あんまり緊急に書きたいことも思い浮かばないが、ぼちぼちと・・。ところで、以前も書いたことがあるような気がするのだが『Aである《が》Bである』という大学の弁論部あたりでは真っ先に濫用を慎むよう教えるレトリックがある。この《が》という接続詞(?)が曲者で、日本語の蒙昧主義を一人でしょって立っているような趣きがある。「一人でしょって立っている」と言うと、例の石破である。(はあ?笑)メディアに担がれた奴がこの《が》をひっきりなしに使いまくるのである。聞いていると他党からの批判には全てこれで答えているのである。例えば「自民党がこれまで半世紀以上に亘ってやって来たことへの自覚も反省もない」と与党やみんなの党から正当にも批判されると「・・確かに反省は必要で我々もその点は充分に弁えている」などとあたかも謙虚な受け答えで引き取るかの如き素振りを示すのであるが、その後に付加される《が》の一言でこの「反省猿」の反省は一遍に打ち消され、「何事も無かったかのように」以下に続くのが政府与党へのいつものお定まりの、言いがかり的「批判」なのである。それで「AであるがBである」は《が》の一字で前半部は消去され結局は「Bである」としか言っていないというフザケタ修辞では長続きしないと見切ったのかどうか、枡添は「小沢に匹敵するような権力者が自民党には必要だ」などと言い始めている。その「権力者」の座には自分が就くつもりなのかどうか知らないが、そこにはそれ相応の智力も無いと権力者の地位には留まれないのである《が》・・。w . . . 本文を読む