本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

胡蝶の夢。

2008-03-24 07:50:56 | 
 昨日『たかじんのそこまで言って委員会』を見ていて、現代の若者気質についていろいろ考えさせられた。まず思ったのは、彼らにとってインターネットは既に空気のような存在と化しているというか、webが「血肉化」しているということである。私のネット離れも三日坊主に終わっているから偉そうなことは言えないが、彼らは矛盾を抱えていて、「《webつながり》に浸かりたいが、でも煩わしいコンタクトは嫌だ」とでも言ったらいいのか、欲求が捩れを起こしているのである。

 人間社会は人間同士の「関係の連鎖」で成立している。この「関係」がときに鬱陶しく感じられ、それが昂じて「ストレス過剰」となれば「安穏な生活」など望むべくもなくなる。「日々が苦痛の連続」ということになれば、生きていてこんなに辛いこともない。
 若い人たちは(←若者に限らないが)昼間けらけら笑っていたかと思うと、夜になれば平気で「ぶっ殺すぞ」とか「死ね」とかといった乱暴な言葉を自分の周囲に向かって投げつけ(←ここに昼とか夜とか言うのはあくまで譬えだが)逆に極度の孤独感・絶望感に襲われると今度は「死にたい」「消えてしまいたい」と思いつめて、実際自殺に走る子もいる。
 大人たちは寄ってたかって「いや、人生捨てたものじゃない。生きていればいいこともある」etc.と必死な説得を試みるのだが、我々の周囲で日々再演される現実は暗く陰惨で卑劣な事件のオンパレードであって、大人たちの言い分は総じて決定的に「説得力」というものを欠いている。だいたいが自分でも信じていないことを他人たる若者に説教しても真実味というものが伴う筈もないとしたものだろう。
 若者たちにとってこの社会で「自己実現」(←自分のやりたいことをやってしかも社会に役立つという人生を送ることだが)を計るなんてことは至難の業と悟るばかりか、そもそも自分が住む現実社会に対して甘い幻想や期待は抱きようがないのだと、そういうことだろうか。よくわからない。
「20世紀はニヒリズムの世紀だ」とF・ニーチェは言ったが、我々の21世紀は超ニヒリズムの時代とでも言うべきだろうか。

 webは今や若者文化の中枢を占めていて、「いったいwebが現実化しているのかはたまた現実がweb化しているのか」まったくわからなくなって来ている。「webなんてしょせんは幻想空間・仮想現実に過ぎない」などと取り澄ましていればそれで済むという時代ではなくなった。そんなのはwebに現実社会の暗部が侵食を始めた頃の牧歌的時代の話で、今はwebの方がリアル社会へと浸出しつつある時代なのである。

 「学校裏サイト」というのがweb上に数多く展開されていて、そこでは「援助交際なりすまし」や「いじめなりすまし」が半ば公然と日々展開されていて、ちょっとした「知識と技術(?)」があればたった一人でも多数の人格になりすまして(!)或る特定の個人を攻撃することが可能らしい。「学校裏サイト」なんてだいたい私は行き方知らないんだけど、機会があったら行って探訪してみたい♪

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胡蝶の夢

-斉物論より-
I think; therefore I am!
by 酒匂貴市, Kiichi Sako

本文
昔者、荘周夢為胡蝶。
栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。
不知周也。
俄然覚、則遽遽然周也。
不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。
此之謂物化。 昔者、荘周夢に胡蝶と為る。
栩栩然として胡蝶なり。
自ら喩しみ志に適へるかな。
周なるを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり。
知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。
此れを之れ物化と謂ふ。
(参考文献:古典I漢文編 稲賀敬二 森野繁夫編 第一学習社)

日本語訳/通釈

昔、荘周は夢で蝶になった。
ひらひらとして胡蝶そのものであった。
自然と楽しくなり、気持ちがのびのびしたことだった。
自分が荘周であることはわからなくなっていた。
にわかに目覚めると、なんと自分は荘周であった。
荘周の夢で蝶になったのか、蝶の夢で荘周になったのかはわからない。
しかし、荘周と胡蝶とには、間違いなく区別があるはずである。
こういうのを、「物化」というのである。

解説
★昔者、荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志与。
むかし、そうしうゆめにこてふとなる。くくぜんとしてこてふなり。みづからたのしみこころざしにかなへるかな。

「胡蝶」は"蝶"と同じことである。
「栩栩然」は"ひらひらと飛ぶさま"。
「喩」は「愉」に通じる。
「適志」は"気持ちがのびのびとする"。
「与」は詠嘆。

★不知周也。俄然覚、則遽遽然周也。
しうなるをしらざるなり。がぜんとしてさむれば、すなはちきよきよとしてしうなり。

「俄然」は、"突然"。
「遽遽然」は"驚くさま"。

★不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。
しらずしうのゆめにこてふとなれるか、こてふのゆめにしうとなれるか。しうとこてふとは、すなはちかならずぶんあらん。これをこれぶつくわといふ。

「与」は疑問の意。
「分」は"区別"。
「之」は動詞と目的語を倒置したときに動詞とその目的語の間に入れる。
元の文章は「謂此物化」である。

総括
この話は、沈既済「枕中記」のもとになったと思われる。

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 殺人手配男、8人刺す 茨城・土浦 警戒中の駅前
2008年3月24日 『中日新聞』朝刊

 23日午前11時ごろ、茨城県土浦市のJR荒川沖駅東口の「荒川沖ショッピングセンター さんぱる長崎屋」と駅改札を結ぶ連絡通路で、若い男が走りながら居合わせた男女8人を次々と刃物で刺した。8人のうち男性1人が死亡、男女2人が重体となり、残る5人も軽傷。男は現場から約300メートル離れた駅西口の交番で自ら110番し、駆けつけた土浦署員に取り押さえられた。

 男は19日朝に同市中村南の無職三浦芳一さん(72)を刺殺したとして、県警が殺人容疑で全国に指名手配していた同市中村東、無職金川真大(まさひろ)容疑者(24)で、三浦さん殺害の容疑で逮捕した。金川容疑者は「誰でもいいから殺したかった」などと供述、三浦さん殺害や今回の事件を認めているという。

 死亡したのは、同県阿見町うずら野、会社員山上高広さん(27)で、頭などを刺されていた。重体になっているのは、土浦市荒川沖、会社員石山恵美子さん(62)、同県つくば市大角豆の高校生飯田修平さん(18)。軽傷の5人には、駅構内で同容疑者を警戒していた同署地域課の一色祐二巡査(29)も含まれている。

 金川容疑者は文化包丁(全長30センチ)とサバイバルナイフ(同33センチ)を所持しており、荒川沖駅改札前付近で無言で5人を、駅東口へ向かう通路で2人を、さらに「さんぱる長崎屋」入り口付近で死亡した山上さんを刺した。文化包丁は土浦市内で、サバイバルナイフはネットで購入、この2本のうち1本で三浦さんを刺したと話しているという。

 金川容疑者の携帯電話から22日昼ごろ「早く捕まえてごらん」と110番があり、県警は、指名手配した同容疑者の身柄確保のため、170人態勢を取っていた。事件当時、同駅周辺には私服警察官8人が警戒中で、刺された巡査は改札の外にいた。

 今回の事件は警察を挑発した上での通り魔事件の可能性があるとみて、8人に対する殺人、殺人未遂容疑でも金川容疑者を追及する。

 三浦さんは19日午前、自宅の玄関先で首を1カ所刺され、病院で死亡。県警は金川容疑者の自転車が現場に残され、金川容疑者宅から押収した着衣に三浦さんと同じ型の血が付いていたことなどから、21日に殺人容疑で指名手配した。

 2次犯罪を防げなかったことについて、県警の石井孝刑事部長は「特殊班を投入するなど身柄確保に対しては相当の態勢を取ってきたが、死傷者を出したことは捜査幹部として極めて残念」と述べ、捜査体制を検証することを明らかにした。

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 二次犯行の現場付近には8名の私服警官が配備されていたというが、顔写真もなしで誰を探せというのだろうか。容疑者(指名手配犯)は「捕まえてごらん♪」とわざわざ自分の携帯で警察をおちょくっていたというがゲーム好きの彼が二次犯行後交番に出頭してもがら空き、交番から電話してやっと逮捕に至ったというんだから、いったい何がどうなっているのやら、もうどうしようもないよね。

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殺すな!いじめるな!そして死ぬな!

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