秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

けったいな名の波牟許曽神社は蛇の社?

2022-03-21 | 古代史のミステリー
JR長瀬駅で下車して
駅前の地図看板写す。
下蛇草公園やって!

一般的に公的な地図とかに神社記されないの、なんでかな。
Google maps もそうだけど、まぁ日本の会社ちゃうもんね。

駅前の低い建物は昭和時代の団地らしき住宅街で、道はぐちゃぐちゃ。

事前予習で、近鉄長瀬目指して歩くとしたらという設定で、
地図見てた時に発見した 波牟許曽神社
はむこそ、と読む。
なんともけったいな名前で興味津々。

弥刀神社への途上なので立ち寄りたいと連れに事前了承える。


地図マピオンのほうが、神社もバス停も表記されますね。




隣に生協病院まで確認してたのに、
ややこしい道を結局はスマホナビで歩いて、
Googleは車道誘導するから わけわからんように。

ありゃりゃ、ここかな?


12:38
シンプルな木の鳥居がいい。
左側石柱に、波牟許曽神社

左手樹木奥に、天龍不動明王。


参道を進むと右側に手水舎あって



由緒書案内文より一部抜粋

平安時代の延長5年(927)法令(延喜式)神明帳には、全国2861社が記載
東大阪市内では、波牟許曽(はむこそ)、彌刀(弥刀 みと)のほか枚岡神社など16社が記載…
伴信友(神名帳考証・河内誌)に 蛇草と書イテ今イカニ唱フニカ知ラネド
波牟久佐(ハムクサ)トカ唱フベキ也。云々と記載す…
波牟は蛇にして、許曽は社の義なり、蛇を祭れる者にや村名は、これ社名より起こると述べて
その昔、物部の氏人の村であり、蛇草と云う地名の起源はこの宮の名より起こったものと伝えられる。 
『神社要録』には、北蛇草村神明とあり、河内明記には大社天神とも伝え、神明考証には、大杜神社と呼んでいた。
御祭神は埴安神(はやすのかみ)、波牟埴安姫(はむはやすのひめ)なりと記されています。
また一説には、蛇を祀れるものかとも伝えられる。



上記の由緒抜粋を茶色に指定したのに、なぜか一部黒のまま。
何度やっても変わらん、不思議〜
そこに注目ってか?
後半部分、論理的じゃなくて意味不明…





おもかる石が置かれてました。


拝殿全景を撮り忘れて


今の御祭神は、天照皇大神、伊弉那岐大神、伊弉那美大神

河内国 渋川郡「波牟許曽神社」に比定される式内社です。
明治に合祀され、昭和になって北蛇草の氏子さんらが再建された。

地名は蛇草で、社名は波牟。
元々の神さまや如何?


左側から裏へまわると

本殿はこれまたシンプルで素敵です。
紙垂が風に靡いてました。



猿田彦大神と天鈿女命が並んでるのもうれしい。
夫婦神が並んでるとこ他にあったかな?

拝殿右側には

素戔嗚尊

他にも祠いっぱい。
松龍大神、榎大神、白龍大神、縞姫龍神と龍神こんなに集まられて、
白光大明神は巳ーさん?
子守勝手大神に、伊勢神宮遥拝所も。



ネット検索してて見つけました。
1704年大和川が付け替えられるまで、現代の長瀬川は大和川主流だった。
川幅200mと広く、今でも堤跡残ってるそうです。

上の地図の緑鳥居が弥刀神社。
川の対岸(地図左上)長瀬町、生協病院あたりの印がはむこそ神社。

共に荒れる川を護ってもらうのに祀ってたのでしょう。


渋川郡北蛇草村の式内社は
明治22年(1889)北蛇草村を含めた7ヶ村合併し長瀬村に
大正元年(1912)に村内八社を合祀して新たに長瀬神社が創建
昭和51年(1976)社殿が再建された

同じく長瀬神社に合祀された神社に、
北蛇草字奥宮に鎮座してた蛇斬神社があるそう。
御祭神は須佐之男命とされるが、奥宮鎮座のヘビを斬る「じゃさき」


長瀬神社調べで長背氏が出てきて、苗字検索したら

長背連(高麗鄒牟王子孫)の子孫。
近年、和歌山県西牟婁郡串本町にみられる。
「長」は長くのびている地形、器物、生物などの意味。


長い生物→蛇 ですね〜



和歌山県東牟婁郡串本町に
ごく少数10人程居られるようです。
長背氏は河内から紀州へ落ちのびたのか、それとも西牟婁が発祥なのか。

謎は深まるばかり…





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