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えすみの日記

ふつーの主婦ですが、日本の未来を真剣に考えたい!

【転載】面白いベトナム人と韓国人の会話

2010-11-25 23:02:29 | 外交、国際関係
以下転載↓
面白いベトナム人と韓国人の会話(enjoy koreaより)




2005/12/27 13:46

enjoy koreaに面白いネタがあったようですが、現在は削除されているようです。


とりかご 様

棒太郎の備暴録 radical memo by boutarou - Ver.2.0 様


にテキストが保存されています。


余りに面白いので、少し長いですが晒しておきますww


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ベトナム人「なぜ , 日本人を , 憎みますか?」

韓国人「それは , 日本人が韓国を侵略したからです.」

ベトナム人「私たちも , 55年間 , フランスに占領されました.」

韓国人「36年の日製支配は , 世界思想 , 最悪だったことです.」  

ベトナム人「なぜ?」

韓国人 「日本は , 韓国の文字・ハングルを奪って , 日本語を強要しました.」

ベトナム人「私たちは , フランス支配後 , フランス文字を , 国語にしました.」

韓国人「韓国人は , ベトナム人と違い , 独自の文化を持っていました.」

ベトナム人「ベトナム人も , 漢字を使った独自の文化を持っていました. 韓国も漢字を使って損傷されて糸口?」

韓国人「韓国人も , 漢字を使ったが , 韓国の文化は , ベトナムより , ずっと , 高かった.」

ベトナム人「ベトナム人は , 中国の侵略を , 何度や撃退した. 半万年中国の属国だった , 韓国と言う(のは) , 違う.」

韓国人「韓国人は , 独立後 , 「漢江の奇跡」と言う , 奇蹟の経済成長をしました. ベトナム人と言う(のは) , 違います.」

ベトナム人「ベトナム人は , フランス , アメリカと 30年間争って , 自力で独立しました. 経済は , 遅れたが , 自力で独立しなかった韓国人に日本とアメリカの助けで成長した 韓国人が , 偉いように一ものを言うのを願わない.」

韓国人 「韓国人は , 日本人と争って , 自力で独立した. 嘘を言わないでね!」

ベトナム人「テロは , あった. しかし , 韓国人は , アメリカのおかげで独立した. フランス , アメリカと 30年間読者に争って勝って来たベトナム人と完全に違う.」

韓国人「韓国人は , 現在 , GDPで , 世界 11位だ. 最貧国のベトナムと言う(のは) , 違う.」

ベトナム人「ベトナムは , 現在 , 最貧国だ. しかし , 私たちと戦ったフランスや , アメリカに , お詫びや賠償を要求した時はない. 日本にお金を強要して米軍の駐屯で成長した韓国と違う. ベトナムは韓国のように日本アメリカにお金を強請してごきぶりみたいに成長するより自ら起きる.付け加えて韓国はアメリカの属国でベトナムを侵略したがベトナムが韓国がお詫びと賠償を要求しなかった. これがまさにベトナム人と韓国人の民度と国家自尊心の差であることだ. 列強に支配されたアフリカの多くの国々とアメリカに原爆を受けた日本人も韓国のように減らず口を使わない.」

韓国人 「死んで! 代弁! ベトナムである !!!!! 君たち殺す!!!!!!!!!!!!!!ベトナムは最貧国! 乞食国家!貧しいベトナムである!乞食だ! 私と争うか?私の super kickは強い.ハハハハウンハハハハ」

ベトナム人「................................................................論議で結果をイクルオネルスオブヌン韓国人が暴力に頼って花瓶をし始めた.......可哀想だから承諾しよう.」


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韓国は元、明、金、清と戦い、全てに於いて見事に敗れています。


その後、例外なく属国として事大しています。


日本とは戦った記録がなく、むしろ日本と一緒にアメリカと戦っていたはずですが?


韓国人には残念ですが、ベトナムは中国と戦い続けていて、しかも何度も撃退しています。


フランスからもキチンと独立して、ベトナムの文化を守り続けています。


アメリカとも戦って撃退していますし、その時は韓国軍も参戦していました。

?

この韓国軍の蛮行も記録に残っています。

?

しかし、韓国人は近年まで、世界から孤立していた上、金の為にベトナム戦争に参加した事を知りませんでしたし、ベトナム人の虐殺を繰り返した事は一切知りません。

?

植民地が独立する場合、宗主国の残した資産を買い取ったりしないといけないので、普通は植民地の方がお金を払うのが通例でしたが、合邦国家だった日本はその逆に払う必要のないお金をわざわざ韓国に「北朝鮮」の分も含めて『賠償金』という名目で支払っています(韓国国内に残っていた資産とは別に、ですよ)。


そのお金を韓国政府が「個人補償せず」に、インフラを始めとする国内整備に投入したので、「漢江の奇跡」が起こったわけ(政府の要職についた人でネコババした人もいるようです)で、どこからも賠償させずに自力で復興しようとしているベトナムでは当然、高度経済成長を望む事は中々できないでしょう。


また、高度成長に関しては、合邦国家時代に日本人の血税が大量に投入されて、インフラが整備されていましたから、経済の基盤が根本的に違います。


それでもこれだけの民度の違いがあります。


自分が見下している相手に、情けないくらい同情されている事には気付いているのでしょうか?


東南アジア諸国から、『(アジア一技術が進んでいる)日本の隣に存在しているだけでも十分恵まれている』と羨ましがられている事も判らないようです。


韓国人を人間にしようとする試みは、三十五、六年程度では全く足りなかったわけですね。

台湾人からみた日本人論3

2010-11-25 17:55:32 | 政治について
●いつまでも学生気分に浸っている日本人
 日本に長くいればいるほど、日本人全員がずっと学生でいるのではないかという感じが強くなってきている。日本人全員が毎日、一所懸命に勉強しながら学校生活を送っているような思いにとらわれるのである。学校のキャンパスにいれば、学内で多少のいざこざがあっても、学外で起こっている陰謀や殺人や戦争からは保護され、仲間や先生に認められればそれでよしとして満足しているのである。
 その点で、今の日本人は殺害された小学校一年生の女の子のようにも思えてくる。学校では一所懸命に勉強しているが、自分をどう守るのかを学校では教えてくれないし、自分もその術を身につけていない。学校のなかなら先生や仲間に守られているが、一歩、学校から出れば守ってくれる人はいない。
 今の日本はアメリカに守られているが、アメリカが手を引いてしまえば、学校から一歩出た女の子と同じような立場に立つ。しかし、日本はどのようにしたら自立できるのかといった議論は、すぐに封じられてしまう。実行はおろか議論さえもまともにできない国なのだ。
 日本をどう守るか、日本の置かれている状態はどうなのかなどについて、日本人はよく知っている。しかし、有事の際はどうするのか、どのように対処するのか、そのようなことについては立ち上がろうとしない。日本が集団的自衛権を実行できないでいるのも、これが原因していると言ってよい。
 日本人は知識を持っている。しかし、学校で学んだ知識のように実際には役に立たない知識かもしれないし、そうでなかったとしても、使おうとしない知識であれば、いくら博学でも無知に等しいのである。
←平和憲法さえあれば、戦争は回避できると信じ込んでいる、平和ボケ日本人を憂う、良心的台湾人のお言葉です。

↑ここまで

なんか日本ておかしいよね~?
でもなにがおかしいのか深く考えずに生きてきました。
そのモヤモヤ感を見事に晴らしてくれました。

日本人としてしっかり受け止めたい言葉です。

台湾人からみた日本人論2

2010-11-25 17:55:07 | 政治について
●知識やデータは蓄積できても、発言は許されない?
 ところで、国家レベルから見れば、日本はありとあらゆる世界情勢に関するデータを持っている。日本の繁栄はこれらのデータによるところが少なくない。
 先にも触れたように、二〇〇五年一二月八日、民主党の前原誠司代表(当時)がアメリカで中国の軍備増強について脅威だと発言したことがあった。当たり前のことを指摘したにもかかわらず、民主党内からは鳩山由紀夫幹事長をはじめ前原発言を非難する声が相次いだ。
 一二月二二日、今度は麻生太郎外務大臣が閣議後の記者会見で、中国の軍備増強について「軍事費が一七年間、一〇パーセント以上伸びている。その内容はきわめて不透明だ。かなり脅威になりつつある。前原氏の『脅威、不安をあおっている』という言い分は確かだ」と発言したところ、山崎拓元自民党幹事長が「脅威と言ってしまうと、対処しなければならなくなる」と批判した。
 もちろん中国は、前原発言にも麻生発言にも、根拠のない中国脅威論であり、「中国の発展が、日本を含むアジア各国に大きな発展のチャンスをもたらすなど、地域や世界の平和に貢献してきた」と、中国の軍備増強は日本の発展にも貢献したと嘯いて反発した。
 この前原代表や麻生外相のケースに現れているように、日本では、いろいろなデータをそろえ、いろいろな知識を蓄積することは許されているが、その知識やデータに基づいて発言することや行動を起こすことは許されていないようだ。つまり日本では、研究するのはいいが、行動を起こしてはいけないことになっているようなのである。
 世界では殺人、戦争、権謀術数、裏切り、闘争、資源の争奪などさまざまなことが起こっている。しかし日本では、このようなことは映画やドラマの世界の出来事と片づけ、まるで存在しないかのように考えて「臭いものにフタ」をしているように思われる。日本人を見ていると、そのようなことが世界で起こっているとは考えたくもないというふうだ。
 これは、ある外交官から聞いた話である。
 外国人新聞記者が外務省の高官に「もし万が一、台湾と中国が戦争になったら、日本の外務省はどのような対策をとるのか?」と質問した。これはきわめて現実性の高い想定で、当然、対策はあるものと思って聞いたのだそうだ。すると高官は「われわれはそのような事態を発生させないように努めている」とだけ答えたという。
 それだけだったので、その記者はもう一度「もし発生したらどうするのか?」と聞き直した。すると高官は「われわれはそのようなことは考えたくない」と答えたというのである。
 確かに、外交官としては事態が発生する前にその芽を摘み取っておくのが役目と考えての発言だったのかもしれない。もちろん、それが外交官としての役割なのだから理解できなくもない。しかし、「考えたくない」とはどういうことだろう。発言の影響力を考えて「仮定の話には答えられない」と言うのならまだわかる。しかし、外交の最先端にいる外交官が考えなくて誰が考えるというのだ。
 実はここに今の日本が透けて見えるのである。日本人には、世界で現実に起こっている戦争も殺人も暴動も略奪も「考えたくない」対象であって、映画やドラマという虚構の世界に押し込めてしまいたいのであろう。

●戦争の想定すらできない日本人
 では、日本人は軍事学や世界情勢について無知であるかというと、決してそうではない。私が知っている自衛官にしても軍事マニアにしても、恐ろしいほどの軍事知識を持ち、世界情勢の分析も的確で、私はいつも感心しながら拝聴している。しかし、この知識を行動としてどのように活用するかについてはほとんど考えていないようだ。
 たとえば、中国と日本の兵器などの戦力をよく知っている日本人に、「万が一、中国と日本が戦うときはどうするのか?」と問うと、途端に口が重くなって、まるで貝のように口をつぐんでしまうのだ。
 このように、知識に基づいて事態を分析・予測して行動に移すということが日本ではタブーとなっている。そこで思考を停止してしまうのである。それゆえ、起こっていても、見て見ぬふりをし、起こりうると予測される事態であっても、非現実として考えないようにしているのが今の日本だと言ってもあながち間違いではあるまい。
 それが冒頭に述べたような教育にも現れ、殺人事件があるたびに、学校は身を守るための行動については教えず、命の尊さを説教するだけに終始してしまうのである。また、自国の将来に関わる防衛をどうするかという問題では、戦争の想定すらできない日本人が増えつつあるのである。
 おそらく大方の日本人は、日本が核兵器の脅威にさらされたとしても、かたくなに「非核三原則」を守るつもりなのかもしれない。しかし、前原誠司氏も指摘したように、すでに中国の核ミサイルは日本に向けて配備されているのである。これも「非現実」の事態だというのだろうか。

台湾人からみた日本人論

2010-11-25 17:54:25 | 政治について
すごく的を得ていて興味深いです。特に教育関係者、子育て中の親御さんたちに読んでほしい。以下転載↓


争いを避けたがる日本人に平和は守れない /台湾人医師の直言
これも何回 繰り返し再掲載したか・・・。
でも、また掲載いたします。
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台湾人医師の直言
               (転送転載自由) 林 建良
第2章 台湾から見た日本および日本人  
       
    争いを避けたがる日本人に平和は守れない
6、博学にして無知な日本人
●被害者に命の尊さを説教する?
 日本に来て一番感心したのは、日本人の知識の高さであり豊かさである。日本の一般庶民が、台湾の庶民に比べて豊富な知識を持っていることに驚かされた。ごく普通のおじさんやおばさんでもかなりの教養を持っていて、文化、芸術、文学など、いろいろなことについて知っている人が少なくない。
 私は栃木県の片田舎で生活しているので、まわりには農家の人が多い。そこには俳句や短歌を作っているおじいちゃんやおばあちゃんたちがいて、彼らはよくその作品を私に見せてくれる。なかには、絵を描いているお年寄りもいて、その絵をもらったりもする。話をしてみると、国の経済状況にしろ社会状況にしろ、それなりの知識を持っていて、私の知らない話をよく聞かせてくれる。
 日本に来る前から、日本人は本を読むのが大好きだと聞いていた。実際、日本に来て本屋をのぞいてみると、思っていた以上に出版されている数が多いのに驚かされた。あらゆる分野を網羅し、手に入らないものはないのではないかと思い、日本人は出版物には恵まれていると感心した。
 おそらく日本人は、世界のどの民族と比べても知識の点では最高水準にあるのではないかと思われる。しかし、なぜか非常に幼稚とも見えるところがある。無知に近い、あるいは無知と言っていいような現象を見聞きすることが多い。
 私がよく予防注射に行く栃木県今市市(現日光市)内の小学校で、一年生の女の子が殺害されるという事件が起こった。何とも酷い事件である。
 このような事件が起こると、学校では決まって全校集会を開き、子供たちに命の尊さを説教する。しかし、これは異様な光景だ。被害者になっていたかもしれない子供たちに、命の尊さを説教するということにどういう意味があるのだろう。子供たちに命の尊さを説教するのは滑稽としか言いようがない。命の尊さを説教するなら、犯人にすべきなのである。子供たちに教えるのは、いかに自分の身の安全を守るか、それだけだ。
●人間の善の面ばかりを強調しすぎる日本の教育
 日本の戦後教育を見ていると、人間の善の面ばかりを強調して、悪の部分には触れたがらない傾向が強い。まるで童話の世界を見ているようだ。しかも、それは幼い者に対するほど顕著で、制約を極力なくして、本能的な部分を尊重しているようだ。かつて小児科も担当していた私から見れば、これは子供の動物的部分を放置するようなもので、教育の放棄でしかない。
 たとえば、個性の尊重を強調する。しかし、人間はそもそも自己中心的なので、教えずとも本能として個性を発揮する。学校教育というのは、自分の個性だけではなく他人の個性を尊重し、社会のルールを守ることを教える場だ。それを、個性や自由といった本能に類することを教えるというのだから、これが学校教育と言えるのかどうかはなはだ疑問だ。
 また、幻の平和と反戦を吹聴する一方で、正義感と冒険心を意図的に子供たちから取り除こうとしている。そして、決まって命の尊さを説教する。子供の悪に相当する動物的部分を放置しながら、正義感と冒険心を抹消しようとするこのような日本の学校教育は、偽善的で偏っているとしか言いようがない。
 そもそも、子供が善の存在だというのは幻想にすぎない。子供にも悪の部分はある。だからこそ躾が必要なのであり、さらにこの世には善もあれば悪もあるという現実を子供に教えるべきなのである。悪の存在を教えないような教育であれば、当然ながら悪に向かっていく正義感も育たない。また、我が身を守る心構えも育たないのである。
 このような教育はつまるところ、子供に迎合して教育しているのである。知恵のある者が知恵のない者に合わせて教育しているということである。こういう教育の現状を見てしまうと、これは無知に基づいてやっているとしか思えないのである。
 私は地域診療のかたわら、地元の小学校と中学校の学校医も務めている。日本の教育は子供に媚びる傾向が異様に強いように感じている。
 子供を無垢で善な存在と考え、それに基づいておこなわれる個性尊重の教育は、結局、教育現場の崩壊をもたらしているが、これは教育責任の放棄以外のなにものでもない。なぜなら、それは人間は本来、善と悪を兼ね備えている存在であることを無視しておこなっている教育だからである。結果として、人間の悪の部分を矯正することを放棄し、善を伸ばすこともできないのだ。
 子供を善の存在とする教育思想は、子供の悪の部分を放置して助長してしまう。実際、私の診療室に、親に対して命令形で話をしたり、バカと怒鳴りつけたりする子供を多く見かける。このような子供たちがどのような大人になるのかは、成人式での新成人の悪ふざけを見れば想像がつく。
 なぜ賢いはずの日本の大人はわからないのか、台湾人の私は理解に苦しむ。いや、わからないはずがない。戦前の日本人は子供に媚びるような真似はしなかったという。しかし、現代の親や教師にとっては、個性の尊重を楯に、子供に媚びる方が楽だからだろう。