一生

人生観と死生観

いのち像の問題を真剣に

2007-10-08 02:38:36 | 生活
10月8日
 仙台より帰る。昨日宮城県立美術館で伊藤俊子さんに会い、さらにいのちの尊厳を考える会役員会を西勝山の自宅で開く。宮城県が中央児童館を放棄する方針は確定的と知る。建物老朽化のため建物の使用さえ不可能とのこと。来年3月閉鎖を代表者に申し渡したのは事実だった。理由は耐震強度不足、来るべき宮城県の地震に耐えられない。去年500万円かけて耐震補強したが、その後のテストで不合格だったよし。これ以上予算もない。
 待てよ、なんで500万ぽっちりの金で補強をやったのだ。そんな中途半端な金で補強しようとするから検査に不合格なのだ。予算無駄使いだ。そのまま放置したら危ないし、もう少し利用したい人もいる。建物廃止は反対だ。現にわれわれの会ではいのち像のオルゴールの制御装置は本館事務室の内部にあり、これが使えないと会そのものの死活に関わる大問題だ。本年9月23日の役員会で来年5月12日の行事開催を決めたのだ。われわれに何も知らせずに一方的に建物利用停止とは納得できない。耐震強度に不足のないところは使わせろ。予算はケチらずもっと真剣に補強しなさい。
 いのち像はワクチン禍犠牲者のために建てられ、館長室に置かれたいのちのランタンには県立会いのもとに死亡者名簿も納められている。こんな大事なものを県はどうしようと言うか。いのち像のすぐそばにあってこその名簿なのだ。ランタンと一体になり、ランタンはいのち像と一体なのだ。建物閉鎖と言ってもわれわれの行き所のないような冷酷なやり方は止めて欲しい。
 いのち像の行事は毎年5月に行われ、仙台だけでなく、全国から人が集まる。ワクチン禍そのものを二度と起こしてはならぬという社会的道義的決意の表明なのだ。われわれはあの児童館に居座るしかない。ほかに行きどころもないのだ。どうしてくれるのだ。宮城県の児童行政担当者よ。福祉との統合などと言う一見見栄えのよい政策の下に本当に困る人たちのいることを忘れているのではないですか。きめ細かい児童行政こそ必要なのではありませんか。