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古稀からの手習い 水彩ブログ

人生の第4コーナー、水彩画で楽しみたいと思います

茶色という色の研究(茶系と緑・青系との混色を通じて)(ユダヤの行動原理 ロスチャイルドとの関係からイギリスという国の研究その1)

2025-05-26 07:00:12 | 水彩技法
先日(5.1)の教室(新百合絵画クラブ 小玉精子先生)では、勝手ながら上掲のような混色の勉強をさせてもらいました。
もともと茶色という色についてあまり深くは考えずにいましたが、
この頃になって「茶色(茶系)」の絵の具にはどんな役割があるのだろう、
との素朴な疑問が湧き、一寸かじってみた次第です。
まずは、柴崎春通先生の教本「透明水彩 色・いろ」を読み直してみました。
そこでは、パレット上の、[赤・橙・黄]、[緑・青]、[紫・茶]など、
それぞれのグループの前にあるスぺース(絵の具を水で溶かす四角いところ)の説明がなされていました。
[紫・茶]のグループのスぺ-スは、「主として茶色みや紫みのグレーなど暗いカゲ色をつくるスペース」とありました。
どうやら、茶系は、茶色の単色だけでももちろん役目はありましょうが、「混色」「濁ったグレー」で大きな役割を持った色のようです。
そうした文脈の中での上掲の組み合わせです。大雑把にみれば、
特に緑・青系のやや暗い色では、茶系が入ると化けはしますが、味わい深い色になるようで、正に茶系の本領発揮といったところでしょうか。
なかでも暗いインディゴとバーント・アンバーとでは、この2色だけでもかなり黒っぽい色になってくれるようです(右下隅)。
一方、緑・青系でも明るい色ではどうでしょうか。
こちらは、たとえばコバルト‣グリーン、グリーンNo1、ビリジャン、コンポーズドなどは、
茶色が入ると大化けし、およそ元の明るく澄んだイメージは消えてしまうようです。
この件(明るい方)については、教室でいつも貴重なご意見を賜っている仲間のお方から、
教室の小玉先生からは、前々から、「茶色系の混色は、果物や、野菜、花などに使ってはいけない、とお教えいただいていることだよ」と。
いやはや、自分はここ10数年、先生の門下生でありながら、この件については知りませんでした。
恥ずかしき限り、上掲の結果をみて納得!であります。

もう一つ、今回の茶色の研究で気が付いたこと、
それは茶色は「赤・黄・青」でできる色環(例えば、赤→橙→黄→緑→青→紫→(赤)の6色環)の中には含まれていないことです。橙や紫はあるのに、です。
そんな筈はない、三原色だけで茶色も出来るはずだと、実際に、試みましたがダメでした。
ネットでは、茶色は三原色からでは出来ないとあり、
橙(オレンジ)に黒(アイボリー)(それに当然水)を加えると茶色が出来るとあり、早速、試してみました。
確かに茶色っぽい色は出来ますし、混色したら濁ったグレーになるのもこの黒(アイボリー)が関係しているのかなあ?
なんてことも頭をよぎりますが、不明な点もあり、いずれあらためて・・・であります。

【補記】
[ユダヤの行動原理とこれからの日本]
を続けております
全体の目次:2024.10.28付拙ブログによります
今日から次の章(生意気、スミマセン)に移ります。
第7章 【現代】ロスチャイルドそしてロックフェラーそしてそして中国共産党(目次)
第1節 覇権国家としてのイギリス
第2節 アメリカ大統領選挙と両財閥
第3節 未来における超限戦の中国
主要参考文献など

第1節 覇権国家としてのイギリス(目次)
第1款 イギリスという国の一般的なイメージ
第2款 「覇権拡大国」としてのイギリス
〇女王エリザベス1世(在位1,558年~1,603年)からアメリカ独立(1,776年)頃まで
〇産業革命・金融資本への転移(19世紀初)からWWⅠ前(20世紀初)まで
〇覇権拡大段階におけるイギリスの悪辣な収奪システム
第3款 二つの世界大戦とイギリス
 〇WWⅠ後
 〇WWⅡ後
(以上 今回)
(以下 次回)
第4款 戦後から現在:再び金融帝国(?)へ
 〇イギリス病からサッチャーの金融ビッグバンへ
 〇金融支配国家とタックスヘイブン(租税回避地)の中枢・ロンドン

・・・以下本論に入ります・・・

第1節 覇権国家としてのイギリス
ユダヤの研究をするなか、今回はイギリスという国について焦点を当ててみたいと思います。
日本よりも小さいあの島国が、何故、かっては大英帝国として世界を股に掛けた権勢を振るい得たのか、
そしてWWⅡ後は、わが日本軍により多くの植民地を失いその勢力が削がれたにも拘わらず、
何故今なお世界に存在感を誇示出来ているのか、
またそれぞれにロスチャイルド家がどのように関わっていた(いる)のか、
その辺りを探ってみたいと思います。
相当な「タマ」であり、相当な「ワル」でもあることを思い知らされます。

第1款 イギリスという国の一般的なイメージ

〇国名からしてややこしい
通称『イギリス』は、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」とのこと。
英語では「United Kingdom of Great Britian and Northern Ireland」で、
英語略称は、United Kingdom、UK、Britianと呼ばれ、
イングランド、ウエールズ、スコットランド、北アイルランドという色々な歴史的経緯を持つ4つのカントリー(国)が、
同君連合型の単一主権国家を形成している、と。
その奇妙な連合の中心はイングランドであるとも。

〇王室の国 約1,000年前からとされる。
上記イギリス本国だけでなく、世界各国を植民地化する等の過程ではこのイギリスの王を中心に据えながら進められた。
現在でも、英連邦(旧植民地中心 56ヵ国)のほか、英連邦王国(英国王を君主とするカナダなど15ヵ国)、
イギリス王室属領やイギリス海外領土としての国などを支配下に置いている。
エリザベス1世時代の「私掠舟」や現在のタックスヘイブンなどではワルの側面も。

〇世界の金融を支配する国 
特に、ユダヤ王・ロスチャイルド一族の、その要がロンドン家であることの影響力は超絶大である。

〇島国で資源にも乏しいため、
自らが開拓した植民地相手の貿易・金融に生存の基盤を置き、
ヨーロッパ大陸には依存しない国を創りあげた。
一方、ヨーロッパ大陸とは距離を取り、
大陸のどこかが強くなったり、
大陸として纏まって強くなるのを警戒しその分断を狙うのが基本的な国家戦略。
世界大戦二つは前者(ドイツ)であり、EUへの加入や離脱は後者である。

〇「英語」 植民地化の名残でもあるこの英語が世界の共通語になっていることも極めて大きい。

〇「名誉革命」(17世紀後半)、「産業革命」(18世紀後半)など世界の大きな出来事の発端国。
民主主義、立憲君主制、議員内閣制など近代国家の先駆け国でもある。

〇人種問題は、白人中心主義 有色人種蔑視(奴隷制度やチャーチルの日本人蔑視は激しい)

〇世界に向けた情報発信、諜報活動
BBC、NYタイムズ、WPなどのメデイア支配、王立国際問題研究所(RIIA)、MI6、タヴィストック研究所などの諜報分野。

〇戦争は個々では負けもあるが、結果としてほとんど勝っている。

〇スポーツにおける、ラグビー、サッカー、テニス、ゴルフなどの発祥の国
〇シェークスピア(16~17世紀)、ジョン・ロック(人民主権、自由主義)(17~18世紀)、ニュートン(17~18世紀)、
ワット(蒸気機関 18世紀)、アダム・スミス(国富論 18世紀)、ダーウィン(19世紀)、
ケインズ(大きな政府 19~20世紀)、チャップリン(20世紀)、ジョン・レノン(20世紀)など世界的人物多数。

第2款 「覇権拡大国」としてのイギリス
一般に覇権を握った国として、
16世紀にはスペイン、17世紀にはオランダ、18~19世紀はイギリス、20世紀はアメリカ、が挙げられ、
そして21世紀は中国かも?といわれている。

そのイギリスの、「大英帝国」(British Empire)と呼ばれる植民地支配はどのようにしてできたのか、その概要を観てみたい。

〇女王エリザベス1世(在位1,558年~1,603年)からアメリカ独立(1,776年)頃まで
△エリザベス1世は、ローマ・カトリック教会から「イギリス国教会」(長は国王)を分離させ、国権を確固なものにした。
△この頃の活動は、先行するスペイン船の商業活動を狙った「私掠舟」(女王の許可を得た海賊行為)(後述)が中心であった。
オランダのスペインからの独立戦争を助けるため、1,588年にスペイン無敵艦隊を撃破し、
海洋帝国としての第一歩を踏み出す。
時期を同じく繊維もの中心に海外への輸出にも乗り出し、アメリカ・ヴァージニア植民地への進出もこの時期に行われた。
△すでに出来ていた「シティ」は、
16世紀の後半には、他のヨーロッパの取引所を抜いて優越的な地位を得ており、
大英帝国のあらゆる覇権的な事業に参加していた、と。
1,694年、ウイリアム3世のときに、イングランド銀行が創立され、
この時期からオランダ・アムステルダムに代わって、イギリス・ロンドンのシティが国際金融のセンターとなる。
△東インド会社は1,600年には創立され、東南アジアとの貿易が目的ではあったものの、
貿易の独占権とバックの巨大な軍事力により土着権力から領土権を奪い、
18世紀末には、インド総督の元に、全インドが植民地化される。
△カナダは1763年、イギリスの自治領に。オーストラリアは1,770年、東部海岸の一部がイギリスの植民地になる。
アメリカは1,776年イギリスから独立する。

〇産業革命・金融資本への転移(19世紀初)からWWⅠ前(20世紀初)まで

18世紀、イギリスはワットの蒸気機関等の発明のほか、
主に綿織物工業を基軸とした産業革命により世界最初の工業国家となる。
ただ、工業製品によるイギリス優位は18世紀後半のわずかな期間だけで、その後は金融資本の時代に移っていく。
19世紀に入ってからのイギリスの国際収支をみると、
「貿易収支」(モノの輸出入)はほとんどがマイナス(赤字)であるのに対し、
「貿易外収支」(海運業・サービス業・海外金融業・海外投資収益など)は大きくプラスで伸びている、と。
これらは、イギリスが当時最大の海運国家として「輸送(保険を含む)」業務を担うとともに、
世界中に設置していた電信網による即時の「国際貿易決済」業務を行い得たからだとされる。(玉木俊明氏「金融化の世界史」など)
即ち、モノの利益だけではなく金融資本の段階へ進んだことを意味し、
この他国にはマネできない収益構造こそがイギリスの特徴である、と。

具体的に1,800年前後を挟んでの、ロスチャイルド家の動きをみると金融面での体制がどのようにして出来ていったかがわかる。
初代マイアーの三男ネイサンが、活動拠点をロンドンに移したのが1,803年、
同地でロスチャイルド家をリードする形で活動を始めたことは、
イギリスにとっても極めて大きなこととなる。
ネイサンは「N・M・ロスチャイルド&サンズ」という銀行(現在もシティで影響力)(N・Mはネイサンとマイアーの頭文字)を立ち上げ、
当時のナポレオン戦争の戦時国債を引き受けたほか、自らも巨大な富を手にした。
その後、ネイサンは、イギリスの中央銀行である「イングランド銀行」を支配下に置き、
同銀行をロスチャイルド家としての世界戦略の代理機関として活用し始め、
1,840年代終わりごろまでに世界に同家の比類ないネットワークを完成させた、と。
そのあとも19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ロンドン家主導のロスチャイルド家がこれを世界中に拡充した。
このロスチャイルド家による金融システムこそがイギリス覇権のベースとなるものである。

△19世紀初から20世紀初の約100年間を「パクス・ブリタニカ」と呼ばれることも。
この間にイギリスは、領土にして2,600万㎢、人口にして4億の人々がイギリス帝国に加えられ、
史上最大の覇権規模となる。

△のちにWWⅡ後の20世紀後半において、イギリスは経済、特に製造業の停滞が続く。
この工業(第2次産業)が復活することはなく、結局、金融や商業(第3次産業)がイギリス経済を牽引することとなる。
イギリスのこの構図はすでに産業革命直後からできていたということである。(第4款で後述)

〇覇権拡大段階におけるイギリスの悪辣な収奪システム
宇山卓栄氏は「世界史の原理」のなかで、イギリスの悪辣な収奪システムについて次のように述べておられる。
氏は、そもそも「覇権」というものはその本質において、犯罪的な収奪によって成立することが多いように思うとしたうえで、
イギリスの、この悪辣なシステムには次の3つがあるとされ、
これらは、通常の覇権国家の条件(圧倒的な生産力・流通力・金融力)のほか、
圧倒的な詐術力・強奪力が必要だ(笑)と。

第1段階は、16世紀の私掠船による略奪
私掠舟は、国王の特許状を得て外国船(スペインなど)を捕獲する海賊船で、積み荷を売却した利益は国王や貴族に還元、と。

第2段階は、17~18世紀の奴隷三角貿易
イギリスは17世紀以降、武器類をアフリカに渡し黒人奴隷と交換、
その黒人奴隷をカリブ海の西インド諸島に搬送し、砂糖のプランテーションで強制労働させ、
その砂糖をイギリスに持ち帰る、という三角貿易。
黒人は“黒い積み荷”、砂糖は“白い積み荷”と。

第3段階は、19世紀のアヘン三角貿易
イギリスは19世紀、インドのアヘンと中国の茶を結びつけた三角貿易を始める。
イギリスで喫茶の習慣が拡がり、イギリスは中国の茶を求め銀でこれを支払っていたが、銀の流出が止まらなくなる。
そこでイギリスは、インド産のアヘンを中国に輸出し、中国には銀に代替えさせ、茶を中国から得る、
というどの国もマネできない前代未聞の悪辣さ。
この取引の商社は、ジャーディーン・マセソン商会(ロスチャイルド系列)。
1,832年マカオで設立され、日本開国後は長崎、横浜に支店も。長崎支店はグラバー邸、横浜支店長・吉田健三は吉田茂の養父。

第3款 二つの世界大戦後とイギリス
〇WWⅠ(1,914~18)後
イギリスはヨーロッパ大陸での“出る杭は叩く”の当時の杭・ドイツを主敵に戦った。
最終的にはアメリカの参戦が決め手となり勝利したものの、4年間の戦いでイギリスも疲弊し、ポンドの価値を著しく落としてしまった。
ヨーロッパ各国が戦っている中、アメリカは、WWⅠ開戦前の1,913年に連邦準備制度を創設して勢いにのる。
国内での生産をフル稼働し軍事物資をヨーロッパに輸出した。
同時に、イギリスなどで発行された戦時国債の多くを引き受けたのが
ニューヨークの国際金融資本(JPモルガン(ロスチャイルド家のアメリカ代理機関)など)であった、と。
これらのことは、国際金融の中心がロンドンのシティからニューヨークのウオール街へ移ったことを意味した。
一方イギリスが支配していた各植民地なども、イギリス本国の統制の弱まりを受けて再編成されることとなる。
1,931年の「ウエストミンスター憲章」で成立した「イギリス連邦」(イギリス領コモンウエルス)は、
国王への共通の忠誠心で結ばれた連合体ではあるが、ゆるやかな国家―植民地連合体であった、と。
その構成国は、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、ニューファンドランド、アイルランドの6つのドミニオン(白人自治植民地)。

〇WWⅡ(1,939年~1945年)後
WWⅡにおけるイギリスの立ち位置はWWⅠ同様、ドイツの封じ込めであり、
このために他の国々ヨーロッパ国々と諸国と連合して戦った。
WWⅡでもアメリカの参戦が決め手になり連合国側が勝利する。
一方、藤井厳喜氏のアメリカサイドの見方も参考になる。
氏の「フォーキャスト2025」によると、
アメリカはWWⅠに続いてこの大戦でも、イギリスが疲弊しきるまで参戦しようとはしなかった。
そしてアメリカは、アメリカが意識しようがしまいが、
ヨーロッパではドイツを当て馬にしてイギリスを叩かせ、
アジアでは日本を当て馬にして大英帝国を追い出し、大戦後はアジア利権の一部を獲得した。
同じ戦勝国でも、イギリスは喪失したのだ、と。

そのイギリスは、大英帝国の国々を次々と失うことになる。
アジアでは、1,947年にインド・パキスタンの分離独立(1,950年インド、56年パキスタンは共和国へ)、
48年にミャンマー(ビルマ)、57年にマレーシア、60年にシンガポール。
アフリカでも1,957年のガーナをはじめ、ナイジェリア、シエラレオネ、タンザニーカ、ウガンダ、南アフリカなどが。
他の地域でも独立が続き、1,997年、最後に香港が返還された。

この植民地を失ったことに対し、
ヘンリー・S・ストークス氏(イギリス人ジャーナリスト 1,964年フィナンシャル・タイムズ初代東京支局長 妻 日本人 三島由紀夫氏、加瀬英明氏と昵懇)は、
その著「連合国戦勝史観の虚妄」のなかで、
大英帝国を日本軍により崩壊させられた悔しさを述べておられる。
私も初版がでた2,013年に読んだが、
イギリスの悔しさと、その裏腹としての日本の凄さや正当性にも触れておられるのが印象に残った。
アットランダムながら拾ってみる。
☆チャーチルは、許容を超えた聞くに堪えない差別表現で日本人を侮蔑していた。
その背景には、数百年にわたり栄華を極めた大英帝国の版図が、
あろうことか、東洋の黄色い小人たちにより一瞬にして崩壊された、
とのチャーチルの悔しさと怒りがあった。
☆イギリスは何百年にわたって負けを知らなかった。
大英帝国建設の過程の戦争も連戦連勝だった。その大英帝国を日本軍が崩壊させた。
☆日本軍の戦いぶりは、この世のものと思えないほど強かった。
特にシンガポールの陥落はイギリス最大の屈辱であるが、
マレー半島上陸後の日本陸軍は次元の違った戦いであった。
☆当時の日本の行動は、アジアの国々を独立させた功績があることを、あとになって教えられた。
日本がアジア諸民族に「民族平等」という全く新しい概念を示した。
西洋人もこういう史観で世界史を見直す必要がある。
☆原爆投下、東京裁判は正に復讐劇である。

・・・以下 次回・・・




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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (mori)
2025-05-26 07:36:44
 いやはや驚きです。茶色の特異性、何時ものことながら言われてみて初めて成程ですね。
 イギリスに視点を置いて過去を振り返ると良く分かりますね。ロスチャイルド家がその時点でイギリスを選んだのもウィンウィンの関係を予測したからでしょうね。
 随分以前ですが、イギリスは情報の価値を極めて重視していると言うことを聞いたことがあります。    
 今は時代が進み色々変化していると思いますが、当時世界各地に情報網を張り巡らし、時には汚い手も使いながらそれを上手く活用しないと、当時のイギリスも今のイギリスは無かったでしょうね。
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Unknown (サガミの介)
2025-05-26 11:08:26
 小学生になる前から地面を描くのは茶色と決めていて絵の安定感を茶系に頼っていたように思います。
茶色の混色、考えても見たことなかったですが、興味深いです、今後の作品に生かされることでしょう。
 今回の補記、メインのイギリス、私の従来イメージは、紳士を気取った利に敏い狡猾な民族、中東、アジア、アフリカの混迷の元凶と思っていたのですが、本文を読み納得する部分が多かったです。
 勿論、日露戦争での同盟国としての恩義や皇室交流など評価できる分野は大きく、米国一辺倒でない外交には大事な国でしょう、それゆえ歴史から学ぶイギリス国の本質を理解しなければならないと思います、補記続報をお待ちしています。
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