秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

龍蓋寺の龍と義淵僧正と

2017-03-22 | 古代史のミステリー


岡寺は龍蓋寺という名前でもあり、その由来となった伝承
「飛鳥を荒らす悪龍を其の法力により石の蓋をもって、池に閉じ込め改心させる 龍は善龍となり今もこの池に眠る この池を龍蓋池と名付け龍蓋寺(岡寺)の始まりとなる」




小さな池の真ん中の岩が蓋となり悪龍が封印されてるんだって。
のぞきこんでじっくり見たけど、何も見えず感じず、画像にも何も写りこんでなかった。



石版彫刻背後にラッパスイセンの黄色が眩かった。





背後の山に石塔があり赤い鳥居が見えたので行ってみる。






龍蓋池のほぼ後ろにある瑠璃井



門柱のまさに中央奥に不動明王の石碑があり、右奥に小さな滝。
瑠璃の井という命名にも、なんとなく瀬織津姫だとふと思いました。

赤い鳥居は稲荷社


右の階段あがると奥の院石窟、数メートル奥に弥勒菩薩が祀られてました。





義淵僧正は竜使いだと教えてくださったのは吉田さん。
ちょうど今吉田さんのブログでも取り上げられています。

少し前に、拙ブログで吉田さんがコメントで次のように書いてくださり、たいそう興味を持っていました。

「藤原不比等が祀った藤原家繁栄の天神八座は竜神結界祭祀で
かなりの犠牲の上に成り立っていると記載していますが
この術は強力で現代まで残っていました。
義淵の弟子の玄昉・行基・隆尊・良弁・道慈・道鏡などは
皆この竜に太刀打ちできなかったのです。
師匠の義淵は竜使いでした。
悪竜と変じた大津皇子を調伏したとかいう
妖しい話が伝わっています。
義淵は百済聖明王の末裔と云われていて
不比等は百済王子豊璋の血統です。
私見ですが藤原家繁栄の天神八座の竜神結界祭祀を
仕切ったのは義淵の可能性が高いと感じています。。
海女の血統の宮子姫も人身御供の中心のはずだったものが
誰かがちょっかいを出したせいで人身御供から外れて
幽閉されたものと思われます。
でもそのおかげで藤原家は盤石ではなく
栄光と苦難と争いの大一族となったのでしょうね。」

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まず、義淵(ぎえん)について調べてみました。
奈良時代、法相(ほっそう)宗の僧。(?―728)
大和国(奈良県)高市(たかいち)郡の人。
俗姓は百済王の子孫市往(いちき)氏(または阿刀(あと)氏)。
両親が観音菩薩に子授けを祈ったところ、柴垣の上に置かれていたという。
出家して法相宗の第三伝智鳳に教えを受け、703年(大宝3)僧正に任ぜられ、仏教界の最高責任者となった。
とくに興福寺系法相宗の中心をなし、社会事業に活躍した行基、法相宗第四伝となった玄昉(げんぼう)、華厳宗を開いた良弁、このほか宣教、隆尊など多くの弟子をもち、日本法相宗の実質上の開祖とさえ評価する学者もいる。
竜蓋寺(りゅうがいじ)(岡寺)、竜聞(りゅうもん)寺、竜福寺、竜泉寺、竜象寺など五箇竜寺の開山で、元正・聖武天皇の代に宮中の内道場に仕え、その功により市往氏に岡連(おかのむらじ)の姓を賜った。
・・・以上 日本大百科全書(ニッポニカ)より


先の岡寺の記事で、「飛鳥時代の名僧、義淵(ぎえん)が、早世した天武天皇の皇子、草壁皇子の宮を賜って寺としたのが始まりという。義淵は子供のない夫婦が観音さまに願掛けに通っているときに垣根の上に置かれていた赤ん坊で、話を聞いた天智天皇が義淵を引き取り、幼かった草壁皇子と一緒に岡宮で育てたといわれている。」


ところが、岡の宮が義淵に下賜された663年が岡寺開創で
草壁皇子(くさかべのみこ)は662年生まれ。
なんか時期が微妙に合いませんね。


天武天皇の第2子である草壁皇子は、689年(持統天皇3年)皇位を約束されながら即位することなく28歳の若さで薨じました。

662年(天智天皇元年)天武天皇と皇后・鸕野讃良皇女(後の持統天皇)の皇子として誕生
672年(天武天皇元年)壬申の乱が勃発
681年(天武天皇10年)に皇太子
689年(持統天皇3年)死去



少し視点を変えて、この岡寺の少し北に大原の里があります。
なんと藤原鎌足の生誕地といわれる大原がこんなとこにあったとは知らなかった。

天武天皇が鎌足の娘の五百重娘(いほえのいらつめ)=藤原夫人に送った歌

わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後(のち)
(万葉集巻2・103)
歌の意味:私の住んでいる里に大雪が降った。(あなたの住む)大原の古い里に降るのはもっと後だろう。

これに対して、藤原夫人は次の歌を返した。

わが丘の おかみに乞ひて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ
(万葉集巻2・103)
歌の意味:私の所の神様が降らせた雪が、そこまで散っていったのでしょう。

詳しくは→大原の里 でご覧ください。

『わが丘の おかみ』というのが、岡寺の龍のようです。


鎌足の没年は669年で、五百重娘(いおえのいらつめ)は生没年不詳なれど
姉の氷上娘(ひかみのいらつめ)は682年に亡くなったときに藤原夫人歌一首が残っていて、少なくとも682年には生存してた。



奈良県の竜蛇(「怪異・妖怪伝承データベース」より)
話 名 大蛇
資 料 奈良県史13 民俗(下)
場 所 高市郡 明日香村
要 約 岡寺の境内の竜蓋池は、義淵僧正が大蛇を退治した池。旱魃の時には池の中央の石を動かせば雨が降ると言われている。


この龍と義淵僧正と、天智天皇と天武天皇の第二子が草壁皇子。
そして悲劇の大津皇子は、鵜野讃良皇后の姉大田皇女が母。
いろいろ繋がってます。
そのあたりがまた、藤原家の発祥の地でもありました!



大津皇子の辞世歌
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

磐余の池がどこにあったのか調べてみると岡寺のほぼ北にありました。
磐余池跡


大津皇子(おおつのみこ)663-686 享年24歳
母は天智天皇皇女の大田皇女-鵜野讃良皇后の姉
686年(朱鳥元年)9月に天武天皇が崩御すると、同年10月2日に親友の川島皇子の密告により、謀反の意有りとされて捕えられ、翌日に磐余(いわれ)にある訳語田(おさだ)の自邸にて自害した。

13 コメント

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岡の意味 (さくら)
2017-03-22 21:30:06
義淵僧上の詳しい資料を有難うございます。
この前のコメントに記載した、清荒神も調査に行き、結果報告しないと、と思っておりました。
「たぬき」さんという方が清荒神のこと、をコメントされてましたので、気にはなっていたのです。目神様と善女龍王さんのとこでは、神秘的な光が降りてきて歓迎ムードでしたが、初めて知ったのですが、奥に龍王の滝がありまして、ここは誰もいなくて、滝を見ていると突然私の周りだけ雨がぱらぱらとふり、他は晴れているのですよ。そのうち、冷たい風を吹き付けてきて、滝の上のほうからごーっという音が聞こえて、天気が急変しました。風が舞い散り、雨が吹きすさびました。あっ、嫌われていると逃げるようにその場を去りました。
その後に六甲山と廣田神社に赴きました。廣田神社で、伊和志豆神社「これは石清水に似ている」、岡田(太)神社、名次神社の4社が摂社とあり、岡の意味を考えている最中でした。岡寺が、龍を封じているとこなんですね。ヒントを有難うございます。
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さくらさんへ (ulala)
2017-03-23 09:30:01
清荒神の奥に龍王の滝ですか、知りませんでした。
ご体験されたもろもろを鳥肌もので読ませていただきました。
私も時々めっちゃ怖く感じてすぐに引返すときあります。

ところで、7世紀のこの時代に話し戻しますが、白村江の戦いは663年、667年近江大津宮へ遷都。
ちょうどこの時期が岡寺開創なんですね。
天武天皇のWikiをざっとナナメ読みしたらちょっと気になる部分あり、一部引用します。

天武天皇:生年不明 - 686年(朱鳥元年9月9日)*天智天皇:626- 672年

天武天皇の宮は死の2か月前、朱鳥元年(685年)7月20日に(飛鳥岡本宮を)飛鳥浄御原宮と名付けられた。
日本では伝統的に白くて珍しい動物を瑞祥としてきたが、天武天皇の時代とそれより二、三代の間は、赤い烏など赤も吉祥として史書に記された。赤を尊んだのは、前漢の高祖(劉邦)にならったもので、秦を倒し、項羽との天下両分の戦いを経て新王朝を開いた劉邦に、自らをなぞらえる気持ちがあったのではないかと推測される
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返信 (さくら)
2017-03-23 22:22:49
ulala様
清荒神は、1月15日前後、火箸を戴きに家族で行く身近なお寺でした。最後は、20年ぐらい前、当時お付き合いしていた方とお正月の真夜中に行ったきりでした。何回も行っていたのに、龍王の滝は知りませんでした。呼ばれたのでしょうね。ulala様でも引き返すときがお有りですか。人間関係然り、相性がありますものね。
岡は、「クラオカミ」「タカオカミ」のオカだと思いました。龍の古語ですね。ざっと思い浮かぶのは、貴船神社、丹生川上神社、室生龍穴ですね。吉田氏は、義淵僧正が不比等の龍神結界を仕切ったと書かれてますが、狭岡神社の地名になった「法蓮」も一緒に仕切っていたのではないかと思っています。「法蓮」は「虚空蔵寺」=クラが隠されています。修験の方ですが、法相宗だけでなく、もう一つの力が必要なのかと。大師堂がありますね。弘法大師空海ですね。如意輪観音と。あと、一番奥の院に「弥勒菩薩」がいらっしゃいますね。龍を従わせるには、「弥勒菩薩」「十字」二つの力をクロスさせるが必要なんでしょうかねえ。最後に、私宛のコメントで、天武天皇のことが書かれてますけど、「朱鳥」これがキーワードだと思いました。「朱」は、「丹=水銀」と「閼伽井の水」となるのですが、実際、朱鳥ってなんでしょうね。鳥居のことだと思います。この前、松下さんときましたので、サントリーの鳥井さんでもいいですね。
赤色の意味
1、魔力、災厄を防ぐ
2、神様のお力を高める役割がある
何かulala様の感性にひっかかるものがありましたでしょうか。

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お邪魔します。 (りひと)
2017-03-25 00:18:38
一つ日常の事が終わってホッとしてこちらに参りました。私も気になるワードいっぱいですね。
十三重石塔があるので赤い女神の羽根を持った方はいそうです。そして白い男の龍(龍は嫌いなので蛇にしたいけど)も関わるのでしょう。鎌足さんがその系統かとも。朱鳥という年号も以前気になった事がありますね、前はおそらくあまり赤が日本にはなかったとも。歴史の中枢部に入ってきただけで大昔の全国でむしろ歴史のメインよりも歴史があったのでは?と思っています。今年は酉年なのでそろそろ新しい評価を与えなければ行けなさそうに思いますね。😭鳥の前は亀だったかな?その意味も必要ですね。なのでおかみ神ももちろん大事だけど本来は白だったけど不比等のせいか赤いっしょくたんになってそうで。

また井戸でもそうですが、蓋をして封印されるのは大抵雷神です。ある意味火の神で木遣り歌や火祭りと関係のある勝部だと思いますよ。今全国の勝部探し作業中です。中抜けでかんとうにもいそうです。なんで中抜けなのかを深読みしますけど。
赤と白が一緒で白が赤をさらに補強するような関係です。伊豆山神社あたりが赤の龍と白の龍がいるのか?少し関係が出るのではないかと思います。この前鎌足はすぐり部じゃないかな?と書いたのですがここでも少し関係してくるかも。

目の神は、薬の神でもあるので薬師様とも関係ありそうで8が縁日ですしね。今日はぶどう持ったお薬師さまがいるとの事で、赤ワインのポリフェノールをすぐ思いました。すぐりのアントシアニンともなんとなく赤黒い物も含め気になっています。

今私の関わっているのはこんなワードです。
今後どうなってくるのか?気になりますね。

そう、さくらさまがおっしゃる石清水は多分あたりだと思います。私も石清水の地形的な意味を考え始めると現れた軌跡が上記の事なので。
そして以前は怖くて避けていた赤の所に少しづつ接触しながらやってますけど同じくどうも嫌な所もあります。相性でしょうから無理に接触すると火傷するのでセンサーで判断しようと思います。そう思うと白はあまりいい環境で祀られてはいませんが被害はない安全な場所のキーワードにもあります。白山は二種類あるので白河なら台湾の蓮なので仏教以前の信仰に繋がる可能性もあるのでそっちのが安全かと。山はいいように使われているので河や川でダイレクトに水神で白いのが安全だと思います。

今はまた何だか要注意の時期なのでガツガツいかないで流されるだけにしてみますね。7955
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さくらさんへ (ulala)
2017-03-28 22:28:18
>岡は、「クラオカミ」「タカオカミ」のオカだと思いました。龍の古語
なるほど〜、岡の宮はもともとクラオカミなどが祀られてた場所でまがいなかったのですね。
岡寺に至るなだらかなカーブの田舎道は気持ちよくドライブできましたが、その途中に小原、かつての大原がありました。
近いうちに地図も添えて項を改めてまとめておこうと思ってます。
中臣鎌足は茨城の鹿島に縁があるとされてますが、この明日香の大原出身というのがヘェ〜こんなとこだったんだと気になりました。
そして、朱、丹生、繋がりはよくわかりませんが、高野山の山麓を流れる紀ノ川支流である丹生川の上流にあった筒香。
その筒香の近くに立里荒神があり、空海ゆかりの荒神さん、子供の頃に一度だけ参拝したことがあります。
意外と奈良の吉野に近いのです。
紀ノ川は奈良県に入ると吉野川と名を変えます。
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りひとさんへ (ulala)
2017-03-28 22:46:41
>蓋をして封印されるのは大抵雷神です。ある意味火の神で木遣り歌や火祭りと関係のある勝部だと思います

龍蓋池は、りひとさんが思われたように違うかもしれませんね。
クラオカミの龍は、十三重石塔横にあった瑠璃井、さらにその上の小さな滝と関係してるのかも。
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大原と伊豆山行ってる。 (りひと)
2018-11-24 08:36:06
岡は、葵さんと結婚した岡田くんで妄想してます。さくらさんと同じ考えです。

でコメントで笑えるんですけど、この時期にこんな事書いてたんですね。お金がちょい入る状況になりけやきの木と蹴鞠の場所探しに奈良へ行った際に大原の地名見て行ってきました。鎌足の産湯井戸にも出会えました。鎌足赤の龍みたいですよ。おまけに百済と接点を人間ウォッチで想像してたんですけど、それ不比等しょうね。鎌足のベースは古代からいた装飾古墳の赤とか三角とかユギが魔除けの葬送文化を持つ民族だったんでしょうね。勝部についても一昨日くらいにまた調べ始めました。本当笑えます。旧石器とも接点あるそうにも思うんですよね。

それから神とか自然はどうも抑える事も出来るんでしょうけど、明らかに人間都合なのでどうかとは思います。ただ抑える状況に至った理由はやはりその才能を持つ一族の排除での状況だと考えてます。鎌足はありそうですが、不比等にはない。なので藤原という中に二つ系統がある事も認識しないといけないとも思いますね。おまけに藤原は鎌足亡くなってからなので大原小原辺りの原の付く一族とも思った方が楽かも。タカオカミっていますけど高も入ってるのでエコノミークラス症候群にすっかりお邪魔されら高原さんあたりも入ってそうですね。色は赤ですね。

あと伊豆山神社にいき走水ものぞいてきまして今は、絶えずお守りと一緒に動いています。
オシホミミにも自然の産物届けてきました。五穀豊穣に感謝する意味で。で神社には大抵別当があるのでそこは毎回外せないので行った所が薬師関係でしたよ。薬師と龍神も大抵セットの所が最近多くあたりますね。龍神単独だと私は無理な場合は多いので薬師さんに一度よってから行ってます。瑠璃って文字が出てたで可能性はありそうですね、井戸だったかな?お湯か冷泉あたりも次回行ってみたいです。飛鳥寺の帰りに赤亀(意味深ですよね)のバスで岡寺の最寄りまで通ってきました。女性二人が降りたのでお寺人気あるんだろうなあと。ただ岡と付くと武力イメージなのでまだ当分行かないつもりです。相手が心をゆるせる巫覡と一緒じゃないと。女では役不足だと思います。
ワニさんがいいとは思いますね、青も持ってるワニさん。さくらさんの周りにはいますよね。
時期がきたら行けたらなあと思ってます。

まだまだ世の中荒れてます。時間はかかりそうでうけど素材違いが無理だと納得して、みんな楽に幸せに楽しんで生きれるようになった時に行ってみたいですね。9267
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りひとさんへ (ulala)
2018-11-26 07:43:40
この記事をアップしたのが2017年3月下旬ですから、1年半以上過ぎました。
あの当時、大原と鎌足とかも興味あり、なんか思ってたのに、記事にまとめられなかった。
さくらさんが触れておられる、六甲、先だっての日曜日、六甲姫神社行こうと友達に提案してました。
でもダークホース的にあらわれた和泉サイクリングでボツにしました。
六甲姫神社も行きにくいとこあって、電車にバス乗り継いで最後はちょっとしたトレッキング、お天気良くないと行けないでしょう。
まだ呼ばれてないみたいです。

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大津皇子検索で (りひと)
2019-01-20 10:27:35
お返事頂いているのですね。
こちらの記事あったのに頭に入っていなくて飛鳥いっています神社から産湯まで行って行けていなかったです。

あと面白かったのが、六甲山と和泉のサイクリングでは和泉の方が先のが安心なきがしますよ。目的は一緒っぽく感じますけど道順にも大事だと思います。和泉には確か古いお寺もあったはずで、明治で神社とお寺と分けてしまっていますのでお寺(山岳由来の)の護りは必要に思いますよ。

なので今後行けるんではないかな?とゆっくり報告待っています。

で大津皇子ってまさに大物忌神社(大物主命)と感じが似ていますね。山の神の象徴なんでしょうね。で探していたんですけど、訳語田(おさだ)ってどこなの?って。

うらら様の記事探ってよかったです。答えが出てきちゃいました。大津皇子の歌とはびっくりですね。本人か慕った方か?そこはゆっくり判断ですけど。あと、子供の夢の分析も一緒のしてるんですけど、さっき記事の写真見てここかなあって思ってしまいました。赤亀のバスでバス停で降りた女性二人がお寺に向かっていて行きたかったけど、いつか行けるといいなあ。

大津皇子が青っぽくて知性的で合理的で恨みの連鎖がくだらないって思える方だといいですね。
父の人生の中でも環境的にどうしようもないという事がありましたので、そのタイミングでは仕方ないけど違うタイミングで是非現世か未来へ活躍してほしいですよね。日本の将来のためにも。8083
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りひとさんへ (ulala)
2019-01-20 13:02:04
昨晩秋のコメント返しでも触れましたが、岡寺あたりの大原で感じた違和感、収まりの悪さを記事にまとめられなかった。
まだ焦点当てる時期がきてないということなのかも。
大津皇子ゆかりの地はあちこちにありますが、どこも断片的で煙に巻かれてる感じがします。
りひとさんが、今朝最初にコメント残して下さったのが斉明天皇の八角古墳の記事であったことも含め、明らかになってないことあるんでしょうね。

大津皇子が山の神の象徴だと思われたということは厳しさも大いにあるということ。
この春の代替わりは至難を極めそう。
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