クレモナのドゥオーモ正門左側にレンガ作りのトラッツォ塔が建っています。
午前10時に開門されます。
入場料は5ユーロでした。
1267年に建てられたそうですがとても立派で丈夫です。
キリスト、イスラムどこの国でも塔があれば時間が許す限り登ってきましたが、今まで登ったどこの塔よりも内側が明るくキレイでした。
塔が造られた当時、このクレモナの町がかなり豊かだったことが伺えます。
てっぺんまで487段、最後は螺旋階段になってます。
パダーナ平野が四方八方見晴るかせ素晴らしい眺めでした。
街並みはすべて赤い屋根で統一されているようです。
一緒に塔に登ったリトアニア人のドナタは、
私同様、どこの街でも塔に登ると話してました。
彼女はやはり敬虔なカトリック、
教会の結婚式の儀式では、聖水につけれた紙?を神父さんから口にくわえさせて貰ってた。
結婚式翌日のクレモナ最終日、小雨降る中、午後からクレモナの町の教会すべてを歩いて廻ったらしい。
頬を染め興奮して、言葉が尽きないようだった。
午前10時に開門されます。
入場料は5ユーロでした。
1267年に建てられたそうですがとても立派で丈夫です。
キリスト、イスラムどこの国でも塔があれば時間が許す限り登ってきましたが、今まで登ったどこの塔よりも内側が明るくキレイでした。
塔が造られた当時、このクレモナの町がかなり豊かだったことが伺えます。
てっぺんまで487段、最後は螺旋階段になってます。
パダーナ平野が四方八方見晴るかせ素晴らしい眺めでした。
街並みはすべて赤い屋根で統一されているようです。
一緒に塔に登ったリトアニア人のドナタは、
私同様、どこの街でも塔に登ると話してました。
彼女はやはり敬虔なカトリック、
教会の結婚式の儀式では、聖水につけれた紙?を神父さんから口にくわえさせて貰ってた。
結婚式翌日のクレモナ最終日、小雨降る中、午後からクレモナの町の教会すべてを歩いて廻ったらしい。
頬を染め興奮して、言葉が尽きないようだった。
おかげで久しぶりに読み返すことができました。
南イタリアを巡った時、イタリアのブーツ型地図のヒール付け根あたりのあたりにマテーラという街があり、とても印象的でした。
岩をくりぬいた家で有名な古代からの街で、川の対岸にネアンデルタール人が暮らしてたという岩肌が見えました。
私は小学校低学年まで家の絵といえば、岩をくりぬいた家を描いてました。
地下に降りる階段があり、ベッドはここでとか部屋の間取り的なものを具体的に想像してた記憶があります。
トルコのカッパドキアに関心持って実際に観光行って、ここじゃないと思いました。
その数年後に訪れたマテーラの岩窟都市、ここに住んでたことあるようなデジャブに襲われました。
地中海沿岸諸国やフェニキアが気になるのは、前世に転生した記憶が蘇ってるのかもしれないと思うことがあります。
ベネチアからミラノには行った事があり鉄道移動だと思います。通っていたのかなあと川と鉄道の軌跡をみてみたい思います。
川蛇行が凄いので日本でいう水神さんもいそうな地形ですよ、弥生辺りの。水害も大変だったとか想像しちゃうけどうかな?イタリアは火山もあるしこの前地震あったので気になりますね。
この辺りに関わる民族が日本に来ていたら?とワクワクしちゃいますね。治水灌漑また川移動と石の扱いまた鉱物加工技術知識と。この街はかなり魅力的な場所ですし、見晴らしも相当良さそうなので塔には登ってみたいですね。9232
モンゴル帝国がユーラシア大陸を牛耳っていた頃日本では元寇が1274年です。
ポー川の船舶流通で栄えたそうです。
ほんとに今まで登ったどの塔よりも中が明るくて階段も登りやすかったです。
最後にミラノとクレモナの列車旅珍道中を書く予定です。
イタリアの地方都市は、街そのものが芸術作品のよう。住民が代々守り続けてきたものが、そこにあるって感じます。
年とともに高いところが苦手になってきた私ですが、この街の景色を見るためなら鐘楼を上る価値ありますね。
出来たら行ってみたいです。