古稀からの手習い 水彩ブログ

人生の第4コーナー、水彩画で楽しみたいと思います

こぼれ松葉をかきあつめ・・・(佐藤春夫詩「海辺の恋」)

2018-10-01 06:59:12 | 書道
佐藤春夫の詩「海辺の恋」を普通の仮名で書きました。

こぼれ松葉をかきあつめ
をとめのごとき君なりき
こぼれ松葉に火をはなち
わらべのごときわれなりき

わらべとをとめよりそひぬ
ただたまゆらの火をかこみ
うれしくふたり手をとりぬ
かひなきことをただ夢み

(以下末尾に 書は省略)

間もなく七十九翁になろうとするものが、“をとめ”だの“わらべ”だの、何をどち狂ったかとお笑いください。
でもちょっぴり言い訳させていただければ、
拙ブログ今回のテーマは“普通の詩を普通の仮名(変体仮名を使わず)と漢字で書くこと”。
そこで斎藤孝先生の「声に出し読みたい日本語」(草思社)を開いていたら、この詩が目にとまり選ばせていただいた、という次第。
斎藤先生もこの詩を暗唱されていたとのことで、佐藤春夫は国民の広くから暗唱された詩人だったようです。
暗唱したくなる魅惑のワードが入っていたり、リズムというか韻律があり、同音類音の反復があったり、・・・ということでしょう。

一方こういう詩を書にするには七五調で漢字も仮名も位置が決まっており、書道としては弄りにくい側面もあります。
自分なりに最も意を用いたのは各行の流れです。
微妙ながらも右に、左にのカーブ、ところどころでのS字。
各行相互の響きは?・・・ちょっと頭をよぎりますが、とてもそんなレベルではないことを書きながら悟りました。

ご存知の方も多いと思いますが、純朴そうに映るこの詩、
詩人の佐藤春夫が、小説家で友人でもあった谷崎潤一郎の妻・千代との不倫の恋を詠んだものだそうです。
結局二人は結婚する(昭和5年)のですが、そこに至るまでの間、
この三人(他に数人の男女も絡んで)にはいろいろ愛憎劇があったようです。
この詩は、二人が知り合ってしばらくした、佐藤29歳の時(大正10年)だとか。
少年少女に戻った恋の歓びのようでもあり、
消えやすく、たまゆらの(一瞬の)松葉の火であったり、夕日に消えゆく煙だったり、
なにやら切なさや不安が漂う詩のようです。

谷崎は、佐藤がこの詩を詠んだあと、二人の仲を許すとしていた前言を翻し、二人は引き裂かれます。
この、佐藤春夫、失意のうちに詠ったのが“さんま苦いか塩つぱいか”で有名な「秋刀魚の歌」とのこと。
次回は・・・。

[補記]
入日のなかに立つけぶり
ありやなしやとただほのか
海辺の恋のはかなさは
こぼれ松葉の火なりけむ

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4 コメント

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Unknown (mori)
2018-10-01 07:19:27
私でも読むことが出来ました。情景を浮かべながら・・・
書を大好きな人が気持ちを集中してしかもサラサラと書いている情景も浮かべながら・・・
私から見るとどの字も「夢」の様に完成されています。
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Unknown (サガミの介)
2018-10-01 11:30:34
佐藤春夫の人生は多くのエピソードを残していますが、この詩は谷崎夫人への同情が恋に昇華する青年のような純な心を読んだ詩と理解しています。その純な心模様を優しく美しい筆致で書かれたもの、見る者に訴えかけています。数少ない漢字の中で「松葉」の文字が何とも言えない魅力的なものを感じました。
返信する
Unknown (新垣巽)
2022-12-12 09:22:47
偶然に貴ブログを拝見いたしました。何ともすばらしいとしか申し上げられません。この詩は私も大好きで、ギターの弾き語りで歌います。この時だけは家内も涙を流して聴いてくれます。
さらなる掲載を希望しています。

千葉県在新垣
返信する
Unknown (榎本きみこ)
2023-10-19 12:27:04
この詩を初めて読んだのは 中学3年生の頃でした。真面目で無口で 友達も少ない私は 図書室で過ごしてばかりいました。大好きな国語の女教師の授業で「好きな詩人の詩を 暗唱できる人はいますか?」と言われ 思わずためらいもなく手を挙げました。初めての 大好きな詩だったから……教室の雰囲気が シーンとなった事だけを覚えています。今も読書を楽しみ 来月には73歳を迎えます。
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