秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

佐美長神社はうっかり通り過ぎてしまうけど

2016-11-16 | おでかけ・近畿


2014(平成26)年秋に発行された伊勢志摩キャンペーン誌「伊勢神話への旅」最終ページと裏表紙です。

伊勢志摩の地図と見開きで17ページに載ってる佐美長(さみなが)神社、初めて知りとても心惹かれました。


伊雑宮に参拝済ませてのち、800mほどの距離なので歩けなくはない。
でも鳥居近くで路駐できますよと伺い、車で向かうも最初は通り過ぎてしまった。




この石段下の鳥居近辺のどこにも佐美長神社を知らしめる標識はありませんでした。
玄松子さんのサイトでも、同じこと書かれてありました。
「磯部支所の前の信号の側にある。
注意していないと行き過ぎてしまうかもしれない。
玄松子は行きすぎて戻ってきた。」

鳥居をくぐり階段を上ると境内だが、この階段は、昔から三十六段であるらしい。
一段が一旬を表しており、一旬は約十日間。
一カ月は、上旬・中旬・下旬の三十日間を表し、一年(大年)が三旬×十二カ月の三十六旬となる計算だとか。










佐美長神社(さみながじんじゃ) 伊雑宮所管社
祭神は五穀豊穣の神、大歳神(おおとしのかみ)

古くから穂落社(ほおとしのやしろ)ともいわれている。
祭神が真名鶴となり、稲穂を運び落としたのが千田(ちだ・稲を生ずる地)であると伝えられている。

社地には小社殿ながら、伊雑宮所管社の佐美長御前神社四社
祭神は佐美長御前神(さみながのみまえのかみ)がご鎮座されている。




伝説では佐美長神社は、倭姫に稲穂のありかを教えた鶴を大歳神(おおとしかみ:ヒゲの生えた老人の姿の神様)として祭る神社だそうです。

伊雑宮と佐美長神社を結ぶ道を御幸道(ごこうみち)と言い、神が両神社を行き来する道であるとされます。
『磯部郷土史』によれば、倭姫命が天照大神を奉戴して志摩の地を遍歴した際に通った道であるという。

そしてこんな説も見ました。
奈良時代から平安時代の804年より前に、伊雑宮に祀られていた天照大神・瀬織津姫2柱の祭神を天照大神1神のみの祭祀へ変更、さらに祭神名を変更し、同時に伊雑宮に祀られていた瀬織津姫のご神体を佐美長神社本社、或いは佐美長御前神社に祓戸4神として祀りなおしたもの、と推測される


倭姫宮は、現在、内宮と外宮を結ぶ御幸道路の中ほどの倉田山に鎮座しお祀りされていますが、できたのは大正12年!
神宮の中ではきわめて新しくに御鎮座されたお宮さんです。

大正12年は、伊雑宮近くの倭姫宮旧跡地の楠木下から石棺が掘り出された年のことでありました。

参考にさせてもらったのは→こちら

7 コメント

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ありがとうございます。 (りひと)
2016-11-16 19:45:22
当日行きたかったのにその後時間が経っても写真をさがしたりもしておりませんでしたから、自分でも日々の流されてるなあと情けなく思います。

とても雰囲気ありますね。また階段の段数なんてまさにククルカン?とか思いましたよ。
おまけにおおとしさんがひげの方というのも若かりし頃のイメージでおりましたけど神も年をとるんですね!ただそのイメージは雰囲気ありますよね、昔話にも出てきそうですし。

また出来たのが大正というのも、また倭姫命関連の後というのも自然に出来たようでここ関わった方々にも感謝したいくらいですね。そうでないと土地でお金を生む行動を阻止できる唯一の方法ですから。守っている方々があっての神社であり聖地、素敵な土地だったことを気付かずにおりました。ここも男っぽいけど女神の気配もありそうですね。
ご紹介頂きありがとうございました。
7784、8と4出た、7の星も二つ、大事な所みたいですね。大正の頃の方の偉大さも感じますね。
りひとさんへ (ulala)
2016-11-16 20:08:10
最後の倭姫宮のこととごっちゃになるような書き方してすみません。
大正12年は倭姫宮です。
佐美長神社は歴史あり、倭姫命が真鶴が稲穂を落とした地に真鶴を大歳として祀ったと。
しかしその伝説よりは瀬織津姫を祀ってたのを封印したという方が、私にはしっくりきました。
伊勢の海の民のバックアップを受けた天武天皇の後を継いだ持統天皇と藤原不比等は祭神変えたんではないでしょうか。
ふふふん。 (りひと)
2016-11-17 20:56:46
私の拡大解釈ですよ、すみません。
ご指摘の件を例えるならば、亀を鶴にしちゃったかな?
不比等と持統さんには困ったもんですね、毎回おもうのですが。水神なはずですもんね、全てを育むのは。そしてその女神がとても好き若者が伊雑宮にいるなら一緒に祀りたいですけどそれが嫌なんでしょうね。不比等さんたちは自分達の筋に大義名分なくなりかねないので。
ありのままいいのに。過去は過去で未来にためすべき事して欲しいですね。2981

その当時では思ってもいなかった解釈が生まれているのにびっくりです。記事がなきゃスルーでした、ありがとうございました。
りひとさんへ (ulala)
2016-11-18 09:37:16
旅の二日目は瀧原宮を参拝しました。
こちらには4つの神社がありましたが、一番高いとこにあるのが若宮神社、祭神不祥のようですが、水神かもと書かれてありました。
ちゃんとまとめ消化しきれてないのですが、とりあえずまた画像だけでも先にアップしますので、また見てください。
全部繋がってきますよ (りひと)
2017-03-20 07:14:14
今久々に消えました。いい線行ってきてますよ。
若宮は句句廼馳であり大の弥彦であり五十猛でもありますね。イソラでも良さそう。そして妹系が倭姫でおそらくうららさまとも関係深そうに思います。
佐美長が句句廼馳ならば佐美良姫は倭姫命系の先祖で句句廼馳とは兄妹。この地はおそらく八上姫の地でしょうか?そこに現れたワニに乗ったうさぎさんのかやの姫が句句廼馳に嫁入り。仲良くやっていたけど、母と句句廼馳は隠されて倭姫命は途方にくれて移動させられ巫女として働かされる。鏡を使いながら。またついにはかやの姫まで消されてしまい幡が秦に変わってしまってるかもしれません。なので倭姫宮を祀る事は大事だったしそうするほか解決はなかったでしょうね。

各地に野野上こと句句廼馳はいそうですよ。大抵雄岳と雌岳のいる所にはいそうですね。
奈良と宮城と近江はたぶん同じ、富士山も筑波山も日光山も怪しいですね。つまり句句廼馳は全国にいそうです。たぶん目をやられる火を扱いかなり古い時代から日本の恩恵を与えていたはずの方でしょう。昨日も消えたし、今日は夢でうさぎに会いに行くか迷っている夢でした。コメント入れられるかな?3430、6902
りひとさんへ (ulala)
2017-03-23 09:07:32
コメント頂戴しても的確なお返事差し上げられず申し訳なく思っています。
りひとさんの直感かイメージなのか、本質をついてる部分ありそうで、しかし私の範疇をこえてまして・・・
あらためて、清荒神の米谷清しの記事コメントも読み直していました。
目神におそらく一番関心と脅威を感じておられるのがりひとさんではないでしょうか。
そこでの一文引用しますと
>ただ卑怯な方法で何かした場合は、間違いなくそれを守る神が援護します。目の神はそういう役目があるはずです。
どなたかの意見でも目の神こそ大事だって言ってましたね。
目がないと判断が鈍るんですよね、判断出来ないようにさせたれたら終わりなのです。
一言主さんのように一言で判断するにも目は必要でしょう。なので目の神がきちんと表に出てきて目をやられちゃう一族を守る事さえ出来れば女神はとっても優しい方になるはずです。

イメージとしてはわかるのですが深すぎて具体的に反応できないでいます。
ランキングで (りひと)
2018-10-19 09:36:25
凄い妄想ばかり綴ってますね。すみません。
でこの頃結構消えてたんですね。
で自分の夢で忘れてたのがうさぎに会いに行こうか?って話がとても新鮮でした。うららさまがうさぎの神社たしか行ってますね。白い石を置くんでしたっけ?そんなお話した記事も振り返ってみます。そううさぎって耳長いけど、フクロウの可能性もありますね。水神の亀が鶴になってるなんて書いてたので。白い石は多分水神と関係あるので亀でもあるはず、でツルは鳥でフクロウにもなる。

会いに行かなくてもうらら様が行ってレポートしてくれたので用事は済んでいるのかな?

そうこちらの関係で当時話した若宮の件ですけど少し分かってきましたよ。たまたま出会ったおじちゃんが面白い事地元ネタを教えてくれたんでそれで昨日必死調べてみましたよ。そこの祭神不詳のような感じです。タイミングですけど同じ祭神いそうに思います。実体験では子供大好きでとてもとは思えないくらい腰が低い神様なんです。
同じだといいなあ。まさかそちらから人さらいに連れて行かれてこっちにきたとか?

妄想がまたひどくなってきたのでここまでにします。で明日の天気で少しいい方向に進んでいるのか何も変わってないのか分かるかとは思います。
本当めんどくさいですね、ありのままでいいのに。6336

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