前々回の拙ブログ(2.22付)では、
富士山の手前にある雑木林を、主に墨を使って特にその奥行き感を意識して描いてみました。
その雑木林を松林にして描いたのが今回です。
幾層にも重なり、モヤの中で見え隠れする松林。
一本の松でも見えるところあり、暈けているところあり、
・・・これらを主に墨の濃淡・潤渇、大小・太細などで表現してみたくなりました。
紙は水彩紙、墨のほか透明水彩絵の具(紫系 白系)も少々使っています。
近・中・遠景の個々の松。
一応最初は不遜にも、京都御苑や京都・奈良の名立たる寺社の松を象(かたど)ることから始めたのですが、
筆が進むにつれて、それはもう、どれがどこの松か分からないようになってしまいました。
“墨による奥行き感”という概念、実は“書道”の練習中に教えられたことでした。
高木厚人先生の大字かなの教本に、書道における奥行き感のことが書かれています。
正直なところ昨年、はじめてこの教本を読んだ時はよく解りませんでした。
そこで今回、墨絵を通して奥行き感をやったあと、書の教本を読み直しました。
そこには、書としての奥行き感は、
全体としての紙面構成(文字や文字群の配置や余白のとり方など)のほか、
墨の濃淡・潤渇、大小・太細などが強調されていました。
書の方の理解も少しは進むかな、と思ったりしています。
ただ、今回の我が作をみるに、手前の松の配置など無造作に過ぎました。
上の書でいう“紙面構成”で失敗してしまいました。
“作品”とは呼べず“練習”とする所以であります。
水墨画で松林といえば、何と言っても
長谷川等伯(安土桃山時代の絵師)の「松林図屏風」(国宝 東京国立博物館蔵)。
私にとっては正に神。
こちらについても、いずれ書きたいと思っています。
富士山の手前にある雑木林を、主に墨を使って特にその奥行き感を意識して描いてみました。
その雑木林を松林にして描いたのが今回です。
幾層にも重なり、モヤの中で見え隠れする松林。
一本の松でも見えるところあり、暈けているところあり、
・・・これらを主に墨の濃淡・潤渇、大小・太細などで表現してみたくなりました。
紙は水彩紙、墨のほか透明水彩絵の具(紫系 白系)も少々使っています。
近・中・遠景の個々の松。
一応最初は不遜にも、京都御苑や京都・奈良の名立たる寺社の松を象(かたど)ることから始めたのですが、
筆が進むにつれて、それはもう、どれがどこの松か分からないようになってしまいました。
“墨による奥行き感”という概念、実は“書道”の練習中に教えられたことでした。
高木厚人先生の大字かなの教本に、書道における奥行き感のことが書かれています。
正直なところ昨年、はじめてこの教本を読んだ時はよく解りませんでした。
そこで今回、墨絵を通して奥行き感をやったあと、書の教本を読み直しました。
そこには、書としての奥行き感は、
全体としての紙面構成(文字や文字群の配置や余白のとり方など)のほか、
墨の濃淡・潤渇、大小・太細などが強調されていました。
書の方の理解も少しは進むかな、と思ったりしています。
ただ、今回の我が作をみるに、手前の松の配置など無造作に過ぎました。
上の書でいう“紙面構成”で失敗してしまいました。
“作品”とは呼べず“練習”とする所以であります。
水墨画で松林といえば、何と言っても
長谷川等伯(安土桃山時代の絵師)の「松林図屏風」(国宝 東京国立博物館蔵)。
私にとっては正に神。
こちらについても、いずれ書きたいと思っています。