秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

シャルルマーニュの護符

2011-08-06 | シチの目
イギリス王室のウィリアム王子とケイト・ミドルトンさんの結婚で
ケイトさんの左手薬指には、縁をダイヤモンドで飾られた美しいブルーサファイアの婚約指輪がはめられていました。
父チャールズ皇太子が、亡き母であるダイアナ元妃に贈った婚約指輪で
ロイヤルファミリーを象徴する深い青色です。



サファイアといえば、「持つ者を必ず皇帝にする」とも言い伝えられた宝玉があります。

その名をシャルルマーニュの護符Charlemagne's talisman
カール大帝のタリスマンなどとも呼ばれるこの宝石は、「皇帝の石」という異名を持ち、世界制覇を約束するサファイアの護符です。

「護符」とは、日本風に言えば「お守り」のこと。
このお守りはペンダント型をしており、真珠、ガーネット、エメラルドなどで飾られた金の楕円形枠の真ん中に、巨大なサファイアが2つ背中合わせで埋め込まれています。


サファイアは両方ともカボションに磨かれていて、ひとつはオーバル(楕円)もうひとつはスクエアカット。

サファイアの中をのぞくと木片が十字に重ねて結び合わされているのを見ることができます。
これはゴルゴタの丘でイエス・キリストが磔刑にかけられた時の十字架だと伝えられており、そのほかに、聖処女の髪もはさみこまれているとか。


5世紀~9世紀にかけて、西ヨーロッパを支配したフランク王国
8世紀の国王カール大帝(742~814)は、一般にドイツ語読みのカール (Karl)で知られていますが、フランス語読みならシャルルマーニュ (Charlemagne)

このサファイアは、
アッバース朝のカリフ、ハールーン・アッ=ラシードがシャルルマーニュに贈ったとも、
シャルルマーニュ本人が妻のためにハールーン・アッ=ラシードの宮廷にいた呪術師にたのんで作らせたとも言われています。



800年ごろ、アーヘンの町を作ったカール大帝は、
市庁舎と隣接してアーヘン大聖堂を建てました。
のちの936年から1531年まで、30人以上のドイツ皇帝の戴冠式がここで執り行われました。

814年にシャルルマーニュが亡くなると、彼は護符とともにアーヘンの大聖堂に埋葬されました。
1000年、オットー3世がこの墓を開いた時、腐敗していない大帝の遺骸とともにこの護符を見つけました。
護符が、大帝の体を腐敗から守ったと後の世には伝わっています。

発見された護符はアーヘン大聖堂の宝物として代々大切にされてきました。
時代は19世紀まで下り、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌは司教から見せられたシャルルマーニュの護符に心を惹かれます。

アーヘン大聖堂はやむなくこの護符をナポレオンに渡し、
1804年12月2日のナポレオンの即位の日、ジョゼフィーヌは戴冠式の彼女の冠にこの護符をつけました。

やがてこの護符はナポレオンの義理の娘オルタンスを経て、彼女の息子ナポレオン3世へ、そしてその妻ウジェニーのものとなります。
ウジェニーは、第一次世界大戦後ランスの大聖堂の復興のためにこの護符を市に送りました。
現在は誰か個人のコレクションに入っていると言いますが、はっきりとした持ち主の名は知られていないそうです。


2 コメント

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ブルー・サファイヤ (悠々美術館通信)
2011-08-07 08:27:47
ブルー・サファイヤの話
面白かったです。

大きなサファイヤの周囲にたくさんのダイヤモンドの結婚指輪。

さすがイギリス王室です。

「シャルルマーニュの護符」が変転を経て
一般人の所有となっていること
ロマンを感じます。

わたしも、いつか、コレクターとなって
こういった貴重な財産を収集したいと
願っています。
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悠々美術館通信さんへ (おざさ)
2011-08-07 21:24:54
面白かったといってもらえると書き手冥利に尽きます。
ありがとうございます。
こんなにすごいお宝の宝石実物を見てみたいもんですね。
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