本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

おフランスの若者にはパッションがあるけども・・。

2006-04-11 13:22:12 | 政治
 無料版「時事用語のABC」 2006年 4月 3日発行 第1095号(36,635部)

●今日のキーワードは「初期雇用契約」です。
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フランスのシラク大統領は3月31日、初期雇用契約を含む機会均等法について、一部を修正したうえで署名する方針を表明した。
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§初期雇用契約【しんき・こよう・けいやく】(CPE)

   フランスにおける若者向けの雇用政策

26歳未満の若者を雇った場合、試用期間の2年間は企業が理由なしに解雇できると定めた契約のこと。フランスにおける若者向けの新しい雇用政策として、機会平等法に盛り込まれた。

フランスの雇用情勢は現在、正社員と契約社員の二極化が進行している。不安定な契約社員から安定した正社員の地位に移るのは難しく、特に学生の間では就職に失望感が広がっている。

フランス政府は、若者の正社員への雇用を促進する目的で、機会平等法を導入した。その法律によると、採用されるときに初期雇用契約を結ぶことで、正社員としての試用期間が設けられる。一方で、採用側の企業に配慮し、試用期間中は理由なしに解雇できるとした。

初期雇用契約の導入に反対する労働団体や学生団体などが、パリを中心にフランス各地で撤回を求める運動を展開している。フランスのシラク大統領は、初期雇用契約を含む機会均等法について、一部を修正したうえで署名する方針を表明した。

なお、フランスでは、国会が制定した法律は大統領が署名することで効力が発生する。

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   仏首相、若者向け新雇用制度を撤回 労組などの反対受け
2006年 4月11日 (火) 00:50(朝日新聞)

 フランスのドビルパン首相は10日、国民向けに演説し、26歳未満を雇えば理由を示さず解雇できるとする新雇用制度(CPE)を、最近成立した機会平等法から削除する方針を発表した。労働組合や学生団体が大規模な抗議行動で強く反発したCPEの事実上の撤回だ。07年大統領選に意欲を燃やす同首相の政治力は大きく傷ついた。若年失業の抜本解消策は先送りされた形で、「痛みを伴う改革」の難しさを浮き彫りにした。

 首相と与党・民衆運動連合(UMP)の幹部はこの日、大統領府に集まって協議。シラク大統領がCPEを規定した機会平等法第8条の削除を決断した。協議後の演説で首相は「(CPEが)国民全員に十分理解されなかったことは残念」と述べた上で、「若年失業という深刻な問題に即座に立ち向かわねばならない」として、第8条を若者の雇用促進を図る別の条項に差し替えることを表明した。進退を含む自らの政治責任には触れなかった。

 UMPのアコワイエ国民議会(下院)議員団長は、数日中にCPEに代わる条項案をまとめることを明らかにした。AFP通信は代替案について、低学歴や移民社会の若者の就職を支援する措置になると報じた。その場合、「解雇しやすくすることで雇用を創出する」ショック療法は放棄される。

 首相演説を受けて野党や労組、学生団体は「CPEは死んだ」などと次々に勝利宣言。一部の学生団体は大学の封鎖解除を決めた。

 ドビルパン首相は1月、22%を超す若年失業率対策としてCPEを打ち出した。だが、野党や労組との事前協議、議会審議を省いて法案を採択した強硬姿勢が強い反発を招き、3月28日と4月4日の反対デモでは参加者が記録的な100万人(警察発表、主催者発表は300万人)に達した。大学や高校の封鎖も全国に広がった。

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 以上引用終わり。

 「流石フランスだねえ」としか言いようがない。
 イギリスもそうだけど彼らには「市民革命」の歴史・伝統がある。
 「パンがなかったらケーキを食べればいいのよ」などとアホなことを言っていると王権も為政者もギロチンにかけられてしまう。

 問題の法案について私は語る程の知識はないが、「雇用者側に雇用の拡大を要請するため」という名目で「いつクビ切ってもいいから、頼むから若者たちをもっと雇ってよ!」と法で定めるなんてちょっと頭おかしいんじゃないかと思う。

 しかし日本でもしそういう法案が提出されても・・賢明なる我らの若者たちは「あっそ♪」で軽く済ませるんじゃないだろうかと私は疑う。
 昔の若者はこうじゃなかったんだよ。w 
《神田カルチェラタン(←パリの学生街の名前を貰っている)》とか《フランス・デモ(←両手を大きく拡げて手を繋ぎ、道路一杯に広がって温和にデモ行進する)》とか、もろマネマネ風の学生運動の花が咲いたんだもんね♪
 ちなみに《60年安保》以来の、日本型の激しい《ジグザク・デモ》はアメリカでは《スネイク・ダンス(蛇踊り?)》と呼ばれたそうです。

*(後註:)『第7官界彷徨』という楽天日記でも4/13に取り上げています。

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 我が国には例えば、古代天皇制皇族の骨肉相食む殺し合いや戦国武将たちの首の取り合いはあっても《普通の人》が一斉に立ち上がった歴史と言えば《一揆》と《打ち毀し》しかないのではないか(?)。あと60年安保と70年安保も、個人的には加えたいけど・・。w

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 そう、日本にも戦国時代の「一向一揆」や江戸時代の飢饉の際の「百姓一揆」、或いは幕末の「打毀し」や「ええじゃないか」の伝統ならある。遡って江戸初期の『島原・天草の一揆』なども。

 「一向一揆」リンク集はここです。→
 http://www.ne.jp/asahi/hon/bando-1000/itki/rink01.htm

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 *一向宗は教団化された浄土真宗で「釈迦入滅」後何年立ったからという「末法思想」があるし、天草の一揆はキリシタンだからこちらは「最後の審判」が下るという終末観がある。ただ所謂《終末思想》というのは何時の世にもあるということであって、我々は「もう駄目だ終わりだ、この世は闇だ」と常に言い続けているしょうもない生き物らしい。

 打ち続く戦乱、飢餓、貧困、禁教と圧政と・・・一般に中世は地球史的には寒冷期だったそうで、浅間の大噴火とかもあって、日照りや水害で農作物が育たない、年貢を納めるどころの騒ぎじゃない、オラ今日食うモノがないんだ、死んだ牛馬でも食うか、草の根でも食うか・・ということになれば、常日頃如何に温厚な人々であろうとも『座して死を待つ』ことは選ばないということだ。その際中心に据える確固たる《政治理念》は成る程育っていなかったかも知れないが、《宗教的信念》ならあった。仏教は我が国への伝来以来、一貫してこの国の主要な学問の地位を占めて来たけれど、今はどうかな?w

 *江戸期には《大飢饉》が続発した。
 寛永(1642-43)、享保(1732)、宝暦(1753-57)、天明(1782-87)、天保(1833-39)・・・それぞれを組み合わせて三大飢饉とか四大飢饉とかと呼ばれる。
 幕府の改革もこれら飢饉に連動して発動された。

 cf.天明の大飢饉→http://www.tabiken.com/history/doc/M/M246L100.HTM

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