日ごろ、歳をとってもいつも美しくありたい、
がモットーのオババですが、
昨日気づいちゃいました。
天井に付いている照明、トイレだとか、まあ、そういうところの交換、
これまで数年間、子供がやってくれていたんですよ。
それが、あれ、これから誰がやるのよ?
一気に不安になりました。
そりゃ、かつて一人暮らし女子だった私ですから、
電球の取り換えとかそんなことは朝飯前だったのが、
誰かにゆだねた途端、やり方を忘れた、というか面倒だと思うようになっていた、
というのがショックで。
天井は高いから、脚立に乗っかって、上向かなきゃいけないでしょ、
あれ、結構つらい(笑)
よく年寄りが、缶詰や瓶詰を開けられなくてずっと眺めていたとか、
電球切れたけど交換できないから暗い中を我慢していたとか、
棄てたいものがあるけど重たくて運び出せないからずっと置きっぱなしとか、
悲惨な話を聞きますが、
今やオババはその領域に入りつつあるんだな、と感無量であります(笑)
なんつーか、出来ないわけじゃないんだけど、
人任せにしてきた報いが来たんだね。
それだけなんだよね。
大したことじゃなかったね。
そして、これのどこが『美しく生きるという事』につながるのか、という疑問も生じてきた。
しかし、よくよく考えれば、一人で出来ることがたくさんあることが、
美しさを保つ秘訣でもある、と考えられはしないだろうか?
もちろん、無理なことは誰かにお願いすることは悪いことではない。
だけど、自分で出来ることなのに誰かにやってもらうことはあまりいいこととは思えない。
しかし、人にゆだねる、ということが依存ではないときもある。
時にはワークシェア、といって、仕事を分け合うことでもある。
それが共存共栄なのである。
自分が全部やっちゃって構わないことなんだけど、
相手にとってそれが勉強になったり、チャンスになりそうなときは、
分けてあげる、そういうシーンがある。
ああ、そうやって、子供を使ってきたわたくし。
今度はわたくしに命令する。
『ねえ、あの電球取り換えないとだめね。あなたお願い出来るかしら?』
『あの高いところですか?無理っすよ』
『そんなことないわ、あなたなら出来る』
『あんただって出来るでしょ、それくらいなら』
『もちろん、そうなんだけど、あなたもやってみれば視野が広がるというものよ』
『へえ』
『いつかどこかで役に立つと思うから、だまされたと思ってやってみなさいよ』
『なんか調子いいなぁ…』
しかし、LEDの電球も、点滅回数が多いとだめになるのが早いことが分かりました。
洗面所は白熱球がいいのかなぁ。やたらとパッチンパッチンやってるからなぁ。