたため、真壁村糸須の自然洞窟へ撤退します。

このとき、彼女たちも重傷者に青酸カリで「処置」するようにと命令されるけれど、どうしても、それができなかった。
哀れに思った軍医が「処置」を取りやめます。

しかし、6月20日には、洞窟入口に火炎放射やガス弾を投下され、軍は、自決を決意。

小池病院長は、彼女たち積徳学徒隊に解散を命じ、
「生き延びて、沖縄戦のことを他府県の人々に伝えよ」と訓辞を与え、自決します。

その後生徒は壕外へ出て、米軍に収容された。
動員された25名の生徒のうち4名が死亡しています。

積徳学徒隊


生還した彼女たちは、入隊したときの気持ちを次のように語っています。

「全く不安はなかったね。戦争は絶対に勝つもんだと信じきっていたから」
「私たちが行かなかったら、誰が傷病者を世話するのって真剣に思ってた」
「ただもうお国のために…という気持ちで一杯だったんです」

彼女たちに戦局の様子はわかりません。
ただ、爆弾が落ち、次々に運ばれてくる負傷者を必死に介護した。

そして多くの命が失われた。

戦いに敗れ、蹂躙されるということは、こういうことなのです。

しかし闘わなければ、もっと悲惨な運命が待ち受けた。
抵抗しなければ殺されずに済んだなどということはないのです。

なぜ彼女たちが、ここまで追い詰められ、この世の地獄とも思える厳しい現実に接しなければならなかったのでしょうか。

それは戦争だったからです。

では何故、戦争が起こったのでしょうか。

日本の軍部が暴走したから?
ハルノートがあったから?
ルーズベルトが仕掛けたから?

なるほど戦争の原因については、諸説あります。
しかし、どれも他国や他人の「せい」にするものばかりです。

違うと思います。
他人のせいじゃない。

原因は、軍事バランスが崩れたからです。

日本は、平和を希求して大正10(1921)年、ワシントン会議において、米英日の主力艦保有率を、5:5:3とする条件を飲みました。

そしてこのとき同時に、米国の強い主張によって、20年続いた日英同盟が破棄されました。

そして米英が新たな同盟国となった。

主力艦保有率は、この瞬間に米英10に対し、日本は3となった。
軍事バランスが崩れたのです。

10:3では、もはや到底勝ち目がない。

日本は侮られ、続く昭和4(1929)年の世界恐慌では、日本製品がボイコットを受けます。
そして昭和3(1928)年に誕生した支那の蒋介石政権は、露骨な排日運動を展開した。

あちこちで日本人は、酷い目に遭わされるようになり、昭和12(1937)年には、支那事変が勃発しています。

そして昭和16(1941)年に大東亜戦争が勃発した。

歴史を俯瞰してみると、ワシントン軍縮会議以降、それまで世界の強国の仲間入りをしていた破竹の日本が、まさに一直線に追い込まれていたことがわかります。

世界に法律はありません。
国家間の条約があるだけです。

そしていったん戦争になれば、条約など誰も守らない。
戦時中でさえ、必死に条約を守り通したのは、世界広しといえども日本軍ぐらいなものです。

要するに世界は、力こそ正義なのです。
そのことは今も昔も変わっていない。

日本は、戦後65年、戦争をしていません。
この65年間に戦争をしていない国というのは、日本とスイスくらいなものです。

スイスは永世中立を宣言している国です。
しかし、スイスは国民皆兵の国でもあります。
スイスと戦争をする国は、スイス政府を相手取っての戦争はできません。
スイスの760万の国民皆
兵の国でもあります。
スイスと戦争をする国は、スイス政府を相手取っての戦争はできません。
スイスの760万の国民すべてを相手取って戦争をしなければならない。
しかもスイスは、国際金融の要を握っています。
世界の大金持ちの資産の多くはスイスに預けてある。
スイスが戦乱に呑まれるということは、世界のお金持ちがその財産を失うということでもあります

だから、どこの国もスイスは攻めない。

日本が東亜において戦後65年、戦争をしないで済んだのは、米国の核の傘に守られたからです。
日本を攻めることは、米国の核を敵にまわすことになる。
だから戦争が起こらなかった。
軍事バランスでいえば、日米同盟が、世界最強の地位を占めていたというわけです。

間違っても9条があるからではない。

日米同盟がなく、憲法9条だけが存在したなら、日本はもっと早く、支那かソ連に攻め滅ぼされていたかもしれない。

世界は理想で動いているのではない。
現実の利害得喪で動いているのです。

そうした現実の中で、日本に友愛腰ぬけ政権ができあがり、米軍に守ってもらった恩義も忘れて普天間出てけ、とやったらどうなるか。

軍事バランスが崩れ、日本弱しとなれば、寄ってたかって日本を食い物にし、頃あいを見計らって、日本の領土の切り崩しにかかるのは、歴史の必然です。

そして戦争になれば、また悲惨な事態が待っている。



絶対に戦争を起こしてはならない。

二度と戦争の悲惨を産んではならないと強く思うなら、日本は米国とともに、すぐに機動できる世界最強の軍事力を持つべきです。

それが、世界の平和と日本人が二度と悲惨な目に遭わせられないための、唯一の哀しい現実だからです。




青山繁治氏の講演会その4英霊

2010-11-27 21:22:29 | 外交、国際関係
沖縄と硫黄島の英霊について。

1、沖縄戦で悲劇的な最後をとげた女学校の看護隊、白梅隊の慰霊についてのお話。


生き残りのおばあさんたちとの交流や
慰霊の際に少女たちの霊の声が語りかけてくる話。


泣けました・・・。
気が付くと周りの聴衆ほとんどハンカチで目をふきふき・・・。

2、硫黄島の英霊

硫黄島は大東亜戦争の激戦地で2万人の日本兵が玉砕し、

今もその遺骨はほとんど収集されずに島に埋められたままになっている。

硫黄島はりっぱな日本の領土であり、自衛隊の基地もある。
外国ともめているわけでもない。

それなのに遺骨収集どころか、
国民は一歩も立ち入ることができない。

それは、
日本政府とアメリカが隠しておきたいことが硫黄島にはあるから。

実は
硫黄島に上陸する際に必ず使う飛行機の滑走路。

ここは日本兵の遺体が積まれた上にコンクリートを流し込んでつくられたもので、

アメリカが硫黄島を占領した後、急いで本土攻撃に移るために飛行機の滑走路を無理やり作ったのが戦後もそのままになっている。

なぜ今もそのままか。

アメリカが大東亜戦争は日本が悪者であるということにしておかないと困るから、アメリカが作った滑走路をこわして遺骨収集することを許さないんだそうです。

硫黄島で死んだ2万人の人たちは悪者なんでしょうか?

沖縄で犠牲になった看護隊の少女たちはなんのために死んだのでしょうか?


かれらに共通しているのは、
皆、
日本を守りたい、
一日でもながく守れば日本も一日生き長らえる。

という思いで
地獄の戦場で戦って、死んでいったこと。
自分のためでなく、日本のため、日本人みんなのために死んでいった。


現代日本は
自分のことだけ考えて、小さく悩んで、簡単に自殺する、
そんなひとであふれているが、

彼らがどんな思いで死んでいったかをもっと真摯に学ぶべき。
戦争の悲惨さとかではなく、
人のため、みんなのために生きる。戦うということを彼ら英霊たちから学ぶべき。

・・・・・号泣です。


青山先生感動しました!!ありがとうございました(ぺコリ)