秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

天の真名井の水と波せき地蔵さん

2011-05-25 | 古代史のミステリー
籠神社へお参りしたら、裏にある奥宮である真名井神社へ行かないと意味ないとネットでかつて読んだことがありました。

籠神社でのおまいりそこそこに、裏ってどこと探しました。
裏鳥居からでると大きな立看板が


ちょっと分かりにくい看板ですが、たぶん裏手を進むということ?
神社の裏には民家が建ち並び細い道がありました。
そこを百メートルは歩いた。


第1鳥居はありましたけど、どこに神社があるの?
もし一人で出かけてたら不安になって引き返したかも。

坂道を登り小さな山に入り少し山道を登ります。
右手に天橋立ユースホステルがありました。
  



左に眞名井神社、右には匏宮大神宮

「匏」なんて読むんだろう…

裏面には瓢箪の模様の中に「匏訓吉佐瓢也」と書いてあります。
「匏」は「吉佐」と訓む 瓢の也

籠神社で100円でわけていただいたしおりには、
「彦火明命が丹後の地に降臨され、眞名井神社原初の神、豊受大神をお祀りされた。天ノヨサヅヲ(ひょうたんのほめ言葉)に天の真名井の御神水を入れてお供えされたので、この宮をヨサの宮「吉佐宮」と云う」

彦火明命って誰?とか、丹波王国の歴史の興味ある方は→彦火火出見尊と彦火明命
ひとつ前のページに若狭国府 遠敷の里コース(福井県小浜市)について書かれてあり、
東大寺二月堂のお水取りにつながりびっくりしました。



数段の階段を上がり、眞名井神社の石柱の後ろにお地蔵様がおられます。
波せき地蔵さんだそうです。


立て札にはこう書かれてあります。
「昔大宝年間(約1300年程以前)に大地震の大津波が押し寄せたのを、
ここで切り返したと伝えられ、以後天災地変から守る霊験と子育て、病気よけの妙徳も聞こえる、
又、日本の原点真名井の神へのお取次もされると云うあらたかなお地蔵さんである。

二千五百年(ふたちいほ)鎮まる神の神はかり
百(もも)の御生(みあ)れの時ぞ近づく

平成八年八月八日」

大宝元年(701)大地震の十丈の大津波をここでせき止めたと言い伝えです。
古文書では、丹波大震災の時若狭湾の沖合いにある冠島や沓島が当時は一つの島であったが、この時島が沈んで高い山の二つが残ったという言い伝えが残っているそうで。

最後の部分、
「二千五百年(ふたちいほ)鎮まる神の神はかり
百(もも)の御生(みあ)れの時ぞ近づく」
不思議ですね~
どういう意味なんだろう… 

続く

7 コメント

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参拝お疲れ様です (吉田一氣)
2011-05-25 17:35:24
丹後の籠神社に行かれたのですね。
私もこの真名井についての記事を先日書きました。
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/808cd6d8e904dee1df6cd597b893e1f4
ところで匏の読みは[字音]ホウ(ハウ) 
[字訓]ひさご・ふくべ  だそうです。
この匏は瓜ではなくて瓢箪じゃないときっと駄目です。
このことは以下の記事も是非読んでください。
久隈守景作の『夕顔棚納涼図屏風』にみる瓢箪開運 No238
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/a978a0cd08c660f0cb38434450190955
匏は水の女神と月と少彦名神がキーワードでしょうね。
ところでここは前記記事の通りに文殊菩薩もキーワードなのです。
若狭湾に面する天橋立南側にある天橋山智恩寺には行かれましたか?
高速増殖炉もんじゅの顛末の和合にはこの2社の参拝祈願が必要でしょう。
とにかく文殊菩薩の功徳が無くなるとしばらく竜神様は暴れるでしょうね。
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追記です (吉田一氣)
2011-05-25 17:47:43
前回うららさまの記事と666のシンクロがありましたが
今回は888ですね。
私の記事の平成8年の8月8日の8時8分に布田川断層上にある
西原村の白山姫神社での八大龍王神事と
平成八年八月八日付けの
『二千五百年(ふたちいほ)鎮まる神の神はかり
百(もも)の御生(みあ)れの時ぞ近づく』
には深い相関を感じます。
そもそもこの日は私的には白山菊理姫大神が
封印されている竜神を八大龍王神に昇格してくださった日となっています。

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吉田一氣さんへ (おざさ)
2011-05-26 08:59:37
いつもアドバイスありがとうございます。
2009年1月に天橋立観光に出かけた折に智恩寺お参りしました。
あれから2年以上が過ぎて、今回籠神社では参拝祈願にならないでしょうか。
もんじゅは文殊って、なんでこんなな名前にしたんでしょう。
一氣さんの記事読ませていただきましたが、私の知識レベルとはるかに超えているのでコメント残せなくてすみません。

籠神社は掃除も行き届きお金もいっぱいありそうで立派でしたが、ハイ分かりましたって感じでそうそうに立ち去りました。
しかし奥宮である真名井神社はやはり聞きしに勝るところでした。
瀬織津姫の封印は、ここんところ検索しているところすべてに繋がってきて驚いています。
たぶん東大寺二月堂修二会の青衣女人もそうだろうと思われました。
応神天皇の気比神社も含めて、丹波・丹後・若狭・敦賀地方に何があって何が隠されたんだろうと興味がわきます。

百(もも)の御生(みあ)れの時ぞ近づく、なんかすごい立て札でしょう。
私の場合は2008年8月8日に出雲大社おまりしてから事象に取り込まれたのかも…
桃といえば、ピーチという名前で関空に格安航空会社が立ち上がりましたね。
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Unknown (いやさかの木)
2012-03-12 21:43:03
脱解王の出身地「多婆波国」を丹波だとすると、どうしても新羅本紀の瓠公がひっかかりますよね。
瓢箪をひっさげて海を渡ってきた倭人。

百(もも)の歌ですが、もしかしたら龍宮神示かもしれませんね。
大本の三雲竜三が真名井神社で神懸ったもの。
王仁三郎は獄中でした。
いずれにしても大本っぽい。

三雲竜三で33とは。
できすぎですね(笑)。
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いやさかの木さんへ (おざさ)
2012-03-13 00:00:26
神「はかり」って、謀、計、どちらの漢字でしょうね?
鎮まる神の神計りなら計画ですけど、
陰謀・計略なら怖い感じがします。

「脱解王」の検索ワード教えてもらったので早速検索。
いろいろヒットして読みふけってしまいました。
アメノヒボコや新羅神社関係は大阪でもあちこちで散見します。
おそらくこの時代の前に、ジャポニカ米をもって稲作を伝えた民族が先に日本に先住してたのでしょうか。

龍宮神示なるものがあったのも知りませんでしたので、次はこれを調べてみます。
いつもありがとうございます。
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Unknown (いやさかの木)
2012-03-15 03:25:10
神はかりは神議りとも書きます。
謀・計いずれもありですね。
ひえ~~。
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いやさかの木さんへ (おざさ)
2012-03-15 08:47:09
なるほど、議りは思いも尽きませんでした。
なんとなく神々がおでこくっつけてヒソヒソ、こっちの方が救いがありそうですね。

昨夜は銚子沖の地震、肝を冷やされたのではないですか。
お見舞い申し上げます。
夕方の三陸沖では、今度は皆さん津波に備えて高い場所へ非難されたことでしょう。
大きな被害がなくてよかったですが。。。
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