先にも書きましたが、風月三昆の何たるかも知らず、ただただその四文字熟語を撮影しました。
右手の盛り物が一部しか写ってませんが、レンコンがかすかにわかるでしょうか?
家に帰って検索してみたら、ホンと、恥ずかしながら いっぱいヒットしました。
文人華「風月三昆」
文人華とは、
文人たちが好んだ南画の雅題を植物を生けることであらわしたもの。
もともと煎茶を愛好した文人墨客達、洒脱な風流を楽しむ人々の高尚風雅な余技から生まれました。
「花を盛る、季節を盛る、言葉を盛る」といわれ、材料の徳性を雅題にあらわします。
風月三昆とは
蘭、蓮、菊を使った秋を代表する盛り物です。
雅題によって生ける植物は異なります。
「歳寒三友」 松・竹・梅
「百寿大福」 百合・菊・瓢箪
「萬年大吉」 万年青・柚子・霊芝
三昆とは仲のよい兄弟という意味で、その意味にちなむ蘭、蓮、菊を選んで生けます。
昆の字には兄弟・あとつぎの意があり、子孫繁栄の願いがこめられています。
*以前、純銀の扇子置物に彫がありそれが松竹梅で、歳寒三友と名づけられてた。
なんとなく厳寒の時の三友、読んで字のごとく、疑問はわかなかったのだった。
今にして、歳寒三友の意味がよくわかりました。
ネットで風月三昆の盛り物を拝借してきました。
若い頃、お茶(裏千家)もお花(しんよう未生流)も習ってましたが、
当時は適当にその場に足を運んでただけで…。(*^^)v
いわゆる花嫁修業の一環といえばさびしいけれど、
たぶん抹茶だったので、煎茶道とはまた違ってたのでしょう、きっと。
「季節を盛る、言葉を盛る、心を盛る」のが清泉幽茗流の文人華道。
材料は花のほかに、野菜、果物を合わせ盛るようです。
以下参考URLより一部ご紹介します。
詳しくは→こちら で
江戸時代中~後期の文人儒学者・大枝流芳らが煎茶・文人華・香道などの書物を著し、後に影響を与え華道にまで発展しました。
他に田能村竹田(たのむらちくでん)などがいます。
文人とは、書画などの文事をよく行う東洋的な教養人、読書人のことで、文人墨客などともいいます。
日本の煎茶の世界では、煎茶趣味をはぐくんだ中国・明代の文人の理想像を文人とみなします。
明代に理想とされた文人→老子・荘子の思想を中心とした儒教的教養を身につけた知識層の中で、琴・書・棋・画などの風流を愛した雅人。
煎茶道がお手前という五感を駆使させた行為(動)であるとするなら、
文人華はその行為に呼応しながら、その茶に最もあう最小のかたち(静)として表されたものといえます。
煎茶道については全く知らなかったでの、参照したのは
→、こちら
「普通の茶会では、主人が茶花を用意するが、
煎茶会ではさ座には、客の人数分の花器が置かれている。花は入っていない。
客がだまっていればそのまま。客が所望すれば、花や花鋏を出して、客に好きなように生けてもらうということだ。
生けても、生けなくても、自由。
南画の知識や故実をある程度共通の知識としてもって楽しまれたので、何でも好き勝手にやるというわけでもなかった。
花材も、松竹梅や「四君子」(蘭、菊、梅、竹)など南画の画題にちなんだものが好まれたらしい。
だから、故事や有名な南画を上手く連想させる作品を即興で作ることが評価されたのではないか」
右手の盛り物が一部しか写ってませんが、レンコンがかすかにわかるでしょうか?
家に帰って検索してみたら、ホンと、恥ずかしながら いっぱいヒットしました。
文人華「風月三昆」
文人華とは、
文人たちが好んだ南画の雅題を植物を生けることであらわしたもの。
もともと煎茶を愛好した文人墨客達、洒脱な風流を楽しむ人々の高尚風雅な余技から生まれました。
「花を盛る、季節を盛る、言葉を盛る」といわれ、材料の徳性を雅題にあらわします。
風月三昆とは
蘭、蓮、菊を使った秋を代表する盛り物です。
雅題によって生ける植物は異なります。
「歳寒三友」 松・竹・梅
「百寿大福」 百合・菊・瓢箪
「萬年大吉」 万年青・柚子・霊芝
三昆とは仲のよい兄弟という意味で、その意味にちなむ蘭、蓮、菊を選んで生けます。
昆の字には兄弟・あとつぎの意があり、子孫繁栄の願いがこめられています。
*以前、純銀の扇子置物に彫がありそれが松竹梅で、歳寒三友と名づけられてた。
なんとなく厳寒の時の三友、読んで字のごとく、疑問はわかなかったのだった。
今にして、歳寒三友の意味がよくわかりました。
ネットで風月三昆の盛り物を拝借してきました。
若い頃、お茶(裏千家)もお花(しんよう未生流)も習ってましたが、
当時は適当にその場に足を運んでただけで…。(*^^)v
いわゆる花嫁修業の一環といえばさびしいけれど、
たぶん抹茶だったので、煎茶道とはまた違ってたのでしょう、きっと。
「季節を盛る、言葉を盛る、心を盛る」のが清泉幽茗流の文人華道。
材料は花のほかに、野菜、果物を合わせ盛るようです。
以下参考URLより一部ご紹介します。
詳しくは→こちら で
江戸時代中~後期の文人儒学者・大枝流芳らが煎茶・文人華・香道などの書物を著し、後に影響を与え華道にまで発展しました。
他に田能村竹田(たのむらちくでん)などがいます。
文人とは、書画などの文事をよく行う東洋的な教養人、読書人のことで、文人墨客などともいいます。
日本の煎茶の世界では、煎茶趣味をはぐくんだ中国・明代の文人の理想像を文人とみなします。
明代に理想とされた文人→老子・荘子の思想を中心とした儒教的教養を身につけた知識層の中で、琴・書・棋・画などの風流を愛した雅人。
煎茶道がお手前という五感を駆使させた行為(動)であるとするなら、
文人華はその行為に呼応しながら、その茶に最もあう最小のかたち(静)として表されたものといえます。
煎茶道については全く知らなかったでの、参照したのは
→、こちら
「普通の茶会では、主人が茶花を用意するが、
煎茶会ではさ座には、客の人数分の花器が置かれている。花は入っていない。
客がだまっていればそのまま。客が所望すれば、花や花鋏を出して、客に好きなように生けてもらうということだ。
生けても、生けなくても、自由。
南画の知識や故実をある程度共通の知識としてもって楽しまれたので、何でも好き勝手にやるというわけでもなかった。
花材も、松竹梅や「四君子」(蘭、菊、梅、竹)など南画の画題にちなんだものが好まれたらしい。
だから、故事や有名な南画を上手く連想させる作品を即興で作ることが評価されたのではないか」
面白かったです
配偶者まで被害が及ぶことは
笑えませんが
サンキライにそんな意味があったとは…(+_+);