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えすみの日記

ふつーの主婦ですが、日本の未来を真剣に考えたい!

民主党のおそろしさ(政権交代前から相次ぐこれだけの不審死)

2010-11-13 19:00:16 | 政治について
民主党は危険だ!
民主党に楯突いた者たちがわずかな期間にこれだけ不審死を遂げている。

これはまるで、旧プーチン政権下のロシアと変わらない。日本を恐怖政治から守れ!以下転載↓


小沢一郎のまわりで続く不審死


09/01/03 小沢がトップに返り咲くきっかけになった偽メール事件の元民主党衆院議員 永田寿康  自殺
09/01/21 西松建設社長を逮捕
09/01/21 元西松建設専務 死亡
09/02/24 長野知事の元秘書(西松建設事件での参考人) 死亡 (電柱にロープを巻きつけ首吊りする不自然な自殺)
09/03/01 「小沢一郎氏と秘書と、ダム工事のただならぬ関係」を追及してきた記者(吉岡吉典元議員) 旅先ソウルで死亡
09/03/03 民主党岩手支部家宅捜索
09/03/04 民主党事務所のある相模原卸売市場全焼 (民主党の資産管理団体事務所はここだった)  あまり報道されていないが火災の第一発見者は民主党秘書。助かった人 小沢氏の第一秘書・大久保容疑者も自殺の恐れが出てきたため、検察が逮捕し確保
鳩山の献金問題
09/07/0? 秘書2人行方不明。秘書の家族も行方不明に。続報なし
09/08/28 鳩山、全選挙期間中を通じて、たった一日だけ北海道に訪れ選挙運動。税理士の花田氏も呼んで懇親会を開催
09/08/29 鳩山の会計監査人、故人献金を最も知り尽くした税理士花田順正が心不全で死亡
09/08/30 衆院選、民主党大勝利
09/10/04 天皇陛下の韓国御幸に反対した宮内庁式部長官が登山中に死亡 同日核武装議論発言など特アに嫌われるタカ派議員であった中川元財務大臣が自宅で死亡。同じ選挙区の民主党議員の政治資金疑惑で辞職すれば、繰上げ当選の可能性がマスコミに取りざたされはじめたタイミングであった。
09/11/21 民主党本部に侵入の男 鳩山議員のパソコン破壊
09/12/14 山本アナが「たかが一政党の幹事長ごときが・・・」と発言
09/12/15 山本アナの身内が死亡。
10/02/?? 小沢の地元、岩手県議会で大きく取り上げられた県警不正経理・裏金問題で、宮古署会計担当者が行方不明に
10/04/15 宮古署会計担当者、宮古の沖合で死体で見つかる。県警では事故と自殺の両面から捜査すると表明。
10/04/30 徳之島町役場職員が貝を採っている最中に溺れて死亡。夜18時、ウツボがいる危険な時間帯なうえ、満潮という絶対に貝を採るにはありえない時間帯であった。「胸に擦り傷」が報道規制される。
10/08/11 民主党の小沢、鳩山を潰すのを命にしていた景山日出夫・NHK解説委員がトイレの個室のフックにネクタイをかけて首を吊って変死。



勇気ある告発者の海保職員の身辺が危険になるのではないかと大変危惧します。

100年前の尖閣諸島沖遭難事故の裏エピソード

2010-11-13 14:18:15 | 外交、国際関係
昨日の海上保安庁による中国人救助のニュースをきいて思いだしました。

尖閣諸島の日本領有権を中国が認めていた証拠としてマスコミに頻繁に登場した中国(当時は中華民国)
からの感謝状。これは100年前に中国の漁民を尖閣諸島の日本人が救助した事件で中国からもらったものです。この事件には面白い裏エピソードがあったのです。


『WiLL緊急増刊11月号』報道写真家山本皓一氏の記事より抜粋させていただきました。

まずは皆さんご存知の事件のあらましを。↓
1918(大正八)年、
福建省から浙江省の沖合いに向かっていた中国の漁船・金合丸は31名の乗組員を載せて漁場に近づきましたが、途中、暴風雨に遭い、怒濤に翻弄されながらながされること5日間、一二月三十日になって、ようやく尖閣列島和洋島(現在の魚釣島)に漂着し、島主の古賀善次らにたすけられます。
古賀らはこの遭難者たちを手厚く保護し、すでに食料も尽き飢餓寸前に陥っていた漁師たちに食料をわけ、応急処置をしたのち、翌年一月十日に石垣島へ輸送。十日間ほど宿舎で保護し、身体の回復を待って、二十一日には大阪商戦の貨物船・八重山丸に乗せ、台湾の基隆経由で故郷の福建省まで送り届けました。

これに対して翌大正九年五月二十日、中華民国長崎領事から感謝状が送られています。
これが中国が尖閣諸島を日本領と認めていた証拠とされる、感謝状ですね。
感謝状の内容はマスコミで散々伝えられているので、省略します。

で、
この事件はここで終わりではありません。

漁民はめでたく帰国したのですが、その後、石垣村長は日本政府に対し、31人分の食費や旅館代、さらには故郷までの運賃など漁民救済費用627円67銭を日本政府に請求しています。現在のお金に換算すれば約300万円ほどですが、当時の石垣村にとっては大きな負担でした。

ところが、請求された日本政府も日清、日露戦争で戦費を使い、苦しい財政状況にあったので、在支那日本公使館に「救護費用は中国政府にはらわせよ」と訓令をします。
これに対して、在支那特命全権公使の小幡酉基地吉が「意見具申」を外務大臣に突き付けました。
「こうした漂着事件の類いは人道上の見地から判断すべきであり、特に隣接する支那とは〝困ったときはお互いさま゛と考えるべきだ。費用の請求を冷然と日本公使から支那政府に申し入れるがごときは、せっかくの救護の本旨を没却するものである。日本の勘定高さを嘲笑されかねない。一銭たりとも請求しないことを、むしろ世間に周知させて『日本人の徳』をみせたほうがよい」

当時中国では、現在の反日運動にも勝る排日運動が盛んで、一九一九年五月には五・四運動が起こっている状況でした。
そんな中で、日本の度量の広さを見せよと意見具申した小幡の気概が伝わってくるようです。


最終的には、この事案が長崎県知事と、感謝状を発行した中華民国長崎領事との間で請求する、しないのやりとりが重ねられ、実に一年以上もかかって、結局、日本は中華民国から救護費用全額の償還を得ています。
これには当時の日中関係が如実に現れており
現在日本が失ってしまった

「強気」
「粘り腰」

の姿勢がうかがえるのではないでしょうか。

↑引用ここまで。


あの感謝状の事件で日本が中国に救護費用を請求してきっちり払わせていた、
というのは驚きでしたが、
昔は日中関係はかなり悪かったときでもちゃんと言うべきことは言い、やるべきことはやっていたんです。

日中関係がどうのこうのとやるべきことをやらない某健忘長官に
かれら先人の爪のアカを飲ませてやりたいです。