



撮影したのは11/10 午後3:30から4時頃
見頃逃したくなくて、伊勢志摩の帰りに寄りましたが、ちょっと遅かったようです。
曇ってたから、夕日に輝くススキは見れなかった。
でも天気予報は午後から雨がギリもってくれて助かりました。
2016年の見頃・開花状況
・9月23日、穂が茶色に変わり始めています。
・10月9日、見頃は近かそう。穂がとてもキレイです。
・10月13日、見頃になりました!金色や銀色キレイに輝きます。
・10月24日、見頃継続中。銀色の穂がとても綺麗です!
・11月8日、見頃継続中。まだキレイ!
お亀池の周り900m程の歩道に設置された灯篭は11/23まで灯されるそうです。
11/10は急に気温下がった時で寒くて、灯りともるまで待ってられなかった。
向かった先は、これも楽しみの一つだった、お亀の湯


ここの湯は人気なのがよくわかりました。
また行きたいけど、ちょっと遠いな。
かぐや姫が好きだった?木地職人を探していまして漆塗りならば木との関係のありそうだなあと。
いよいよ金星出てくるかな?かぐちゃんが。
本当すごいですね、うらら様って。
曽爾と御杖って何かありそうですよ。
ススキの記事で確かってこちらに参りました。
地震はかなり深い所で遠くで起きていてなぜか三重あたりで起こって茨城揺れたりで地底の深い所で何かあるんでしょうね。そこは素人なのでそれくらいですけど。
杖といったら木の棒ですよね?笏とか作っていなかったかなあ?倭姫命とかとの関連も。
金属の鉾とか劍とかがメジャーになる前の信仰がありそうに思います。
ただ遺跡からは木は出にくいですよね、腐ってしまうので。ただ木片もこだわっている研究者さんもいるのでいつの日かこの辺りの信仰が出てくるといいと思います。
亀とも関係ありそうな?亀と木は水神でもあるようにも思いますので。そうそう今日石の亀さんが祀られていました。木が角になる亀とかいないかな?妄想しまくりでした。8256
御杖は、倭姫命が天照大神の御霊を奉じる候補地として杖を置いた地と言われてて、その倭姫が病の全快を祈願した姫石明神の名に由来した姫石の湯がありました。
またこの御杖から曽爾高原へ行くのに、近道となる山道に漆発祥の地のを見ました。
観光案内所でお尋ねしたら迷う可能性あるから広い道行きなさいと言われ通りませんでした。
暖かくなったら、姫石の湯と、近くの蕎麦懐石のお昼予約して、またフィールド調査行ってきます。
ここで妄想したのが、鳥羽から行った石神さん。
海女さんの信仰のある神社の神様でセーマンドーマンでした。海の民と石の神って何かありそうですね。
お湯と亀もかなり気になります。
そして漆ですね。父は漆器が大好きでそういう地によく行っていました。私は木が大好きなので木をうまく水から守るための一つの方法が漆でありのちの金属へと発展するとも思います。
なのでこの地がとても大事なのだと思います。ここも金と赤ですから文殊さんいないかな?
浦島太郎は善財童子?亀に乗った浦島太郎が獅子に乗った文殊菩薩?倭姫命と出会っていたら?と石神さんは女性を守るなら淡島さんへ繋がるかな?女性を嫌う神と相反するのか?同じ気もしますが妄想が広がります。5855、5が3つ、井戸の神とお湯の神が関係する地だと思いました。
福井県の三方五湖 近くの 鳥浜遺跡で、漆塗りの櫛が発掘されてました。
縄文前期の赤色漆塗り飾り櫛と、丸木舟などの遺物、日本の縄文時代ってスゴイですね。
ずっと前に三方五湖遊覧したことありますが、そのときはただ船に乗ってただけ。
あの湖底は7万年間の泥地層が堆積してたなんて知ってたら、博物館とか行ったのに。
それと同様、知らずにただただぼーぅと観光してただけのところ多々あります。
姫石明神も心に留め置き、今年中には温泉はつかるの目的で行ってきます。
一回目は88の番号あったのに消えちゃいました。
3度目は櫛が大事な事だけでいいや。
まいりますね。9014 出来るかな?
いや35が多い私のゴールは三方五湖!いけ〜!
この前漆塗りの櫛見てたんですけど、鳥浜だったのかな?東北の展示の流れかと思ってましたけど鳥取だったかも?
あと自分のコメントとに笑ってしまったんですけど三方五湖いつかいけるといいなあ?
日向湖って名前もありますね。なんだろうなあこの感覚。笑えるけどゆっくりやります。
このハス川がどんな漢字か気になりました。
魚に時と書いて鰣(ハス)が遡上するから鰣川となったようです。
淡水魚といえば、イワナ、ヤマメ、マスしか知らなかったです。
縄文時代も食べてたのかなぁ
ところで若狭湾といえば、小浜は初めて象が上陸した地でした。
念のために確認すると
今から600年前の応永15年(1408)6月22日、小浜へ南蛮船がやってきました。亜烈進卿という南蛮の帝王の命令で、今のインドネシアのパレンバンから来た船で、室町幕府の将軍への贈り物として「黒ゾウ1匹、クジャク2対、オウム2対、そのほか献上品」などが乗っていました。
その後、ゾウは約1ヵ月かけて京の都へ到着、4代将軍足利義持に献上されました。
縄文時代はもとより、ずいぶん長いこと若狭湾は日本の先進地域だったのですね。
あの〜、この前どっかで象の供養塚見たんですよね。関係ないのかな?江戸時代から最近かとおもってたけど。
ハスも気になりますね〜、またどこかで出てきそうですね。やはり古代の遺物でも泥とか水分がある場所は保存状態としては良い環境のようですよ。お花の蓮も泥の中からあんな凄い美しいお花になり、実は実でお守りにもなりますね。埼玉方の古代蓮のなんか施設見つけたんですよね、なんか行かないといけないように思ってたの思い出しました。元三大師に会いに行ったら古代蓮の実のお守り出会ったんで買った後群馬に行きたくなったんです。鳥取は元三さん関わるけど、若狭って元三さんと関わらないかな?亀とお湯の地とも関係して来ないかな。狭とか山編の狹あたりが付く神ってスサノオになってないかな、狭目とか目が細いんかな?
若狭彦さんは水神さんでしょうけど、写真で残っていたらいいんですけど。東大寺の辺りと若狭との縁よりも曽爾辺りと若狭のが接点深そうに思うんですよね。
この記事って本当不思議でその地だけでなく違う場所へとなんか心が移動させられるんですよね。不思議ですけど。