一生

人生観と死生観

東日流外三郡誌を公平に見る

2010-01-25 19:49:16 | 哲学
1月25日 晴れ
 『東日流外三郡誌』は真偽論争の中にあるが、私は歴史の専門家でないにしても関心を持つものとして、また歴史は人間の本性にかかわるものとして一言したい。
 この本は古代の政治的、軍事的敗者の心情を率直に語ったものとして特異なものである。その怨念は子孫にまで伝えられ、一種の叙事詩のようになっている。西洋ではホメロスの昔トロイの落城をいたむイリアスの叙事詩が伝えられ、立派な古典となっている。三郡誌は精神においてその系統を引くものと言えるかも知れない。もちろん誤記もあり、編集の都合上重複も多く、かなり読みにくいものとなっているが、編集者はこの本の利用ないし活用を後世に託したのである。もしこの本の主旨を後代に歴史や文学に役立てることができたならと言う願いはこめられていると思いたい。
 この本の中で著者が秋田孝季でなければ書けない文がある。寛政5年長崎で史学教師エドワード・トマスに36日間講義を受けたという。その時に当時最新の西洋の博物学の知識を得た。18世紀フランスの伯爵ビュフォンは有名な博物学者としてチャールス・ダーウィンの祖父エラズマス・ダーウィン(医師・自然哲学者・生理学者・奴隷廃止論者・詩人として有名だが教会には受け入れられず変人扱いにされたらしい)にも影響を与えた人である。これらの人々は宇宙論や進化論の先駆となるような説を唱えていた。ビュフォンを英語式に発音すればジョージ・ルイスだが、秋田孝季はジョーズ・ルイスと記録している。同一人であることは疑問の余地がない。ダーウィンの祖父は18世紀末、秋田孝季が長崎で講義を受ける少し前に著書を発行している。長崎に来たエドワード・トマス(名前からして英国人か?)がそれを知ったのは多分英国においてで、この人もまた新知識に憧れていたのであろう。東洋の外れの日本に来て、熱心な秋田孝季の求めに応じて講義をおこなったのであろうと思われる。これは和田喜八郎が捏造できるような記事でないと断言できる。