えすみの日記

ふつーの主婦ですが、日本の未来を真剣に考えたい!

【韓国】反日運動に異論を唱えるソウル大教授

2011-02-26 23:15:44 | 韓国
【韓国】反日運動に異論を唱えるソウル大教授




台湾ではありません。韓国の人たちの証言です↓↓
大東亜戦争「日本肯定論」 4 日本統治経験国識者の証言

韓国

李栄薫氏 ソウル大学教授 

「我々は1970年代、国定教科書体制として切り替えながら、
『仮想の歴史』を作って来た。旧韓国末期に対する歴史歪曲も深刻で、
日本の帝国主義時代の歪曲も厳重だ。
このような事を何らの検証無しで教科書に書いているのだ。
これはあきらかな反知性だ」



朴承復氏 センピョ醤油会社会長

「横尾先生に私は何故か特別に可愛がってもらいました。
商業美術の先生で、授業時間以外にも個人的にもよく教えて下さいました。
いろいろな相談にものっていただいた大恩師です。
戦後韓国の大統領もみな、来日した折に昔の日本の恩師を訪れていますね。殖産銀行に勤めて数年たってから給料袋に100円札が入っていた時には、
本当にうれしかったですねえ。
一般の人では100円札はそうそう見ることができなかったですから。
日本人、朝鮮人の差別なく公平で、本当に真面目に仕事がよく出来て
能率の高い人にたくさん支払われていました。
殖産銀行に勤めていた時代は、まさしく夢のような時代でした。
最高の待遇を受けていたので、
終戦に至るまで生活に困ったことはありません。
大東亜戦争がおきると日本人は次々に軍に徴用、つまり徴兵されました。
自分にも赤紙が来たんです。それを知った滝支店長が怒って、
知事に対して抗議をし、徴用を撤回させたんです。
自分にとっては一生の恩人です」

呉善花氏 評論家

「母はまた、日本人はみんな親切で、道に迷って「駅はどこですか」と
尋ねたりすれば、老若男女だれもがとても丁寧に教えてくれると言っていた。
親以外のまわりの大人たちから聞かされた話もまた、
日本に対して悪い印象を語ったものはほとんどなかった。
従兄弟の一人は、当時のことを鮮明に覚えていて、
私に次のように語ってくれた。『日本人の同級生とはとても仲良くしていたし、
差別ということはまったくなかった。学校以外でも日本人はみんなやさしくしてくれた。死ぬまでになんとかもう一度日本に行って、あのころの日本人の友人たちに会いたい』」

「日本統治時代に生活していた韓国のお年寄りには、
日本人に悪感情を抱いている人は圧倒的に少ないと言えます。
例えば『学校での生活はどうでしたか?』と聞いて大部分の人が
日本人の先生にいい先生が多かった。といいます。
それに敗戦後、日本人が日本に帰る時に、日本人に対する
暴動も起きなければ略奪行為もほとんど起こっていないのです。
私が韓国にいた間、昨今言われるような『従軍慰安婦』の話を
いっさい耳にしたことがなかった意味がようやくわかったと思いました」


~まだまだ続きます。
続きはこちらで↓↓↓

http://www.google.co.jp/gwt/x?client=twitter&wsc=tb&wsi=c6422d21ce16c242&u=http%3A%2F%2Fameblo.jp/bossclub/entry-10578513124.html&ei=NNhoTd6sMZLxkAWf29yKAQ&ct=np&whp=3408




パチンコ撲滅へ動きだした日本

2011-02-25 00:10:03 | 政治について
my日本で告知されていたイベントです。
my日本メンバーでなくても、どなたでも参加できます!
パチンコ撲滅したい方の参加おねがいします!
↓↓↓


タイトル パチンコ違法化・大幅課税の会設立大会(3/17)開催!
作成者 荒川区議 小坂英二
開催日時 2011-03-17 18:30開会(18:00開場)
開催場所 東京都豊島公会堂(池袋駅前)
関連コミュニティ パチンコ禁止法案
詳細  日本で初めて大規模な形で有志の国民・議員がパチンコの違法化を前提として大幅課税、CM禁止を求める会の設立総会を行います。2月22日現在、会場の予約を終え、取り急ぎ告知をさせていただきます。

 ブログサイト:http://ameblo.jp/kosakaeiji/entry-10809655797.html

 後援・協賛団体への声掛け、国会議員、各政党への働き掛けはこれからです。

 豊島公会堂という802人の会場に、1人でも多くの方にご来場いただい、日本人の正気を示そうではありませんか!多くの方にお声をかけていただき是非ご来場下さい。

代表世話人 荒川区議会議員 小坂 英二

日時:平成23年3月17日(木)
    18:30開会(18:00開場)

場所:豊島公会堂(みらい座いけぶくろ)
※JR山手線池袋駅東口下車 徒歩約5分

★若宮 健 氏:基調講演(「何故、韓国はパチンコを全廃できたか」著者)=決定

★パチンコ中毒経験者の体験談

★来賓よりの挨拶

★シンポジウム

★賛同議員からのアピール

★共同宣言採択

などを中心に予定していますが、さらに充実していきたいと考えています。

※会のツイッターアカウントは pachiihouka です。是非、フォローを!

(設立趣意書)
22兆円産業のパチンコ産業は日本国にとり娯楽の範疇を超え、依存精神の増大、育児放棄、勤労意欲の減衰を大規模に招き、大きな社会的問題となっている。

テレビを中心とするマスコミもパチンコメーカーが莫大な費用をかけてCM等を流し、特定番組のスポンサーになってる背景も有り、その危機的状況を伝えることはほとんどないのが現状であることに危機感を持つ。また、人道に反する存在である北朝鮮の延命資金を提供しているとの指摘もなされているのは周知のことである。

日本における成人男性の6%が異常ギャンブルリングに陥っているという調査結果は欧米諸国と比べても高く、15,000店ものパチンコ店が日本全国に有り、遠隔操作等を通じて依存症が作りだされている背景が有ってこそである。

そもそも、法の抜け穴を利用して射幸心を煽り国民をギャンブルに誘い込むことを許されていることが、異常である。韓国では平成20年にパチンコを違法としたが、自国民の劣化を防ぎ、社会の混乱を避ける為にも極めて妥当な判断である。

日本国においても、パチンコは違法なものとすべく法を明確に改正し、国民の劣化を防ぐことが次世代への責任であるとの信念を持つ議員と国民が連帯して問題提起をする場を作るべく、「パチンコ違法化・大幅課税を求める議員と国民の会」を設立するものである。

国に対しては「パチンコの違法化」を求め、地方自治体に対しては廃止までの間「パチンコへの大幅課税」を求めることが活動の主体である。同時に、パチンコメーカーによるテレビCM等禁止を求めることは言うまでも無いことである。

パチンコ廃止を求める活動を通じて、「日本民族が正気を取り戻す」べきことを訴えることも重要である。多くの地方議員と国民の参加を通じて運動が盛り上がり、世論を背景に目的が達成されると信じて会を設立するものである。

活動内容:

・国会・地方議会への請願運動
・問題意識を共有すべく専門家を交えたイベントを開かれた場で開催する
・同志の情報共有・情報公開・共闘
・パチンコ問題啓発の街頭活動・デモ開催
・その他、会の目的達成に必要な取り組み

※パチンコ違法化・大幅課税を求める議員と国民の会、賛同議員・前議員(候補)は現在も募集中です!お知り合いの議員(前職。候補も含む)へ是非、お声掛けを!

★賛同地方議員:(都道府県・自治体五十音順)

(新潟県)柏崎市議 三井田孝欧

(埼玉県)埼玉県議 鈴木正人 埼玉県議 諸井真英
     吉川市議 安田真也 行田市 柿沼 貴志(挑戦中)

(千葉県)千葉市議 田沼隆志 前銚子市長 岡野俊昭

(神奈川県)伊勢原市議 添田隆晴 横浜市議 工藤裕一郎

(東京都)東京都議 土屋たかゆき 荒川区議 浅川喜文
     荒川区議 小坂英二   杉並区議 松浦芳子
     中央区議 二瓶文隆   港区議 山本へるみ
     日野市議 古賀壮志

(静岡県)浜松市議 新村和弘

(三重県)四日市市議 諸岡覚

(大阪府)泉大津市議 南出 賢一 堺市議 水ノ上成彰
     高槻市議 北岡隆浩   摂津市議 嶋野浩一郎
     前八尾市議 三宅博

(山口県)防府市議 伊藤央

(福岡県)行橋市 小坪 慎也(挑戦中)

(沖縄県)前沖縄県議 国場幸之助

★賛同有識者
(敬称略)
坂東忠信  (元警視庁通訳捜査官 『日本が中国の「自治区」になる』著者)

若宮 健  (作家 『打ったらハマる パチンコの罠 1,2』
「何故韓国はパチンコを全廃できたのか」著者)

西村 幸祐 (ジャーナリスト、作家、評論家、戦略情報研究所株式会社客員研究員)

古谷 経衡(Webデザイナー、アニメ評論家、ブロガー、インターネットラジオパーソナリティ)

田口 圭 (『日本独立宣言』主幹、保守活動家)
募集期限 2011-03-17
募集人数 802人




ドンビキ!

2011-02-24 06:14:53 | 日記
ドンビキしました…
もうお金儲けのこと以外語るな~!「バカ」と「無知」の会話に興味ない人はスルーしてくださいね↓



ひろゆき「“国を守るために戦う”ってどうかと思う」…ホリエモン「国を守りたいっていう人は、“国に…

1: ののちゃん(東京都):2011/02/22(火) 06:16:50.47 ID:xxmCK28v0●
(※以下は抜粋です。全文は週刊プレイボーイ誌面でどうぞ)

■「日本を守るために戦う」は、ありか、なしか…

ホリエモン(以下「ホリ」) そういえば、この前の“朝生”で尖閣ビデオ流出の問題がテーマに挙がったんだけど、「流出がいいか悪いか」
ということよりも、俺はもっと上の問題「国を守るべきか、守らないべきか」を議論したかったんだよ。要は「国ってなんなの?」ってこと。
「国を守りたい」って思ってるのは“国に頼ってる人”なわけで、国を頼ってない人は「別に関係ねえや」って思ってるわけでしょ。

ひろゆき(以下「ひろ」) それは、ほかの国で暮らせる余裕のある人と、暮らせない人っていうことですよね。

ホリ この話をすると、必ずそういうふうに言われるんだよ。「海外で暮らすお金がない人はどうするんだ」とかね…。

ひろ でも僕は、海外で暮らすために必要なのはお金の問題じゃなくて、“度胸”の問題だと思いますよ。だって、中国人とか言葉しゃべれないのにほかの国に行って、いきなり中華料理店とか始めるじゃないですか。あれはすごい度胸だと思う。例えば、ロサンゼルスに行く片道5万円ぐらいのチケットを買う経済力は、ほとんどの日本人が持ってるでしょう。そこで、不法滞在してでも日本料理店を始める度胸があるかどうかの問題だと思うんです。まあ、それをやる必要がないからやらないだけで、本当にヤバかったら、みんなやると思うんですよ。

ホリ だって、昔は日本人もハワイとかブラジルに移民してたじゃん。
ひろ ほかの国で生活しようと思ったら、経済力がなくても度胸さえあればなんとかなる。
ホリ なんとかなるんだよ。でも、みんなは「命をかけて国を守らなきゃいけない」って言う。
ひろ 僕は、国を守るために戦うっていうのはどうかと思いますけどね。
ホリ そうすると、外国が攻めてきて「日本人が殺されてもいいのか?」って話になるでしょ。

ひろ 戦争になるって想定すべきじゃないと思うんですよ。戦争が起きたら誰かが死ぬじゃないですか。だから、戦争になったら、それは
不幸なことなんですけど、無血革命みたいな形で譲渡されて、人が死なないんだったら、いいんじゃないの?みたいな気持ちはあります。

ホリ 武力衝突がなければ、俺もそれはそれでいいんじゃないかって思うんだよ。それに、他国が攻めてきて「じゃあ、どうぞ、どうぞ」って
明け渡した場合、日本人が今まで積み重ねてきたものや暮らしがなくなるっていうわけでもないでしょ?

ひろ なくならない人たちもいるでしょうね。
ホリ 俺はかなり残ると思うよ。だって、俺が会社をM&A(合併・買収)しても、組織はだいたい残すじゃん。
ひろ 役員とかトップは首をすげ替えられるけど、現場の社員とかは残りますよね。
ホリ でも、まあ、ある程度は残るでしょう。だから、結局、困るのは上のほうのヤツらなんだよ。ほとんどの民衆の生活はあまり変わらない
と思う。
ひろ 民衆はあまり変わらないでしょうね。

ホリ 変わらないのに、変わるって思わされて戦争をするのはおかしいって言ってるの。
ひろ 今の日本でも、総理大臣が代わっても生活は変わらないですからね。偉い人とかメディアって、結局、権力を持っている側だから、
「外国が攻めてきたら大変なことになるよ」って洗脳しないとまずいんじゃないんですか。

ホリ だから洗脳してるんだよ。太平洋戦争のときに「鬼畜米英が攻めてきて、ヤツらに占領されたら女性は犯されて…」って言ってたけど、
占領されたら進駐軍が子供たちにチョコレート配ってたみたいな。
ひろ 確かに、日本はアメリカの庇護下で経済成長したわけですからね。

ホリ だから、もしかしたら将来、「あのとき、中国の何十番目の省になったほうがよかったんじゃね」みたいなことがあるかもしれないよね。
ひろ たとえ国が変わっても、民衆は何も変わらないってことがあるわけですからね…。

ホリ そう考えると、「国を必ず守らなきゃいけない」っていうのも、なんかヘンだよね…。

ソース(週刊プレイボーイ 3/7号 34~37ページ)


…。
………。
…………。

…こんな無知っぷりを堂々と披露する彼らの度胸に敬服します。

東京裁判をめぐる因縁?

2011-02-23 10:02:59 | 日記
同じく、黒岩氏の論文より引用させていただきます↓

http://npojpa.org/guuzentogaizen

NPO日本パラオ協会理事長 黒岩 徹

「興亜観音」は戦後東京裁判でA級戦犯として処刑された元陸軍大将松井石根が、対米英戦争が始まる約二年前の昭和15年2月に、伊豆山腹(現熱海市)に建立したものである。昭和12年8月からの支那事変で戦死した部下の将兵約2万3千人と相手支那軍の戦死者を、「怨親平等」精神の下、敵・味方等しく供養するためであった。現在は観音像に加え、「大東亜戦争戦没戦士菩提」(昭和十九年建立)、「大東亜戦争殉国刑死一〇六八霊位供養碑(BC級戦供養)」、「七士の碑(A級戦犯供養)」が建っている。  さてA級戦犯とされた七士は昭和23年12月23日――今上陛下(当時皇太子)のお誕生日――に処刑、遺体はその日に横浜久保山で火葬された。火葬が済むと米軍兵士は区別されていた七士の遺骨を無造作にかき混ぜ黒塗りの箱に一緒に入れて運び去った。 ところが黒塗りの箱に入れ残った遺骨遺灰骨壷約一杯分が、米兵の手でゴミのようにコンクリートの穴に捨てられたのを当時の飛田火葬場長が目撃していた。これを飛田場長から聞いた三文字正平氏(東京裁判の小磯国昭元首相弁護人)らは26日夜半、厳重な警戒網を潜っ
てその遺灰を回収し、取り敢えず近くのお寺に隠すことに成功した。  その後三文字氏は松井大将他七士の遺族らと相談し、翌年5月3日広田弘毅、東條・武藤両未亡人とともに興亜観音を訪れ、先代堂守伊丹忍礼師に「知り合いの方の遺骨だが時期が来るまで秘蔵しておいて欲しい」と申し出られた。伊丹師は一見して七士のものと直感、こころよく承諾された。そして独立回復後の昭和34年4月19日、吉田茂元総理の字で彫られた「七士の碑」が建立された。遺灰は今碑の下に埋葬されているが、実に飛田氏、三文字氏、伊丹忍礼夫妻のご偉業である。なお、松井大将のふるさと愛知県の幡豆郡三ケ根山にある「殉国七士之墓」は、三文字氏らの配慮により昭和35年8月に興亜観音から分骨して建てられたものである。以上には余話があり、これからが本文の趣旨である。 東京裁判の七士処刑の責任者ヘンリー・ウォーカー中将は朝鮮戦争では米軍司令官であった。七士の二年目の祥月命日である昭和25年12月23日、中将は第一戦視察の途中自ら運転していたジープの操縦を誤り事故死してしまった。周囲が七士の祟りと思ったのも無理はない。中将の副官は友軍の韓
国将校意見を入れ、興亜観音に七士の墓があると聞きお詣りに訪れた。話を聞かれた伊丹師は「怨親平等」と彼等を温かく迎え、ウォーカー大将(死後昇進)の霊を丁重に供養して差し上げた。 さて果たしてこれは偶然であろうか。
山下奉文陸軍大将(最終階級)は、大東亜開戦後短期間でシンガポールを攻略、「マレー の虎」の異名で知られたが、その後閑職。昭和十九年九月二十三日、第十四方面軍司令官としてフィリピン戦線へ赴くが、二十年九月三日フィリピンのバギオで降伏調印、マニラにおいて戦犯裁判にかけられ、マニラ大虐殺の汚名を着せられて、昭和二十一年二月二十三日極東軍事裁判BC級戦犯最初の絞首刑に処せられた。この日はアメリカ建国の父ジョージ・ワシントンの誕生日(時差で22日)であり、アメリカは山下将軍をこの日の祝賀行事の生贄に供したのであった。  次いで同年アメリカは、四月二十九日の昭和天皇ご誕生日を選んで、既に巣鴨プリズンに拘置中の戦犯容疑者の起訴状を極東国際軍事裁判所に提出した。以下は略すが前述のとおり約二年半後、次の皇帝陛下(当時皇太子殿下=今上陛下)のご誕生日である十二月二十三日に、A級と称した七士の処刑を行った。その巡り合わさる因果の一つが既に述べたウォーカー中将の事故死である。それから更に九年二ヵ月後、昭和三十五年二月二十三日、昭和天皇の次の次の皇帝陛下となられる親王(=徳仁皇太子殿下)がお
生まれになった。アメリカにとってこれは全く予期せざることであった。当時の日本国皇帝陛下のご誕生日の起訴状提出と皇太子殿下のご誕生日の処刑により、皇室の祝日を日本の呪われた日に変えようとするアメリカの醜い目論見は、七士に関しては処刑の二年後に既に見返りを受けて潰え去り、国際軍事裁判たる茶番の始まりの儀式たる山下将軍処刑劇もまた、十四年後のお世継ぎ親王殿下のご誕生により打ち砕かれ、浄められ、今やアメリカの呪いは何処にも無くなったのである。                    

美智子皇后陛下と硫黄島訪問

2011-02-23 10:01:35 | 日記
皇室問題の本を読んでます。
その本の中に
美智子皇后陛下が硫黄島訪問によって、失語症からお言葉を取り戻したことを知りました。

詳しく知りたくて、ググッてみました。以下引用します。↓


http://npojpa.org/guuzentogaizen


NPO日本パラオ協会理事長 黒岩 徹

「文芸春秋」(八月号)には「慰霊の旅と失語症状回復の真実―――美智子皇后と硫黄島奇跡の祈り」(梯(かけはし)久美子(くみこ)氏)が掲載されている。「昭和の時代が生み出した大量の戦没者は、天皇家が背負う、いわば“負債”である。今上天皇は、その負債を昭和天皇から引き継いでいるという自覚がおありになる。」などと言う松崎敏弥(皇室ジャーナリスト)の言を無批判に引用していることが気になるが、それはここでは置いて、以下私見も交え当該文を要約する。 平成五年十月二十日、この朝五十九歳の誕生日を迎えられた美智子皇后陛下は、御所で公務身支度の最中に突然倒れ、以来言葉を失った。当時週刊誌等では、“宮内庁職員を自称する匿名の筆者”が『天皇皇后両陛下の私生活が、昭和天皇の頃と比較して快楽主義的である』とした批判を繰り広げ、『原因は皇后陛下のお力が増大してしまったこと』だと述べていた。皇后陛下は誕生日を迎えるに当たり、これらバッシングに関し、宮内記者会の質問に次のような文書で回答を寄せていた。これを読むと、皇后陛下が如何にご心労を重ねたかが分かり、医師の診断「心因性の失語状態」
も解る。
「どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。今までに私の配慮が充分でなかったり、どのようなことでも、私の言葉が人を傷つけておりましたら、許していただきたいと思います。しかし、事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます。批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません。(以下略)」  皇后陛下はしかし、文字は書け、声も出せる、ただ音声として言葉を発することが出来ない状態の中で、ご自身の強い希望で公務を続けられた。そして翌平成六年二月天皇皇后両陛下は慰霊のために硫黄島を訪れることになった。小笠原諸島の南端のこの島は、その名の通り硫黄の蒸気が噴出す火山島であり、川は一本も無い。昭和二十年二月、島に迫った米軍は五日で落とすと見積もったが、二万余の将兵率いる栗林忠道中将(死後大将)は、島じゅうに地下壕を掘らせ、全員が地下にもぐり徹底抗戦する戦法を採った。日本兵は地熱と渇きに苦しみながら、米軍の地下壕封鎖作戦等に対抗、三十六日間の持久戦の末三月玉砕した。今も地下壕に閉じ込められたまま一万
三千柱が眠っている。  さて六年二月十二日午後一時前、両陛下は航空自衛隊のC1輸送機で硫黄島入りした。約二時間、国が建立した「天山慰霊碑」、東京都が建立した「鎮魂の丘」等での慰霊を終え、帰国する直前、基地庁舎の中で、皇后陛下は、東京都遺族連合会の石井金守会長に「ご遺族の方たちは、みなさん元気でお過ごしですか」とお言葉を述べられた。同席した硫黄島協会の遠藤善義会長も聞いている。実に約4ヶ月ぶりの皇后陛下の音声会話であった。これに関し、当時の宮内庁発表では、「お言葉が出たのは硫黄島訪問の翌日十三日、小笠原諸島父島で、地元子供たちのアオウミガメ放流の際に『あれが私の放したカメ』と放しかけた子供に『次の波が来るとカメは海に帰るのね』と答えられた。」ことになっている。また新聞でもそう報じられた。 我々がこれに対し言えることは「硫黄島英霊が皇后陛下のお言葉をお戻しになられた」ということだけである。そして以上の事実を著した梯氏には敬意を表する。それに引替え、宮内庁は昔も今も何を考えているのか。 我々はこの様な話をいくつも聞いている。このようなことは果たして「偶然」と片付けてよ
いのだろうか。英霊のご加護やお気持ちを思うとき、そこには「蓋然」があるのではなかろうか。それが私の疑問であり、本文の趣旨である。