近頃のフェイスブックは、
中高年のリア充自慢の場になっていると、
若者が辟易して、退会者が増えているらしい。
私みたいな、自分の親がしてきたような家庭を築いて来ただけで、リア充と言われる時代。
世の中、離婚経験者、シングルマザー、
結婚したいけど出来ない人達……が溢れていると言うのだ。
私はさっき猫の額ほどの花壇に植わってる、
さつきの剪定をした。
二本しかないからすぐ終わったよ。
向かいの家はうちより植栽が多く、
バラやアジサイなどが隣家にも伸びているので、
奥さんがしょっちゅう切っていらっしゃる。
……私が、
『花壇のさつきが伸びたので剪定しました!』
と、載せたりしたら、それってリア充自慢なの?
リア充自慢なる言葉が出るからには、
リア充でないから自慢できない人がいるということ。
家があるから、花壇があるから、
さつきがあるから、剪定が出来るんだよね?
と思われちゃうの?
私もそうだけど、
ごく普通の生活には、発信すべき事柄はなにもない、
と思うんだよ。
行ったとこ、食べたもの、会った人、
そんな事、他人に知らせる必要、あるかな。
それがビジネスに繋がるならいいよね、
お金になるんだから。
生活の切り売りだね。
でも、ごく普通の人の生活はお金になるようなことはない。
そんな事を載せる必要はない、
とまでは言わないけれど、
載せるまでもない、とは思う。
そもそも、ホームページは、
会社の紹介とか商品説明の為にあった方がよいと考えられているもの。
ごく普通の人がホームページ作ったって、
載せる商品がないじゃん。
え、子供?
子供、商品かよ?
わざわざ写真のせて。
可愛いからと誘拐されたらどうするんだろ。
ホントに、理解できない。
そして、他人の幸せな家庭の事など、
知りたくもないのが人情である。
ちなみに不幸だったら群がるのも人情だ。
幸せの押し売りは、
私としては、不要であると考える。
てゆーか、
自分のプライベート書いてさ、
恥ずかしくないのかな。
と、リア充と他人に言われても、
そんな気が全くしないオババだった。
(これまた、それが手に入らなかった人の気持ち、
分からないんだよね、と言われることだろう。
堂々巡りだな、これは)
うーん、なんというか、
漠然と欲しいと思っても手に入らない。
どこかで、絶対に欲しい、絶対に手に入れてやる、
という強い気持ちがあれば願いは叶うと思いたい。