えすみの日記

ふつーの主婦ですが、日本の未来を真剣に考えたい!

靖国神社参拝した子供たちの感想文

2012-05-21 06:20:06 | 歴史について
先日、諏訪大社に行ってきました。
でも、時間なくて、下社秋宮しかいけなかった・・・(泣) 。

今度はツアーじゃなくて、ちゃんと時間つくって、諏訪大社、4つとも全部まわるんだいっ!

ちなみに、しらべてわかりました。
諏訪大社が4つの宮にわかれてる理由↓
http://allabout.co.jp/gm/gc/67663/3/

なんと、建御名方命夫妻の夫婦ゲンカが原因なんだって

諏訪大社、面白すぎる…

で、本題はここから・・・

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諏訪大社の社務所でもらった小冊子。長野県神社庁発行の機関誌なんですが、こういうことが載ってました。

長野県の神社庁は毎年、県内の小中高校生を靖国神社参拝旅行に連れていってるそうです。

そのときの子供たちの感想文が掲載されてて興味深かったので、抜粋しますね。
ここから↓↓
高3
今回が6回目の参拝ではあったが、やはり本殿へ行ってお参りすると緊張感があって気が引き締まった。遊就館での特攻隊の姿を見たときは切なくなった。自分とあまり年の変わらない人達が国のために自分の命を捧げるのはすごいと思った。女の人も自分の血や髪の毛を使って、戦いに挑む、その気持ちが今の若者に持てるのか。私だったらためらうと思う。たった60数年前の日本でこんなにひどい戦争があったなんて信じられなかった。

中3
今日、僕が靖国神社で学んだことは大きくいって2つあります。一つ目は、中学校の授業では、日本が、戦争で東南諸国を侵略してひどいことをしてきたと学んだのですが、日本は逆に東南諸国から感謝されています。なぜならヨーロッパの植民地になっていたのを日本が解放したそうです。二つ目は、日本人が自分自身のことではなく日本(国)や家族を守ろうとしていたのを知りました。だから回天や神風など決死的な行為ができたのだと知りました。自分の国にこんなに偉大な人々がいたことを知れてよかったです。いい思い出ができてよかったです。

中3
今日靖国神社の遊就館で印象に残ったことはいくつかあります。一つは陸軍大臣の人が負けた責任をとるために切腹したというところで、すぐに死ねるわけではないのに長時間痛みをうけながら責任をとったという行為をとることがすごいと思いました。血染めの日の丸の国旗が印象に残った。戦争にいった人たちの気持ちが少しだけ分かった気がした。

中2
靖国神社参拝では、とても緊張しました。奥殿まで入っていったときは、なにか神々しい雰囲気がしました。「ああ神様たちがそこで見守ってくれているなあ。」というのを、奥殿の中に入ったとき感じました。遊就館では、英霊ことについて、いろいろと知りました。中でも一番印象に残ったことは特攻隊の人たちが、強制ではなく自分からやりたいと申し出ると言っていたことでした。自分の命を落としてまでも、国を守りたいという心に私は感動して涙が出そうでした。私だったら、そこまでして国を守ろうという覚悟は絶対にできなかったと思います。でも国のために散っていった英霊たちが今の日本を見たらどう思うのでしょう。英霊たちが思い描いた日本になっているのでしょうか??私はそうは思いません。今の日本は昔よりずっと裕福になりました。でも昔にはあった何かが欠けてしまった、忘れてしまったと思います。私は今回の経験を通して英霊の思いをしっかり受けとめ、感謝しながら生きていきたいです。

中1
靖国神社には戦争に関わって亡くなってしまった人達がまつられていると聞いておどろきました。ふつうの神社とは少しちがうなと思いました。この神社にまつられている人は、戦争で命をなくしてしまい、その家族はとても悲しいんだろうなと思います。戦争には特攻というのがあるというのは初めて知りました。特攻は対戦国に機体ごと自分から死を覚悟した上でぶつかっていく、というのにもおどろきました。「こんなひどいことをさせるのか?」とわたしは思いました。しかし、案内係の人が「特攻隊は国を守りたいという思いで自分からやる」といってやったと聞きました。自分の命を捨ててまで日本を守ることができるなんてとても感動しました。わたしも、特攻隊の人々のように広い心を持ちたいと思いました。

小6
神社に行って、中にはいって気づいた事があります。それは本殿に入った時、友達が入ってから、しずかになるくらいにきんちょうしていたことです。

小6
靖国神社にいく前にビデオを見ました。国のために命をすてていく兵士たちはすごく立派だと思った。靖国神社についておまいりをしました。なんていうかふしぎなかんじだった。この神社はいっしょうわすれないです。


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靖国神社わたしも初めて行くまでは、こわーい危険な場所だと思ってました。
行ってみたら、なんて空気が澄んだ場所なんだろう・・・

と思ったし、

あと、スーツ姿の立派なおじさんたちが、本殿にむかって、ふかーく敬礼する人が多いこと。

参拝者が、本当に敬意を払っているんだなーとすごく実感。


ほんとうにここは他とちがうなーと感動したのを覚えてます。

子供たちに戦争や国について考えさせるなら、靖国神社を参拝する機会をふつうにあたえてほしいと思います。


自虐史観洗脳の季節がやってきました

2011-07-16 08:40:21 | 歴史について
また自虐史観洗脳のシーズンがはじまりました。---------------
昨日の朝、NHKで若者たちが、戦争体験者に話しを聞くって番組やってました。


お年よりの話を聞いて、戦争がいかに悲惨でつらいものだったかを語り継いでいきたい

と若者が集まって体験者に直接話をきき、それをさらに後世に伝えていきたいという活動をTVが取材したもののようです。

登場した体験者は中国東北部でソ連の侵攻をうけて、たくさんの人が亡くなって悲しい思いをしたことを涙ながらに語ってました。

それらは真実でしょう。

だけど、いつも思うのですが、TVに登場する戦争体験者って、いかに悲惨かいかに戦争がいけないか、そういうことをかたる人しか出ませんよね。

たとえば、兵隊さんに命を救われて
感謝してる、とかそういう話もあるはずなんですよ。

悲惨さをつたえるのも大切ですが、
別の面からも戦争を語る体験者ももっとTVでかたってくれたらいいのに・・・

と思いました。

若者たちも悲しい体験ばかり集めないで、先人がいかにいかに勇敢だったか、とか。そういう体験談も集めることもやってほしいと思いますーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


なんでこんなことを思ったかというと、
先日『この命、義に捧ぐ』という本を読んだんです。
終戦時、内蒙古で北支那方面軍司令官をしていた根本博という陸軍中将がいました。
この人は敗戦後の1949年、国民党と中国共産党の最終決戦となった金門戦争が起こったとき、
台湾を守るために国民党の非公式の軍事顧問となり、
金門戦争を大勝利に導いた人物です。
(金門戦争なんてこの本で初めて知った)

主に根本元中将がなぜ金門戦争に関わったのかについて書かれいるのですが、
私が注目するのは、金門戦争のことではなくて、その前に根本中将がやったこと。
根本中将は、8月15日終戦の玉音放送を聞いた後、
何をしたかです。

根本司令官がいた内蒙古の隣の満州では、
終戦の数日前からソ連が突如侵攻してきていました。しかし、終戦を境に軍が武装解除を受け入れたため、ソ連のやりたい放題の殺戮地獄になりました。

それを伝え聞いていた根本中将は

本国からの武装解除命令を拒否。

「命令によらず、勝手に任務を放棄したり、武器解除の要求を承諾したものは、厳重に処罰する。陣地に侵入するソ連軍を断固撃滅すべし。これに対する責任は司令官たるこの根本が負う」


と全軍に軍命をだしたのです。

これはたいへんな決断でした。
戦勝国からみれば、武装解除を拒否して戦闘を行うことはそれだけで、
戦争犯罪に当たります。しかし、その責任を自分ひとりで負うと根本司令官は部下に伝えたのです。

彼の命令に従い、配下の駐蒙軍は実際攻めてきたソ連軍と徹底抗戦。

何度も白兵戦がおきるほど激しい戦いを乗り越えて、邦人たちをまもりぬき、
邦人4万人の帰国を無事はたしました。

もし、根本司令官が武装解除を受け入れたら、彼ら4万人はどうなっていたか?
きっと、満州と同じように、殺戮の嵐が吹き荒れたことでしょう。
なぜ4万人の人たちの命がつながれたか。

命をかけて戦ってくれた
日本の軍人兵隊さんがいたからです。
命令に逆らってまで、邦人を救おうとしたんです。
戦争犯罪人になる恐れがあったのに、必ず守るという覚悟で戦ったんです。

私、ゾクゾクしました。

なぜマスコミはそういう人たちがいたことを取り上げないんだろう。
戦争を悲惨だという一面からしかとりあげないなんて。

命をかけて戦った人たちがむくわれないと思うのです。

日本が自虐史観から脱却するために、

根本中将や駐蒙軍のように大勢の人の命を救った話とか

もっともっと光の部分を語る人が出てきてほしいと思いました。

筆ベタでうまく書けませんが、これから毎年恒例の自虐史観番組のオンパレードがはじまる前にちょっと言いたいなと思いました。

いまのマスゴミじゃあ期待できないか・・・。

日本人とキリスト教

2011-06-24 23:52:55 | 歴史について

スピリチュアル系のサイトですが

すごく、関心してしまったので転載↓


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http://www.tomaatlas.com/lib295.htm

(前略)

「世界地図」を、眺めていて、気がつくことは、「国境」です。

「アフリカ」と「中近東」に、描かれている国境線を、見てください。

何か感じませんか? それは、

「アフリカと中近東の国々の国境が、直線で、描かれている」

ということです。

私たちは、普段、これを、何気なく、見ているのですが、よく考えてみると、これは、極めて、不自然な国境なのです。

通常、他の国々などは、海岸線か山脈、河などに沿って、「国境線」は、線引きされるものです。

結果として、その線は、「曲線」に、なります。それに対して、「アフリカ」と「中近東」の線が、「直線」なのは、理由があります。

実は、もう一つ、自分の国の州を、直線で分けている国があるのです。それは、「アメリカ」です。このことから、

「アフリカや中近東の国々の国境は、アメリカを、支配している人たちが、自分たちの都合で、アメリカ流に、勝手に強引に、引いた線である」

という推測が、できると思います。

「地球」という惑星は、欧米人など、現在、「先進国」といわれている国々に、住んでいる人たちの「侵略」の歴史だと、言ってもいいと、思います。

それは今でも、「直線」で、表現されている「国境」に、現れています。

おそらく、「アフリカ」や「中近東」に、住んでいる人たちは、そのような強引な「国境」は、望んでは、いなかったのではないかと、私は、考えています。

21世紀に、入っても、地球は、相変わらず、「弱肉強食」の社会に、変わりはないのです。

そして、いつの時代でも、自由を、満喫できるのは、一握りの権力者たち、逆に、圧倒的多数の貧しいものたちは、一生、不自由な生活を、余儀なく強いられています。



 

不自由な状態の極めつけとして、「奴隷制」が、あります。

これを、生み出したのは、主に、現在の欧米人です。

もともとは、政治家であり、スポーツ人類学者でもある、松浪健四郎先生が、昔、著書の中で、面白い話を書いていました。

松浪先生の話によると、昔、欧米人が、インドや中南米、アフリカなどに、植民地政策のために、進出した時、いろいろと「策」を、つくったそうです。

そのやり方は、いきなり、軍隊で、攻め込むと、奴隷にしたい民族も、抵抗するので、まずは、キリスト教の宣教師を、送り込み、

「私たちは、あなた方の味方です。私たちは、皆、神の子です」

という、「隣人愛」の教えを説き、そこの土地の人々と、仲良くしたのだそうです。

それから、教会などを、建て、さらに、「愛」を、説いたそうです。

しばらく、「お祈り」などを、そこの土地の人々に教えるのですが、だんだん、皆が、この「お祈り」に、飽きてくるのを、見計らって、今度は、「スポーツ」を、教えたそうです。

そのスポーツは、全員で楽しく、協力してやるような、「サッカー」のような「球技」で、ある場合が、多かったようです。

その時、大切なことは、欧米人は、決して一緒に、現地の人々とプレーすることはなく、あくまでも、試合のルールを教える、「レフリー(審判)」になるということだったそうです。

そして、その時、そのルールの中に、必ず、

「審判の命令には、絶対服従。雨の日でも、試合続行」

という、二つのルールを、入れたそうです。

その後、その土地の皆が、スポーツの勝敗に、夢中になっている間に、少しづつ、自国の軍隊を、入れて行き、その土地の人々を、圧倒的な軍事力で、支配するように、なったそうです。

そして、ある時点で、「スポーツ」をする時間を、少なくし、過酷な「農作業」などを、やらせるように、切り替えたのだそうです。

その時の、農場の現場監督には、サッカーなどのスポーツで、「審判」を、やっていた欧米人に、やらせたようです。

現地の人々は、逆らおうにも、「スポーツ」のゲームを、通して、

「審判の命令には、絶対服従」

というルールが身についているので、「審判」である「現場監督」の命令の一言に、もう、逆らえなくなっていたようです。

この時点で、完全に、洗脳が、成功していたのです。

さらに、

「雨の日でも、試合続行」

も身についているので、雨の日でも、農作業するように、なったようです。

今でも、「サッカー」や「ラグビー」などの球技には、

「審判の命令には、絶対服従。雨の日でも試合続行」

というルールが、残っています。

これは、昔の欧米列強が、未開の民族に対して、やった、植民地政策のなごりなのだそうです。

ちなみに、昔の日本も、他の国々のように、植民地に、せれそうに、なったのですが、その当時、日本にいた、織田信長や豊臣秀吉などが、この策略を、見抜き、宣教師たちが、来日した時点で、これを、阻止するように、動いたようです。





現在でも、先進国の中で、日本が、極端に、キリスト教徒(クリスチャン)は、少ないです。

いろいろな統計が、ありますが、ある統計によると、いわゆる本当のキリスト教徒は、国民の1%だという統計も、あるようです。

ほとんどの人は、「日本人は、宗教に寛容だから」だとか、大昔の自然崇拝などの思想で、説明しますが、本当の理由は、もっと、別のところに、あるようです。

1549年以降、ヨーロッパから、フランシスコ・ザビエルなど、たくさんの宣教師が、日本に、来ましたが、実は、一番最初に、日本の大名たちと、この宣教師たちは、通訳を交えて、とことん、ディスカッションしたことが、あったそうです。

この記録は、あまり、広く知られていないようですが、ちゃんと、そのときの議事録のようなものが、残っているそうです。

内容は、だいたい、こんな感じだったそうです。

大名たち:「キリスト教とは、いななる宗教で、あるのか?」

宣教師たち:「キリストを、信じてください。信じなければ、神から、悪人とみなされ、地獄に、落ちます。信じれば、神から、善人とみなされ、天国に、行けます」

大名たち:「キリストを、信じなければ、悪人で、地獄行き? 信じれば、善人で、天国行き? 何を、寝ぼけたことを、言っているんだ。私たちの日本という国には、あなたたちが、来る前から、立派な先祖たちが、たくさんいたぞ。彼らは、キリスト教など、まったくしらない。では、聞くが、彼らは、皆、悪人だったのか? 皆、地獄に落ちたのか? ちゃんと、答えてみよ!」

宣教師たち:「う~ん」

これで、ディスカッションが、終わってしまったそうです。

その後、1612年に、徳川幕府が、キリスト教の禁止令を、発令したようですが、1706年に、再び、イエズス会士のシドッチという宣教師が、鎖国下の日本に、布教するために、マニラから屋久島を、経由して、やってきたようです。

長崎で、捕まり、江戸に、連れてこられたことが、あったようですが、ここでも、新井白石という儒学者に、取調べを、受けた記録が、残っているそうです。

ここでも、だいたい、似たような展開に、なったようです。

白石:「キリスト教の神について、説明してみよ」

シドッチ:「私たちが、信仰している、キリスト教の神は、全知全能の神です」

白石:「全知全能の凄い神ならば、なぜ、何千年も前に、日本に、来ていないのか? 今頃、のこのころ、来ること自体が、全知全能では、ないのではないか?」

シドッチ:「う~ん」

ここでも、これだけで、ディスカッションが、終わったようです。

後に、新井白石は、「西洋紀聞」という書物の中で、

「宣教師のシドッチという人物は、天文や地理や化学など、どんなことを、聞いても、なんでも知っている、凄い人物であったが、宗教の知識は、ほとんど、馬鹿みたいに、単純であった。キリスト教という宗教は、幼稚な宗教である」

とう感想を、書いているそうです。





欧米の宣教師たちは、他の国々は、恐怖心を煽って、洗脳することに、成功したのですが、日本だけは、洗脳できず、逆に、ディスカッションで、ことごとく、簡単に、負けてしまったという歴史が、残っているようです。

ちなみに、私自身は、「キリスト教」の教え自体は、大好きです。素晴らしい教えも、たくさんあることも、知っています。

ただ、世界史の中では、こうやって、いろいろと悪いことに、道具として、利用されてきたという事実も、頭の隅っこに、置いておくと、いいと思います。





日本人は、やはり、昔から、とても、頭のいい民族のようです。

それは、その当時の宣教師たちが、本国に、送った手紙などにも、史実として、残っているそうです。

その当時のヨーロッパの宣教師たちは、いろいろ日本の庶民の生活を、見て歩いたのだそうですが、その中で、一番驚いたのが、「将棋」だったそうです。

日本の庶民が、「将棋」を、指しているのをみて、ルールを聞いたところ、すぐに、ヨーロッパにある、「チェス」と、同じようなものだと、理解したそうです。

しかし、その後に、すぐ、恐怖を、覚えたそうです。

「自分たちの国では、チェスは、王様や貴族しかやらない。それを、東の果てにあるこんな僻地の国では、一般大衆が、暇つぶしに、やっている。こんな平均知能の高い民族は、初めて見た。自分たちの国は、いつか、この日本という国に、負けるかもしれない…」

こう思ったそうです。





もっと、「日本」という国に、自信と誇りを、持つ時期に、そろそろ、来ているような気がします。

マスコミなどを、使った、間違った情報操作に、惑わされずに、「真実」を、見つめる目を、持ち続けたいですね。

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初耳な話ばかり。

スポーツが侵略の道具だったなんて・・・オドロキ

そういえば、GHQが大戦後、日本を弱体化させるための方針として、かかげたのも、
3S(スポーツ、セックス、スクリーン=映画)でした。

みごとにはまって骨抜きにされましたね。


あと外国の宣教師をだまらせるほど、
昔の日本の大名は賢かったんですね。


私もキリスト教自体は否定しません。
高校はカトリック系の学校に通ってました。
幼馴染の親友はプロテスタントの洗礼うけてます。
私に保守思想のこと教えてくれる叔父も、プロテスタント信者です。

キリスト教が悪いんじゃなく、
白人の野蛮性が悪いんですよね。

白人の野蛮性って?


白人以外は人間じゃない。
動物と同じ。

って価値観。

極論かもしれないですが、

今の貧困や戦争に苦しむゆがんだ世界は

白人が、白人以外を人間扱いしなかったから、植民地帝国主義なんてものが生まれたんだし、

世界中を侵略、虐殺、搾取、伝統破壊・・・ってひどいことができた

その結果ですよ。

いいかげん、日本人は白人=欧米人礼賛主義をやめましょう!






















共産主義者の大東亜戦争責任

2011-06-14 00:00:36 | 歴史について

この本
最近よんだ中では、ぴか一の衝撃度。

かの大戦の中へ日本を引きずり込んだのは、共産主義者だった。

講和する機会をことごとくつぶし、

共産主義者が革命を夢みて、戦争を泥沼化、長期化させた結果、

・島民が犠牲になった沖縄戦

・満州、朝鮮、南樺太、千島列島へのソ連の侵略

・米国の原爆投下

数々の悲劇を生みました。

それなのに、

戦後、これらの大罪は隠蔽され、軍にすべて責任転嫁されました。

一方で裁かれるべき共産主義は美化され、本来の姿を隠したまま、いまもしぶとく日本でゆがめられた歴史観にたって、日本国解体のために活動しています。

おかしくないか???

一度この本よんでみてください。

中川八洋著
『近衛文麿の戦争責任』

下の動画もあわせてどうぞ。



共産主義者の大東亜戦争責任(1/3)


共産主義者の大東亜戦争責任(2/3)


共産主義者の大東亜戦争責任(3/3)

【仰天の世界観】日本人が知らないニッポン

2011-05-11 23:46:35 | 歴史について
マイ日本で教えてもらいました。
みなさんは、ユダヤ人財閥陰謀論ってご存知ですか?

ひとことでいうと

近現代の世界の歴史を操っていたのは、ロスチャイルドとロックフェラーのユダヤ人財閥である。
いくたびの大戦争が起きたのも、彼らが望んだから。

歴史的事件の陰には必ずどちらかの財閥の影響があった。

容量が大きくてモバイルでは、見れないかも知れません。

一度、読んでみてください。
ユダヤ人財閥陰謀論について、わかりやすく書かれてます。
世界観がひっくりかえりますよ!


日本人が知らないニッポン