ハワイ島の旅の記録、忘れへんうちに書こうと思うも土曜日は超多忙だった。
キラウエア火山やフアラライリゾートのご紹介は後日に。
昨日は朝9時 樟風中学校の体育祭の開会式部分1時間ほど見学
二つの中学校が統合して、かつて3クラスが5クラスになりボリューム出て迫力ありました。
この後、保護観察者のお家を訪問する往訪面接、午後は仕事。
そして夕方は太極拳教室の9周年の集いが催されたのに参加させてもらった。
7月初めに見学体験後、スロートレーニングになるほどと合点がいったので、とりあえず半年続けてみようと既に10回レッスンに通った。
週に20コマの設定された日程の中から、スケジュール合う時に一コマ90分で1000円というチケット制とお手頃価格がうれしい。
太極拳については、初回見学後に記事投稿しただけなのでそのうちにまた、
乞うご期待(^з^)-☆
で、その教室の9周年の集いが開催され、午後4時間の合同練習のあとの集いだけ参加した次第です。
過去10回の稽古はいろんな曜日、時間帯に参加しましたが、それでもほとんどの人が初対面でした。
その中で、下の画像の男性は数回お目にかかっていて、私より5歳ほど若そうと思ってましたが、実際昨夜同い年だということがわかりビックリ。
先生も二つぐらい年上かと思ってたのに、さらに5年ほど長く生きておられた(^_^;)
スロートレーニングは若返るかも。
Y氏は学生時代に太極拳を始められ、1990年頃の雑誌に掲載されてたのを見せてもらった。
二次会の席で、なぜか突然Y氏がハンカチを取り出されたのです。
四天王寺さんでたまわったと。
不思議な紋様に惹きつけられ撮影させてもらった。
そしたら、なんとくださった。
家に帰り調べてみると
四天王寺の蘇利古(そりこ)は、聖徳太子の命日(旧暦2月22日)に合わせて行われる聖霊会の舞楽法要において、最初に行われる舞楽。
「垂仁天皇のときに百済からの帰化人で須々許理(すすこり)という人が、この舞を伝えたという。
右方平舞(へいぶ)装束の諸肩袒(もろかたぬぎ)の姿で、長方形の布に人面の抽象図をかいたといわれる「雑面」(ぞうめん)を顔につけているのが特徴。
手に持っている棒を「白楚」(ずばえ・ずわい)という。
この舞が五人で舞われるのは四天王寺独特のもの。
4月22日(※旧暦2月22日の聖徳太子の命日)四天王寺で行われる「聖霊会」雅楽法要でこの「蘇利古」が舞われる。
蘇利古は四天王寺の聖霊会舞楽法要の最初の舞楽として欠くことができない。
この舞が舞台で舞われている間に、堂内では宮殿(くうでん)に安置されている聖徳太子の御影の帳(とばり)を上げる「御上帳」(みじょうちょう)の儀式と御水を捧げる「御上水」(みちょうず)の秘儀が行われる。
一説には太子のお目覚めを慰めるための供養舞であるとも伝える。
聖霊会の儀式進行上、省くことのできない、天王寺独特の舞楽の一つである。」
なんでこの紋様が、唐突に昨夜私にもたらされたんだろう。
何のメッセージなのか見当もつかないけど、どなたかわかる方おられるかもと、早々に記録残します。
多分伝わったのはこの頃でしょうね。垂仁さんはこの関係の民族とうまく仲良くやっていたはずのお方ですよ、きっと。で許をコって読むお名前の方ですから、赤い姫と同じ系統だと思います。
雅楽の前の舞楽をおそらく日本三代舞台と言われる明日香と大阪と広島だったかな?でやっていたも?清水寺もありそうな気がしますので広島は違うかな?いや、住吉だあ。大阪二つ、難波宮ともう一個が富系の住吉かも?
猿楽ってのもありますのでそこも明日香では石出ていたような?そもそも葬送の音楽と舞なのだと思いますよ。ワーグナーでいうとジークフリートの葬送曲とかモーツァルトだとレクイエムみたいなイメージ。聖徳太子にあったんですね!それほどその民族には大事なお方だったんでしょうね。
とすると守屋さんの家系はひょっとしてそんな事携わっていないかな?神道的であれば祝詞なり言葉や歌みたいな物に縁はあったとも。女系は踊りや舞でしょう。磯らっぽくも感じますね。
人間ウォッチでは、許麻コマ系な気配はありますね。
で氷室神社の摂社の祭神さんも関係していそうですね。どんどんいい流れになっていように思いますよ。
例の絵の解読ですけど、太鼓も左三つ巴と右三つ巴とで屋根もあり、相撲っぽく思いましたね。
相撲協会もどう判断するか?気になりますね。
絵のイメージは風が起こるような、呼吸のような?生命のとって大事な神を象徴として顔みたいに構成しているように思いましたよ。何かのバランスが崩れると風滞るようにも。
それぞれの素材は違うけどそれぞれのポジションで違う役目を分担して天王寺では出来ていたんではないかな?偏見もなく、それぞれの適性を生かして行動していた人は聖徳太子もすきそうですね。8562、8320
どこかで間違われたのがコピペで拡散したように思えます。
千と千尋の神隠しの謎⑥~蘇利古(そりこ)と聖徳太子の謎~
http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/cat108/post_315.html
こちらのブログは時々読ませてもらってるので、以前読んだことあるはずなんですが、その当時は「蘇利古」がインプットされなかった。
で、去年9月にこの記事投稿の際に全く思い出せなった。
今回、須々許理でググったらヒット、あれまぁ~読んだことあるやん!
ちょっと難しいことは脳が自動的にスルーしてるんですね。
りひとさん、お目通しくだされば参考になるかも
で風と水は、どうも古来神の夫婦想像してしまいました。そこに火の精霊と舞。いいですね!
火が必要なんですよ。けどそれがまたちょっと路線変更されているようなのでかなり困ってます。
なんでも焼いちゃうんではないんですよ。
この前湯の釜の前での女舞をみてきましたけど、女性でなく男性的な要素を感じます。磯良出来そうな気もしますね。
で地域でいくと彦根の小野っていうのだけでもかぶり付くくらいで聖徳太子の隣には妹子ですし、11/22は良い相棒の日とでも言いたいです。
で小野が多いのは琵琶湖の西なんですけど、東も相当気になるんですよね。十王とか閻魔とかの信仰も残ってますしね。道教?市辺さんの歯の関係のお墓もありますので。
ダビングの落札されたあの絵もまさに巫覡ですし、お地蔵の持ってる物と似てますね。508億っていうのも気になります。日本にきたら護りにならないかな?
で閃いたのは勝部(すぐりべ)さん怪しいですね。
以前から巫覡探してますけど火での祓いが出来るとなるとそういっぱい候補はいませんから。
勝の神も縁あり追ってるんですで面白くなりそうです。でワニさん調べてるときに出てきた山の名前が?勝山だったかな?江戸時代に名前変わって分かりにくくなったんですけどそこと勝部も関連調べた事あるなあ。で必ずそこに応神さんが関わりそうなんですよね。
で一番興味持ったのが垂仁さんの頃でなく応神さんの頃なのですね?それのがぴったりですね!
垂仁さんは嫌いではなく良い子孫の系統巫女巫覡の血がお子さんにはありますね。そこが応神さんだったら?仁徳の頃より妥当なように思ってます。偶然なのですけど聖徳太子よりも垂仁さんよりも応神さんのが気になってます。
お相撲も本物八幡の神の意向がどうなのか?未然に祓えなかったのか?被害者のその後の回復だけを信じたいです。
そうだ、火が犬っていうのも気になりますね。
火の神事が出来る巫覡犬が現代にも必要で、火にも怖いのがいるし、犬にも怖いのがいます。
聖徳太子さんに寄り添うと安全かもしれませんね。
赤い玉も気になりましたね。
今はスルーしておこうかと思います。祖母は左三つ巴が好きだったんですよね。ほっぺの右三つ巴も気になりますね。1462
そうやっぱり百済じゃない巨摩(日本の大磯辺り)のコマだと思うんですよね、聖徳太子が縁があったのは?
あとわかっちゃいました。応神天皇の時代が違うならばきっと垂仁さんの頃なんですよ、きっと。
だって野見宿禰もお相撲等で垂仁さんと絡みますね!って事で垂仁さんと応神さんくっつけて考えてみようと思います。面白くなりますよ。
垂が付く天皇が本来神と人間の間で儀式しないといけないし、また女性じゃ役不足なんですよね。
天皇制もやっぱり変えてはいけないかも?男の子生まれてくれて助かりましたね。
垂の舞探そうと思います。和邇か高尾張か?本当難しいですけど素養がないとね。
髭っぽいお顔も大事そうですよね、やっぱ男、巫覡出現してほしいですね。2225 2がいっぱい。
高安勝ってるかな?
大阪四天王寺で聖徳太子絡み。
聖徳太子ってアイヌの人だったりして?
木造建築の神ですけど、素材と技術持っているってまさかとは思いますが。刺青とかで魔除していたとしたら、相手はそれ知らないから怖いしね。今はマスクあるからちょうどいいのかな?
須々許理(すすこり)は百済人らしいですけど、木造建築は日本だけですよね。日本の東北北海道の方の事百済にしてないかな?舞楽も気になりますね。
纏めていたのは、卑弥呼みたいに女性だったりして。
聖徳太子が関東でかなり信仰されているというのも葛西郡あたりのアナホ系を経由すると福島東北行っちゃうんじゃないかな?
許付くならヒメコソさんも関係しそうだし、関東にアカルヒメを探すべきかも?田村麻呂系で思うとやっぱ鹽竈あたりの姫かな?
手拭いでなんかまたヒント貰ったようですね。
米と酒と鳥と貝、というタイトルで鳥のことも詳しく興味ふかいです。
今まで疑問に思ってたことがいっぱい描かれてました。
一部引用させてもらいます。
ココから
「蘇利古」を伝えたという須須許理の酒が、日本では最初の醸造酒だったといいます。それまでの酒は、乙女に米を噛ませて醗酵させる原始的な「口噛み酒」だったそうです。とても美味しかったのでしょう、応神天皇は須須許理から献じられた御酒を飲んで、「須須許理が醸みし御酒に我酔いにけり、ことな酒、ゑ酒に、われ酔いにけり」と歌っています。朝鮮語では腐らすを「sag サック」といいますが、これが「さけ」になった…
http://amanokuni.blue.coocan.jp/sake-tori-kai.htm
お酒の神さんは追ってまして、候補も数カ所あるんですよね。そこに許の気配があるかどうかですね。
今日は四天王寺の聖徳太子の関係の日かな?と思ったら今月はかなりいっぱい儀式があったようですよ。
で男性舞についても別件で探してましたし、顔を隠すのもまた袖をハタハタとやるのもちょっと妄想しますよね、比禮。参考のサイトにはいそらと貝と鳥とで色々同じように調べて考えて今後に期待している方もいっぱいいますよね。応神天皇の時代が私には変化が必要に思うのでお酒と許の方からも見えてきそうですよね。
それとちょっとこの前知った神社では継体系と神こう皇后が直径でなく仲哀さんが直系かな?とか思いましたよ。そう思うと応神さんの母ではない可能性があるんですよね。で聖徳太子さんがどこかも気になりますよね。
四天王寺はトイレ寄っただけですが、今後も行きたいところも立ち会いたい儀式もいっぱいです。そこに許の方、意味ありそうですね。