

御祭神の高橋活日命は崇神天皇に命じられ、大物主大神に供える神酒を醸した掌酒(さかひと)で、杜氏(とうじ)の祖神として酒造関係者から篤く信仰されています。
一夜にして美味しい酒を造ったことから、古くは「一夜酒社(ひとよざけのやしろ)」とも呼ばれていました。酒まつりなどで舞われる神楽「うま酒みやの舞」は活日命が詠んだ歌で作曲作舞されたものです。
一夜にして美味しい酒を造ったことから、古くは「一夜酒社(ひとよざけのやしろ)」とも呼ばれていました。酒まつりなどで舞われる神楽「うま酒みやの舞」は活日命が詠んだ歌で作曲作舞されたものです。

★4/21追記
この記事は、吉田一氣さんのブログ記事コメント欄で、さくらさんとのやりとりの流れから、画像をアップした項でした。
昨夜そちらで、さくらさんのコメントが残されたものをここで共有させていただきます。
活日(いくひ)神社についてぼやーっと感じてたものに一番近い気がします。
引用ココから
竹の音を、鳥の鳴き声、羽音と雷音と私は捉えましたが、
よくよく、考えますと、
雉は、飛ばない鳥で、鶏とか、孔雀の感じでしょうか。
私が聞いた音は、地面近くの音ではないですので、
この考えはやめておきます。
では、竹の音とは何だったのかは、、
また、いずれどこかで何かわかるかもしれないです。すみません。保留とさせて頂きます。
そして、「高橋」についてなのですが、
神奈備様より
今の昔も神様の事を柱という。一柱、二柱の呼称がそれである。 古代の祭りの多くに、巨木を立て神の降臨を促す行事が記録に多く残っている
「はしら」という言葉をもう少し分解してみると、「はし」という言葉と「ら」という接尾語に分けられる。 「はし」とは二点を結ぶものと解釈され、現在では「橋」「箸」或いは両端の二点を象徴的に現す「端」などにこの言葉は生きている。
あの、ulala様の記事にUPされた活日神社の龍の金ぴかの金具を見て、
この「はし」の二点をつなぐようになっていました。
とても良い感性ですよね。そんな、ご自分でおっしゃられる低レベルのスペックではないです。素晴らしいと思います。
祭神である高橋活日命の名前の由来のものを直感で見つけていますね。
そして、大神神社の東向きの図を載せられました。
この東向きというのが、日向でとても重要な感じがしました。活日神社は丁度、ベストポイントに位置していると思います。
「はし」は「箸墓」の箸もあるかな。
「はし」はこの世とあの世をつなぐもの。
「はし」は「ははき」とも関係ありそう。
「はし」は二つの縁をつなぐものでもあるかもしれない。
8980
引用元の吉田さんブログは
龍で、対になっていますが、身体は合体ですね。
手書き曼荼羅のシーサーを思い出しました。
2017年でしたら、2年前ですね。ピカピカですから、新しいですね。
私が、2019年4月7日に活日神社参拝時には、このようなピカピカした物体は目に入りませんでした。
社だけだったような、、このような、門はなかったような、、
大美和の杜展望台で、頭頂が変になったので、、
記憶が飛んでいるのかもしれません。
あの時は、趣味の仏像彫刻が上手く出来なくて、かなり悩んでいました。先生に、ダメ出しばかり食らって、凹んでいました。
宿題やらない人なんで、当たり前なんです。(-_-;)
文科系の習い事は、苦手だなと思っていました。
先日、やっと先生から合格のお達しがでたのです(^^)
次のステップに進めるみたいです。
色々と思いつくままに、吉田一氣さんブログにコメントを書いていますが、私のコメントは気楽にお願いいたしますね。
写真をUPしてくださり、ありがとうございます。
そして、いつも記事を参考にさせていただいてます。、感謝しております(^^)/
とめさんブログも、目が離せませんね。
大神の三輪山の大事なところに活日神社がありますでしょう。
普段は祈祷殿からくすり道を通って狭井神社にお水賜りに行って、帰りは活日神社の下を通過しても、手持ちの水が重たいからスルーしてました。
2001年からず~っとです。
お酒の神様やからあんまり私には関係ないと思ってたのです。
やっとお参りしたのが 2017/3/19
なぜか急に思いついて参拝することに。
山麓にあるので見晴るかす景色は望めませんが、とても空気が清冽ですよね。
あの時は、龍の金具で脳容量がいっぱいになり、この2枚以外の写真はありません。
スペックちっちゃいもんで。
たしかお酒とお薬に関連する神社だけはお参りしたはずと思って、自分の旅ブログの中からようやく探し出しました。
お酒と神様は古代より結びつきが強いですね。
それが世界各地の文化にもなっていて興味深いです。
わたしは未だにわずか一回です。
活日神社の位置を調べてたら、こんなん見つけました。
本社拝殿を頂点として三角形で結ばれる南台地に、天皇社として祟神天皇、北の台地にこの活日神社がご鎮座になっている。
とても重要な位置づけですよね。
もう一点、神さまとお酒の関係について
古来、酒に酔っている状態が神様とシンクロしている状態であるといわれ、 酒は神様と繋がる大切なものとされてきた。
その神酒のことを現在では「ミキ」と読むが、昔は「ミワ」と読まれた。
また、神様のことを「ミワ」と読み、その証に「大神神社」の正式名称は「オオミワジンジャ」
で朝も一度コメント書こうかと思ったんですけどやたら交通関係の事故等もありなんか気が進まなかったんですけど、今閃いてしまったので入れておきます。
これは全く個人的な出会いで思った事なのでまだ先になるかとは思うんですけど、どうも治田神社が赤かめに乗って飛鳥駅に向かっている時に気になったのが出てきました。で治の付く宮あるんですけど、治田のが早い気がしまして。で岡寺近いんですよ、確か。岡寺も洞窟みたいな穴あるし、夢の場所っぽいのもあり今急上昇したんです。
で長野のまたあるんですよね?雷ってそこから連れてきたんですかね?少なくても雄略とは接点なかった一族です。また更級とか千曲とか更埴とか文字だけでも惹かれるんですけど、桑原っていう地も近いのかな?この前別件で桑原話題あったばっかりなので超タイムリーです。で奈良で祖母関係の桑の付く地探していたんですけどどうも長野っぽいですね〜。あと祖母関係だと太鼓なんですけど、雷と太鼓もなんか気になるんですよね。
少なくてもスガルくんがどうも接点で雄略さんと出会ってる民族ありそうですね。今ちょっと夜の中が荒れてるので落ち着いたら掘ってみます。
ハルって音は春って思ってましたけど治なんでしょうね!治水も出来そうですし、佐保もなんか関係してきそうに思うのは私だけかな?
長野では篠ノ井線稲荷山駅って文字見ただけでうららさまにも伝えたくなりましたよ。稲荷もササも井戸も出てきましたね。
長野の山も後に調べる事になりそうです。
これ個人的事ですけど。
志貴皇子も醍醐寺も関係してくるかな?絹積むとか稲積みとか?なんか見えてきそうですね。秦氏より前の民族だと思うんですよね。太秦も関連しそうですね。
清原氏に聞いてみたいですよ。
日曜午後、神戸でバス事故あった頃、ものすごい尋常でない睡魔に襲われてました。
知人も急にメッチャ眠たくなったって。
あの時、関西地方に眠り姫磁気みたいなのが覆ってたかも。
運転してなくてよかったわ。
>錠前のような金具出ている古墳が特に今気になってます。
古墳時代にこうした金具作られてるのですか。
いく日神社がらみで、この龍鍵のこといっこうにヒットしなくて。