本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

文化人という名の野蛮人。

2009-12-08 07:00:12 | 社会
本文の「東京にしか文化がない」という発言は当時「オペラハウス」が東京にしかないことに関連して述べられたもので、当然「おいおいあんたは『文化』一般をわかっているのかよ!?」という反発を招いた。これは「歌舞伎座や能楽の舞台が幾らあってもそんなものは『文化』の名に値しない」と言っているのと同じだから、これは単なる西洋被れのアッパラパーな「西欧音楽至上主義」かつ「東京崇拝」のお寒い発言なのである。「文化人」だの「科学者」だのと肩書きを付ければ何を言っても構わないということにはならない。そんなことは常識だろう。一般に今回の「事業仕分け」に対する自称「科学者」「文化人」「スポーツ選手」らの反発には私はその論旨に少なからぬ違和感がある。彼らの言ってることは畢竟「俺は(お国のために)正しいことをやって来た。その予算を削るなんてけしからん」という身勝手なものであって、自分と自分の所属して来た社会の利害しか目に入らない「視野狭窄」そのものなのである。仕分け人たちの着眼点は役人どもの「無駄遣い撲滅」にあるのであって、その役人どもにいいように煽られて糞も味噌も一緒くたにした彼らの論難は、とてもじゃないが冷静でまともな議論ではない。こういう馬鹿な人たちが我々の「言論界(?)」をリードしているのだからこの国は本当にレベルが低いと言うしかない。彼らを無条件で「横並び礼賛」するメディアも無論かなり悪い。これは某新聞社らが狂的に推進している「オラが村さの高校野球応援主義」と同レベルの話である。曰く「し尿処理場・ゴミ焼却場は必要だがうちの近所は困る」から始まって「国家予算の窮状は知っているが俺んとこの予算は削るな」「沖縄の苦渋はわかるが米軍にうちの空港に来て貰うのは絶対ダメだ」云々と、おめえら何一つわかってねえよ!何であれ、民主主義というものはその構成員らの「応分の負担」が大前提としてあるのである。てめえの権利だけは120%主張するが、いざ『負担』となると「1円も出さない」では民主主義のイロハも知らぬ、単なる田舎親父の我儘でしかない。自民党と官僚と財界はこの手を使って各地方を競わせ国政を牛耳って来た。結果私たちの現実は「自分さえ良ければいい」というのが時代の風潮として深く根付いてしまっているかのようである。あっけらかんとした「ミー・イズム」の時代、他人など押しのけて生きて行くんだという時代だ。 . . . 本文を読む