一生

人生観と死生観

思い出す恩人のこと

2010-01-03 21:20:36 | 哲学
1月3日 晴れ
 静かな正月松の内。年賀状は初めの百通越えに続き十通、二十通と散発的というか。思わぬ人から来ると暫し目を留めるのもこの時期ならではのことだ。昔世話になった人の面影が浮かび、お墓参りをしたくなるが、衝動的にそう思っても、実現できるかどうか分からないので、控える。
 その人の名はS.S 夫人。まだ大学生の頃、私が再々泊まって東京に出かける拠点にした立川市のお宅である。今から思うに、図々しい振舞いに見えたことであろう。それにも拘らず、大目に見えくれたのは彼女の寛容のお蔭である。彼女はガンで苦しんで亡くなったと聞く。当時のことを回想すると彼女の心境としては、若者は未来がある、自分の目指すことを実現しようと言う意志を持たなければならぬ。それが人生の第一歩というものだ。多少迷惑であっても度量ある大人はそれを許すと。
 私はそのことを思っている。年配になってから私も若い人たちの多少の無礼ないしぞんざいまたは礼儀しらずは許すことにしている。志をもつものは伸びる。そして何時か彼もまた私のことを思い出してくれるかもしれない。もっとも思い出す出さないは先方の勝手であるが。