秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

走田神社は亀岡の有名なロケ地だった★4/8追記

2021-04-06 | おでかけ・近畿
亀岡の穴太寺参詣後、ガレリア道の駅向けて走ってると、


茅葺き屋根の風情ある建物!

道の向かいには

百坪ぐらい広い場所で車の姿はないけれど駐車場?
端にぽつんと板葺きの建物はトイレ?

何か有名なとこで、時には駐車場が満杯になるのかな?

古民家は社務所と記されてて、並びに鳥居があるのに気づく。
何という神社なんだろう。
降りてみることになった。


走田神社
知らんなぁ〜

ご祭神は彦火火出見命と豊玉姫、および二神の御子うがやふきあえず。
ありゃぁまぁ、小浜の若狭彦&若狭姫神社と同じ神さまじゃないですか。
今回の西国33カ所巡礼のお連れは寺ガールなので、同じメンバーで昨秋旅しました。


お参りご挨拶行っとこ。





けっこう参道長かった。
奥まで100mぐらいあったでしょうか。



すっくと伸びた樹木と空が凛としてる。


青々とした苔に散った桜の花びらがちらちら、これも美しい。

昼下がりの太陽に向かって

一段高くなって低い塀で囲まれた本殿。




ナギの木、立派でした。


2018年の台風で大木が多数倒れたようで、

本殿は大丈夫だったようですが、右手の稲荷社は被害大きく再建中だった。




倒れた大楠を活かした馬のオブジェ。

走田神社の由来は、
当社に奉納されていた絵馬から、毎夜馬が抜け出して馳せ、その足跡が溝となり川となって田を潤したから。

御祭神とこの社号の繋がり、ようわかりませんね。
 
同名・同祭神の「走田神社」が向日市にあり、
ともに式内社であるが、その関係はふめいである。

家に帰り調べてみたら、時代劇のロケ地として有名だった。
詳しくは以下で⤵

★追記4/8
「走田神社」が向日市にあり 
玄松子さんのサイト 亀岡市走田(はせだ)神社の説明最後に
『平成祭データ』が載せられてて、そこより引用させてもらってました。

でもどうやら向日市ではなくて、長岡京市にあるようです。 
走田神社、はしりだと読みますし、御祭神も違ってました。

京都府長岡京市奥海印寺走田に鎮座する式内社 
祭神:天児屋根命・武甕槌神・経津主神・姫大神










12 コメント

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Unknown (木方)
2021-04-06 17:38:52
そちらも若狭ですかあ。
私も昨日木簡調べていたら若狭がかなり気になってきました。元は塩調べていて海藻仕入れていた所探っていたら。お水+海藻+土器+火でお塩作れないかな?と。奈良へのお塩ネットワークが昔進展しなかったのに突然進展し始めました。

馬も気になりますね。
うがやさんと豊玉さんはとにかく気になる存在、絶対にいつか行きたいです。走の文字も気になります。地形で風を感じるのか?乾燥させないと塩作れないですので。
また忙しくなりそうなので進まないとは思いますが誰か進めておいてくれるとありがたいです。製塩土器は日本オリジナルかも?ですので。必要なのは海藻とお水。
各地のパーツ集めて作った物に感謝して生きたり仕事したり古墳作ったりした方々が関わっていそうな名残を探してます。エジプトとの接点も探り中。
インドでもコロナが増加と聞くとちょっと日本も危険な感じがします。民族の移動とか風習とかで何かコロナ対策古代から見つけてもらいたいですよ。
ネコもなにか教えてくれそうで記事じっくりと見たいんですよね。ネコって感染症にはどうするかなあ?
まず地図みてますね。
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木方さんへ (ulala)
2021-04-07 12:28:47
藻塩をお土産に何度かもらったことあります。
瀬戸内海だったり、能登半島だったり、伊勢湾もあったかな。
塩味に奥行きありそうな感じですね。
藻塩とは、かつて玉藻と呼ばれていたホンダワラなどの海藻から作った塩のこと、と書かれてありました。

玉藻と呼ばれていたホンダワラですって。
確かに藻に玉のような浮ついてますね。
その気胞が球状から楕円形をしてるのがホンダワラで、細長い円柱のような形状の気泡がアカモクだそうです。

モズクも少しお高くなるけどアカモクは栄養価が高いと聞いてます。

見た目が似てても細かな違いがあり、食べられる藻と食べられないのがあるそうです。
たかが海藻であり、藻塩なんですけど、昔から見分けてたし活用してたんですね。
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Unknown (木方)
2021-04-07 18:18:28
この辺りがコロナへの知恵にならないのか?と。
東京もまもなく追いつきますよ、問題は症状の出方です。ある物はある。ないエリアじゃないとあったら増える。また体内とかでより厄介に変異する。何かいいヒントないですかね。
走田神社がまた二つあってその一方が思った通り高い場所にありました。おまけに私の気になる時代の古墳。
排水あったのココだったかなぁ?なんか急に進み過ぎて頭がクラクラします。神社でも道でも溝があるのが気になるんですよ、古墳も傾斜などの知識が無いと作れない。作ってから失敗するよりも作る前に計画段階で修正出来る知識なり計画なりが出来る方々が今後に日本の舵取りしてくれると安心なのですが。
素人でも地元でもいっぱい調べて解明してくれる人が出てくると知恵が出てくるかな?と期待しています。ワニでも罹りそうですからその先、うさぎかネズミか禰󠄀豆子は竹咥えてますけどそのあたりでもヒントあるといいですね。抗菌作用のある銅と何か混ぜると炭治郎のあの色出るんだっけなあ?焼物あたりの調合とかにもヒントあるかも。土も場所にこだわるのは何かヒントあるといいなあ。亀岡嵯峨野の先、低い土地だけどすぐ近くに高い山ですから何か出てくるといいなあ。風習探ってみます。そうそう、地図昨日見ていたら大枝〜って多くないですか?、私の探している八幡さんと大枝神社は繋がりそうだって思ったんですよね。こことも繋がりそうな予感。それと長岡京だったかなぁ?平安京から移動して作りながら移動しちゃうんだっけ?この辺りは少し前に調べて気になっていました。一旦忘れてやる事やります。
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木方さんへ (ulala)
2021-04-08 10:31:33
走田神社、もう一つの方は向日市ではなくて長岡京市でした。
本文に追記しておきました。

善峯寺は京都市西京区で、京都の西山あたりは向日市や長岡京市が入り組んでます。
山越えたら大阪府高槻市です。

長岡天満宮へ行ったような微かな記憶あるのですが、このブログ内検索ではヒットしませんでした。
若いころに参拝したのかな?
あの西山あたり、京都縦貫道入ってしまったら通過地でようわからんとこなんです。
善峯寺の帰りも入口わからず迷って、結局一般道で帰りました。

京阪沿線から長岡京あたりはちょっと行くの面倒でご縁がないのです。
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Unknown (木方)
2021-04-09 13:37:11
向って字は特に気になる字なので。境界の入り組んでいる所はまた色々とワクワクしますよ。高槻に近いのかあ。大阪京都の境界県境は全く分からずなのでその視点で地図見てみますね。

亀岡天神近くなのですね。
走って字が付くところも各地調べたくなりました。
イメージはいのししと野見宿禰なんですけど。
石清水がまた大阪じゃないのにもびっくりしました。
関西の境界の変遷も面白そう。気になる場所も昔は山城だけど今は京都なのでたまに分からなくなる事多いです。学ぶ事って無限大ですね、その地の方に教えて頂けるのが一番正確ですし、ありがたいです。
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Unknown (ulala)
2021-04-10 22:11:39
木方さんへ
京都縦貫道広域マップを撮影して本文最後に貼りました。
高速道の地図なので淀川わかりませんね。
国道1号線が八幡から守口へほぼ平行してます。
今でこそ立派な橋かかってますが、昔は渡しの船だったんですね。
おまけに八幡あたりは川が入り組んでて、巨椋池という地名残ってますが戦前に干拓された様子。
とても想像できません。
仁和寺の法師はきっと桂川とか水運使って石清水八幡に詣でたと思います。
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Unknown (木方)
2021-04-11 09:33:21
ありがとうございます。
まずは今の地形と有名な地名でまず位置把握しないといけないので助かります。で昔は水運ないと動けなかったでしょうね、物の移動も陸だと大変だったはずなので。

別件で大原野って出て来ちゃいましたよ、長岡京って歴史でも目立つ事もなくなのですが移動したい意味を探らないと理解出来ない事があるのかなあ?と。で大原野が出てきたのが関東で時代もかなり後。この辺りと関東との接点もどうもありそうです。また別件でも大原とか原付く所を探していたのが滋賀、なんなんでしょうね。
私には分からないので一旦切っちゃいます。
奈良の集落の変遷では石清水あたりが昔から人がいたところですが、そう思うとやはり自然の恵みを得られやすさがあったはず、何事もなければずっと動かずいられますが、地形の変化や気象条件などもその時代ごとにあったと思うのでその近くへの移動はあったはず。南に行くのが妥当かとは思いますが、確かその後の集落は西はなかったしとも記憶しています。そうすると北ってのは川を跨ぐなどの困難さはありますが前提条件が変わるなら北もあり、また逆に北が栄えていての南もあるわけですよね。
で記事に戻るとすれば、そういう意味での走田神社の意味は?住所の文字も気になってきます。
ロケの場所はどんな役目があった地なのか?ワクワクしますね。
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木方さんへ (ulala)
2021-04-13 10:19:43
平安京の前に長岡京、テストに出るから覚えてただけでした^^
改めて検索してみました。
都の西南にあたる京都府乙訓郡大山崎町附近には山崎津(やまざきのつ)
東方にあたる京都市伏見区には淀津(よどのつ)などの水陸運の要所が展開。
水運を考えて町づくりしてたのに、洪水やら天然痘やら諸々の不幸が重なり、それは早良親王の祟りだと恐れたんですね。
そんなこともあり、後世に長岡京が封印されたような形であまり庶民にも関心持たれなくなったのかもしれません。
https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000000674.html


大原野について:
桓武天皇皇后の藤原乙牟漏(おとむろ)は藤原氏出身で、奈良の春日神社を氏神とした。
長岡遷都と同時に造宮使長官藤原種継に命じて、春日の神を長岡京の近郊に勧請しようとした。
種継は自分の母の出身地である大原野の秦氏に命じて、神社の土地と神領を献上させ、秦氏の住む村の西の山裾に大原野神社を勧請した。
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Unknown (木方)
2021-04-13 11:03:44
理解が早いので助かります。
そう津は物理的にそういう危機に大昔から立ち向かっていた地。それを怨霊とかでというのは最後の言い訳。また怨霊って思う所にやましい事も見える所で。歴史は実に面白い所です。それが何か意味ありそうですよね。日本人には得意かも?何かの知恵が出てくるといいですね。

で式家の種継ってのが別件でも気になってまして。ただ家系でみてもかなりややこしいし正しいかどうかも分からないのですが、実家なりその土地に縁があったという事はかなり気になります。文学の中の作者の意図がそこに加筆するか?しないか?でかなり意味合いが変わります。付け加える意味と削除する意味は人間の都合だけ。
事実だけ見れたら全く違う歴史も出てきそうですよね。
人間なので失敗したり間違ったり情けない事もあるけど、そんなの辺りまえですし無理して苦痛味わう事ももったいないですよね。
日本のスポーツ選手凄いですよね、この所。逆境や試練を支える周りが神っぽい感じますし。一人じゃなく知り合いだけでもなくみえなくても想いを感じれてそれをバネに出来る本人も凄い。結果があってから理解するのは当たり前ですけど、その前にもっと支えるべき者に手を貸したり救ったり忖度や空気で動かず出来る方がいっぱい出てくるといいですね。もっともっと活躍出来る人も増えまた人間としての記録を塗り替えるような相乗作用が起こる環境になるといいですよね。逆境が実はあまり悪くもないって思えると立ち向かえる勇気も出てきますよね。南側は交野ですし大阪が東京には対処出来ない事がクリア出来ないかと水運潤う理由に防疫がないあり得ないはずですので。
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木方さんへ (ulala)
2021-04-14 11:49:02
吉備真備が遣唐使からの帰り難破して、和歌山の太地に流れ着いた。
平城京への途上、地震被害の跡をつぶさに見ながら帰ったというドラマ観たような。

天平6年(734年)10月第10次遣唐使の帰国に伴って玄昉と同船で帰途に就き途中で種子島に漂着。
天平勝宝4年(752年)第12次遣唐使で二回目の入唐、翌753年鑑真と同じく屋久島へ漂着し、さらに紀伊国牟漏埼(現在の和歌山県東牟婁郡太地町)を経由して何とか無事に帰朝。

その頃の地震調べてみると、
734年5月18日畿内七道を揺るがす地震。
745年6月5日天平地震で養老断層が動いた。

遣唐使と地震発生年を照合すると、
ドラマの時代考証がごっちゃになってたか、私の記憶違い?

なにはともあれ、天平時代に畿内で地震あり被害も大きく、さらに遣唐使帰朝でもたらされた天然痘でパンデミック。
735年から737年天然痘と思われる疫病大流行で総人口の3割前後が死亡。
藤原4兄弟もそれで落命した。
聖武天皇はワラにもすがる思いで、大仏さん建造に繋がっていくのわからんでもない。

地震など天変地異や、海外との交流も含めて歴史を知ると実に興味深い。
人物名、地名、事件名等個々の単語を無理やり詰めこんでたら、そりゃあ嫌になりますわね。
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