
近くの川崎市・新百合ヶ丘エルミロード(イトーヨーカドー)の前にある、女性の胸像です。
夢を見ているような、幸せを感じているような、そんな、ほのかな気持ちを醸し出す雰囲気。
彫刻の作者は、三坂制氏。 作品名は「佇」と刻んでありました。
「佇(たたず)まい」とか「佇(たたず)む」ではなく、「佇」の一字。微妙な日本語。
「佇」の意味について、手もとの辞書やネットなどで調べてみました。
「佇まい」は、辞書には、立っている様子、そこにあるものの様子や雰囲気とあります。
ただ、この種言葉の専門家によると、上の意味にとどまらず、更に深くて味わいある言葉だと。
たとえば、その対象(ここでは胸像さん)には、
訴えている何かがあったり、
その場全体の雰囲気を作り出したり、その場と一体となったり、
・・・こういうことが大事であって、トータル、これらをも、ひっくるめた意味として初めて、「佇まい」という言葉が使えるのだ、とも。
「佇む」も、辞書には、しばらくその場に立っていること、立ち止まることとありますが、趣意は上と同じでしょう。
英語ではどうか。
「佇まい」は、“atmosphere”(空気、雰囲気)や“appearance”(外見、様子)といささか味気ない。
「佇む」に至っては“stand”や“stop”と全くそっけない。
日本語の微妙なニュアンスはむずかしいようだ。とても深い意味は出てこない。
また、ネットで調べていましたら、推理小説家の夏樹静子さんの作品に「湖に佇つ人」
というのが出ていました。
作品の名前は、「湖に立つ人」ではなく「湖に佇つ人」。
なぜ「佇つ」なのか? そこは、いかにも推理小説らしい。
“その湖には推理の謎を解く重要なヒントがありますよ”という一種の、暗示の“雰囲気”
を伝えるために“佇つ”なる漢字を当て、
これを<たつ>(standに通じます)と読ませている、との解説(趣旨)。
推理小説のネーミングに「佇」が一役かっているとは、面白い世界。
さてこの胸像さん、すくなくとも私は、客の一人として、彼女を見るたびに、
ほのかな、にっこりする雰囲気を感じながら、店に出入りしています。
おそらく、ほかの多くのお客さんもそうでしょう。
立派に「佇」の役割を果たしている。
夢を見ているような、幸せを感じているような、そんな、ほのかな気持ちを醸し出す雰囲気。
彫刻の作者は、三坂制氏。 作品名は「佇」と刻んでありました。
「佇(たたず)まい」とか「佇(たたず)む」ではなく、「佇」の一字。微妙な日本語。
「佇」の意味について、手もとの辞書やネットなどで調べてみました。
「佇まい」は、辞書には、立っている様子、そこにあるものの様子や雰囲気とあります。
ただ、この種言葉の専門家によると、上の意味にとどまらず、更に深くて味わいある言葉だと。
たとえば、その対象(ここでは胸像さん)には、
訴えている何かがあったり、
その場全体の雰囲気を作り出したり、その場と一体となったり、
・・・こういうことが大事であって、トータル、これらをも、ひっくるめた意味として初めて、「佇まい」という言葉が使えるのだ、とも。
「佇む」も、辞書には、しばらくその場に立っていること、立ち止まることとありますが、趣意は上と同じでしょう。
英語ではどうか。
「佇まい」は、“atmosphere”(空気、雰囲気)や“appearance”(外見、様子)といささか味気ない。
「佇む」に至っては“stand”や“stop”と全くそっけない。
日本語の微妙なニュアンスはむずかしいようだ。とても深い意味は出てこない。
また、ネットで調べていましたら、推理小説家の夏樹静子さんの作品に「湖に佇つ人」
というのが出ていました。
作品の名前は、「湖に立つ人」ではなく「湖に佇つ人」。
なぜ「佇つ」なのか? そこは、いかにも推理小説らしい。
“その湖には推理の謎を解く重要なヒントがありますよ”という一種の、暗示の“雰囲気”
を伝えるために“佇つ”なる漢字を当て、
これを<たつ>(standに通じます)と読ませている、との解説(趣旨)。
推理小説のネーミングに「佇」が一役かっているとは、面白い世界。
さてこの胸像さん、すくなくとも私は、客の一人として、彼女を見るたびに、
ほのかな、にっこりする雰囲気を感じながら、店に出入りしています。
おそらく、ほかの多くのお客さんもそうでしょう。
立派に「佇」の役割を果たしている。