昨日のNHK将棋トーナメント準決勝第一局、先手深浦九段vs後手森内九段の一戦は122手で後手番の森内俊之九段が勝った。解説の佐藤康光九段をして《名局ですね。》と言わしめた熱戦で、終盤深浦九段の猛攻を後手番森内俊之九段が《打ち歩詰め》という反則局面に追い込んで凌ぎ切った。
《打ち歩詰め》というのは将棋のルールの一つで、最後に持ち駒の歩兵で敵王を詰ますのは反則行為だから、攻める側は手を変えなければならないのである。
将棋も囲碁もそうだが、通常《投了》は相手が指した時点で行われるから、本局の場合122手で終わっているということは、それだけで後手が勝ったのだなと判る。後手が指した瞬間先手側が《負けました》と表明している訳で、偶数手の終了なら後手勝ちが判るのである。
将棋は勝敗の決着が付くのは百手前後で、囲碁はその倍くらい手数がかかる。同じNHK杯で《一手30秒以内》という同じ制限を付けても、囲碁の方が時間がかかってしまうわけである。だから将棋にはある《10分の考慮時間》というのも囲碁にはなくて、いきなり一手30秒以内で打って下さいと冒頭から対局者は言われる。
以前NHKがそういう点を考慮して、囲碁と将棋の放映時間に30分の格差を付けたことがある。囲碁は2時間、将棋は1時間半である。これに将棋連盟の側が《兄弟けいていの差を付けるな!》と猛反発したことがあって、今対局は双方同じ1時間半の放映に収まっている。今は将棋熱も高まっているからそんなこともないだろうが、昔気質の将棋棋士たちは囲碁と差別・区別されることを極端に嫌っていたのだ。
江戸時代、将軍様の御前で囲碁・将棋をお見せする《お城碁》《お城将棋》では、将棋は囲碁の《前座》だったのだから、昔から将棋は格下扱いされていたのだと思うと言ったら、言い過ぎだろうか。私など古い世代にとっては、将棋には熊さん八さんの《縁台将棋》とか、床屋で待ち時間に一局というイメージがつきまとうのに比して、囲碁には何かお寺の住職辺りが打つ高等な余興というか、一種高級感が漂っているのだ。囲碁には別名《手談》という言葉があるが将棋にはそんな高尚な呼び名はない。
ちなみに、将棋は《指す》と言い囲碁は《打つ》と言う。《指す》のだから盤面に駒音高く打ちつけるなどということは常道ではないと言ったのは、駒音高く打ちつける派の将棋指しの筆頭だった故・升田九段だった。アッソ。